第10話
「おい。しっかりしろ。いい加減に目を覚ませ。」
僕は体を揺さぶるその振動で目が覚めた。
「ん──?」
「……やっと気が付いたのか。」
「翡翠──って、え?翡翠!?」
僕は驚いて周りを見渡す。眼前に巨大な岩の壁がそびえ立っている。その壁の中腹辺りで、僕は翡翠に抱えられていた。
「助けて、くれたの?」
「……千恵達にあずかっていると言った手前、流石にお前を死なせる訳にはいかないからな。」
「そう、なんだ。ありがとう。」
「……塔に戻るぞ。」
彼女はそれだけ言って、僕を抱きかかえたまま泳ぎ出す。彼女の泳ぎは小川のように穏やかで、羽毛のように柔らかかった。明らかに僕に合わせて速度を調節している。
「ごめんね、迷惑かけちゃったみたいで。」
「……いや、久しぶりの“開門”だったからな。私も忠告することを忘れていた。……だから、お前のせいではない。」
「“開門”?」
僕の問いに、彼女は僕の顔を一瞥する。
「……ここは水源京。その名前の通り、“水源”がある都だ。あの塔は、その水源を祀ったものだ。塔の最下層に水が湧き出る水源があり、そこは普段門で固く閉ざされている。水が湧き出るとその門が開き、この水源京全体に、そしてこの世界の外に水が流れ出ていく。私はこれを“開門”と呼んでいる。」
「へぇ。」
僕はこの時、少し変だな、と思った。ここは水源の都。泉沸き立つ神秘の都だ。なのに、彼女は「久しぶりの“開門”だった」と言っている。水が湧き出る都なのだから、常に湧き出ているのかと思っていたのに、違うのだろうか?
僕の疑問をよそに、翡翠は話をつづけた。
「もう知っているとは思うが、塔の中心には巨大な空洞がある。あの空洞は水源と直結していてな。あの空洞を通して塔全体に水がめぐり、“開門”と同時に塔の窓や扉が全て開け放たれる仕組みになっている。お前がこの世界の端まで飛ばされたのは、この“開門”のせいだ。」
「そうだったんだ。」
「“開門”してもあの流れに飲み込まれない部屋は、お前のいる最上階と私の最下層の部屋だけだ。お前が塔の中をうろうろしているのは知っていたが、こうなるとは思わなかった。……許せ。」
予想外の言葉に、僕は慌てて首を振る。
「いや、翡翠が謝ることはないよ。だって僕、翡翠に探検していいかって聞いたわけじゃなかったし、それに──」
「なんだ。」
「いや、
「お前──」
翡翠の歩みが止まる。彼女の藍色の瞳が、僕に憐れみを向けている。
「──翡翠?」
「いや。なんでもない。ただ──」
彼女は水源京の中心に向かって、再び魚のように泳ぎ始めた。
「――ただ、確かに
「?」
彼女はそれ以上、塔につくまで何も話さなかった。けれど、その顔は今にも泣き出してしまいそうなほどに、悲痛に染まっていた。
◇
「ねえ、翡翠。」
塔の最上階にたどり着いた僕は──翡翠に抱かれていたのだけれど──、彼女に1つお願いごとをしてみることにした。
「なんだ。」
「いやさ、今日の出来事があったから、やっぱり翡翠とたくさん話をしたいよ。」
「それは……」
狼狽する彼女に、僕は詰め寄る。もしこの“言い訳”を逃してしまったら、彼女と話をする機会がなくなってしまう。もちろん友達になりたいからというのが一番の理由だったけれど、それとは別に、このチャンスを逃すことは、何故だかとても「悪いこと」のように思えてならなかった。
なぜ彼女は、あんな顔をしているのか──
その疑問が、奇妙な不安となって僕をさらに急き立てたのだ。
「ええと、だってほら、もしかすると“開門”以外に僕の知らない危険なことがあるかもしれないでしょ?」
「確かに、ないとは言い切れないが……」
「じゃあさ、それを僕に教えてよ。そうしたらさ、翡翠に迷惑をかけないようにすることもできるだろうし、逆にもし翡翠が危険な目にあっても、僕が助けに行けるかもしれないでしょ?」
「……」
彼女は一瞬、硬直した。そして俯き、僕には聞こえない小さな声でつぶやいた。
「──どうして、こうも──」
「翡翠?」
彼女は額に手を当てて大きなため息をつくと、観念したように小さく苦笑する。その笑みはやっぱりどこか悲しそうで、彼女の顔に影を落としていた。
それでも、彼女の放った言葉は、僕にとっては大きな一歩だった。
「分かった。それくらいであれば、教えよう。」
「やった!」
「?なんだ、どうかしたのか?」
僕は慌てて口を両手でふさぐ。
「ああ、いや、その、なんでもないよ!」
翡翠は首を傾げていたが、僕は恥ずかしさで真っ赤になっていた。思わず本音が出てしまった。本人を前にして、友達になりたい!と言うのは、別に言えないことではないのだけれど、今は少し、気恥ずかしい。
「ええと、コホン。じゃあ、翡翠、これからもよろしくね。」
僕は彼女に右手を出した。今はあの時とは違う。泡の壁もなく、彼女との距離も、本当に少しだけれど、縮まったのだと思う。だから、僕は期待していた。あの時、彼女は握手をしてはくれなかったけれど、今回はしてくれるのではないかと。
そして、彼女は静かに右手を差し出してくれた。その白く透き通るような細い腕を、やや迷いながら僕に差し出し、手を握ってくれようとしてくれた。
そう、してくれたのだけど……
「おおーい!
「ハク!──って、え?ちょちょちょ、ちょっと待って待って!」
ハクが流れ星のようなスピードで僕に体当たりしてきたせいで、僕は、その手を握ることができなかった。
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