第7話 壁

 家に帰った僕は玄関の扉を開いた。


 暖かな食事の香りも、僕を笑いながら揶揄う妹の姿も見えない……ただ暗く、無機質な香り漂う空間が僕を出迎えた。


 仲間を呼び合う虫たちの懸命な鳴き声が気に障り、扉を閉めて鍵をかける。


 すぐに手慣れた手つきで灯をともし、居間に置かれた仏壇に、「だだいま」と言いながら線香に火をつけた。

 もう随分と嗅ぎ慣れた線香の香りが、僕の心を落ち着かせる。


 それでも、静けさが奏でる耳鳴りと、肌にまとわりつく空気の重さに耐えかねてテレビをつけた。

 そこから飛び出たバラエティ番組のやかましい笑い声、堪らず寂しさを紛らわす程度まで音量を下げる。


「今日は、大変な一日だったよ」

 仏壇に飾った家族写真、その中の僕は皆と一緒に楽しそうに笑っていた。

 先日、うちに様子を伺いに来た叔父さんは、「四十九日の時は外しておけよ」と言っていたのを思い出す。


「別にいいじゃないか……」

 そうぼやき、騒がしい一日を振り返る。


 神崎さんは、最後に門の前で別れる際、

「あら、今日は誰もいないの? いつも静かよね、あなたの家」

 と言った。

「ああ、今は家族旅行中で、僕は置いてきぼりなんだ」

 と僕は答え、家に入った。


 別に嘘なんか言ってない。


「いや、違う……」


 部屋の隅に置かれた三つの旅行カバンと雑多な土産物の袋……、それは、家に送り返された日からずっとそこにあった。


 おじさんが家に置いていった小包からレトルト食品を取り出し簡単な食事を済ます。

 あとは、風呂に入って寝れば、慌ただしい一日も終わりを告げる……筈だった。


 ピンポン、ピンポン、ピンポン、呼鈴の連打。

 その後は、ドンドンドンと扉を叩く一連のコンボ攻撃。


 相手はかなりお怒りの様子……。


「うわっ、こわっ!」

 スマホをズボンのポッケから取り出すと画面は「みかんちゃん」という方からのメッセージで一杯になっていた。


 みかんちゃんは、神崎さんのゲーム名、あの、エロいエルフの名前だ。


 スマホが震える、着信だ! 相手は見るまでもない……。

「こらっ! あけろーーっ!!」


 玄関の鍵を開けるとスマホ片手に大声で怒鳴る制服姿の彼女がいた。

「私を無視するなんていい度胸じゃない! ちょっとスマホを貸しなさい!!」

 って、もう取り上げてるじゃん!


「なに、慌ててるんだよ」

「時間が惜しいのよ、明日のギルド戦まで時間ないんだからねっ!」

 そんなの知らねえよ!


「ギルド戦って?」

「あなた弱いじゃない、私が鍛えてあげるのよ! 感謝しなさいっっ!」

 げっ! 質問に答えてないし……。

 しかも弱いと断定してるし、実際、弱いけど……。

 ごめんね!


「鍛えるって、どうやって?」

「ふふふ、呼び笛でバンバンとレイドボス呼んであげるから、あなたは私とパーティ組むのよ。無課金でもそこそこ強くなれるわよ」

 ああ、課金アイテムをバンバン使うんですね……。

 協力プレイじゃなく、もっと親密なパーティプレイなら、立ってるだけで経験値も貰えると……。


「俺はひもか!」

「あら、面白いこと言うのね。そうね、お姉さんのひもにしてあげるのよ」

 彼女はスマホを両手で僕の胸に押さえつけ、返してきた。


「それに、俺だなんて」

 と呟き、僕の目を見てあらまあと彼女は笑った。


「ギルマスのゆめちゃんは十時過ぎに参加してくるわよ、今夜は徹夜ね」

 いや、寝ろよ、明日も学校だろ!


 いやいや、それよりも、

「おい! どっち行くんだよ! 壁を壊す気か!」

 神崎さんはズンズンと門の方ではなく、最短距離で自分の家へと歩いていく。

 間にはもちろん壁がある。腰の高さ程の壁……。


 彼女はニヤリと振り返る。

「こんなのひとっ飛びよ」

 手前で走り出し、華麗に壁を飛び越えた。

 その時、スカートがひらりと舞い、その奥の柔らかな膨らみが暗いのに見えた気がした。


「どう、凄いでしょ」

 彼女は、壁の向こうでエヘンと胸を張っている。

 とても元気で明るい女の子、それが彼女にぴったりな言葉だ。


 その魅力に気づき思わず顔が赤くなってしまう。


 彼女も何かに勘付いた様子で、

「もしかして見えた? バカ、エッチ、ロリコン!」

 と駆け出し家の中に逃げ込んだ。


 バカとエッチは許そう。

 でも、何で、ロリコンなんだよ!!


 すぐに、スマホには「シャワーを浴びて着替えるから十分まて!」とメッセージが飛んできた。


 ちぇっ! 「待て!」とは随分な犬扱いだなと苦笑した。


 それにしても、もっとゆっくりお風呂に入れば良いのに……入浴姿を想像をしてしまい首をふり妄想をかき消す。


 それにしてもギルマスの名前……。


 やっぱり、湯上りの彼女を想像しながらゲーム画面をポチポチといじり、時間を潰すことにした。

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