第5話 出会い

 四時ごろのスーパーは客で溢れていた。


 様々な客、その中には、小さな子を連れた若いお母さんの姿も見える。

 子供の甲高いはしゃぎ声が耳につく。ぴょんぴょんと跳ねながら幼い兄弟が母親にまとわりつき楽しそうにふざけ合っていた。

 入り口の横に置かれた灰皿で休憩する男性客は連れの買い物でも待っているのだろうか?


 自転車のベルがすぐ近くで鳴った!

 慌てて避けて道を譲る。


 間一髪!


 自転車は、急ハンドルを切りながら猛スピードで僕と神崎さんの間を駆け抜けていった。


「ちょっと、危ないじゃない! 謝りなさい!!」

 神崎さんが拳を作り、腕を振り回す。


 すでに相手は、人混みに紛れ、かなり離れていた。


「もう行っちゃったし……、って、え! 何する気?」

 歩道に座り込んだ彼女は、何かを見つけ握った。

「投げて当てる気?! 無理、無理、絶対無理だって!!」

 立ち上がると直ぐに彼女は思い切り振りかぶって石を投げた。

 綺麗なフォームから一直線の弾道が伸びる。

 歩行者に当たらないか気が気でなく、思わず彼女の腕にしがみつく。


「えっ!」

 これは僕の声、成り行きを見ていた歩行者数人から微かに感嘆が上がっていた。

「ふふ、相手が悪かったわね」

 不敵な笑み。

 自転車の男は後頭部を抑え立ち止まり、かなり不機嫌な様子で再び雑踏の中へ、そして、視界から消えた。


 彼女は、えっへんと胸を張り僕を見る。

 僕を見る?


 褒めて欲しいのだろうか?


「危ないだろ」

 しかし、僕は負けない!

「でも、面白かったでしょ?」

 てへっと舌を出し悪びれる様子も無く、彼女は笑った。


 彼女はいつも騒がしい。

 そして楽しそうだ。

 そんな、彼女は僕に落ち着く暇を与えてくれない。


「ここよ、きっとすぐ気にいるわ」

 彼女は自慢げに語り出した。


 店の自動ドアは絶え間なく開閉を繰り返し、そこを人々が出入りする。その狭間を縫うように、店内からは特売品を知らせる威勢の良い放送が聞こえた。


 神崎さんは、スーパーでレジ打ちのバイトをしていた。


「ちょっとちゃんと聞いてた? これから、入るわよ」

「えっ、もう行くの?」

 彼女は、残念そうに僕を見ると、いきなり僕の手首を掴んで引っ張り、前へ、前へと店の中へと進んでいく。


 狭い通路、商品が満載されたカートを押す女性客、混んだ店内を歩くのは気を使う。さらに異常に効いた冷房が寒い。


 売り場で一人の男性スタッフとすれ違う。

「さやかちゃん、お疲れ様」と神崎さんと挨拶をし、目を見開いて僕を見た。


 店の奥、彼女は両開きのスイングドアをバーンと開く、跳ね返ってくるそれを避けながら入る僕、中は薄暗く、様々な商品がうずたかく積まれていた。


「あら、神崎さん、お疲れ様。その子は?」

 年配の女性だ。

 スーパーなのにウエイトレスの様な制服。

 両肩からストラップで吊るされた黒いエプロンの胸元には店の名前「ゆめ」の二文字が白い糸で刺繍されている。


「ゆめちゃんが、フロアー担当のバイトが欲しいって言ってだじゃない、ちょうど良いと思って」

「その子が? ちょっと頼りなくない?」

 ごめんね! それにしても、おばさまは容赦ない。


 バーン!


 神崎さんが僕の背中を叩く。

「いたい!」

「シャキッとなさい! もう、私が恥ずかしいじゃない」

 はいはい、シャキッとしますよ、シャキッと!

 腹に力込め、キュッとお尻を緊張させてピーンと背筋を伸ばす。


「バーカ、それじゃ、ロボットみたいよ」

 クスクスと嬉しそうに笑う彼女。

「面白い子ね」

 おばさまはご機嫌な様子で僕らから離れていった。


 そうこうしているうちに、奥の方から大きな身体の青年が満面の笑みをたたえながら歩いてきた。


 彼は、おばさまと同じ制服を窮屈そうに身にまとい、異常に発達した筋肉を否応なく主張させてくる。

 ラグビーやアメフトの選手と言っても直ぐに納得してしまう。そんな巨体を誇る青年だった。


 なのに、彼の言葉遣いは、その体躯から発せられる野太い声には全然似合わないものだった。

「あら、さやかちゃん、出勤の時は裏口から入らないとダメよ」

「ごめんなさい、ゆめちゃん、新しいバイトの子を連れて来たから、店内を見せたくって」

 神崎さんの言葉を聞いて、彼? 彼女? は僕を舐める様に見る。


「へぇー、ちょっと頼りないわね、でも……、さやかちゃんの紹介なら良いわ、雇ってあ、げ、る」

 ごめんなさい、ごめんなさい、投げキッスはやめてください!!!!


 そばを通ったおばさまはすれ違いざま、「精々、頑張るのよ」と言い、ワゴン台車にいつのまにか商品を満載して売場へと出て行った。


「あらあら、緊張しちゃって可愛いわね、坊や。あなたは、事務所まで付いてらっしゃい」

 ゆめちゃんと呼ばれる大男は、大きな背中を僕に見せ、先を歩く。


「それじゃ、また、後でね」

 神崎さんは、そう告げると手を振りながら僕から離れていった。

 そんな彼女に、どこから湧いて出たのか女性店員たちが絡まるように寄っていく。

「ねぇ、さやかちゃん、あの子とどういう関係?」

 キャー、キャーと楽しそうな声が聞こえてきた。


 神崎さんと別れた後、僕は事務所で「ゆめちゃん」と呼ばれる店長さんから一通りの説明を手早く受けると、スーパーの制服を渡された。


 黒いエプロンを首からかけ、ゆめちゃん店長と挨拶の練習をしてから、いよいよ本格的に仕事を始める。


「いらっしゃいませ」

 隣で僕の教育係で男性社員の高橋さんが声を張り上げる。

「声を出せ! 新人! ゆめちゃんに叱られるぜ」

「い、いらしやいませ」

 さっきからずっと力仕事ばかりだ。


 最初は、倉庫で明日の納品に備え、重い荷物を移動し、今は、レジが見えるところで飲料の箱を積んでいる。

 中々にきつい肉体労働。

 緊張も忘れ、次から次へと絶え間なく身体を動かしている内に時間はあっという間に過ぎていた。


 気付けば、客の姿が少なくなり、店内は閑散といった様子。

 入り口の上にある壁時計を見上げると、その針は七時を指していた。


 ふと、レジに立つ神崎さんが、目に入った。


 飲料が詰まった箱を持ち上げ、肩の高さまで積み上げ、一息つく。


 彼女の方へ視線を再び向ける。

 制服の上から付けた黒いエプロンが清楚な雰囲気と良く似合っていた。

 長い髪を一本にまとめ動作のたびにふわりと揺らす。露わになった耳から続く艶やかなうなじが労働の汗で火照った白い肌と相まって僕の目を釘付けにする。

 さらに、真剣な眼差しでレジに立つ彼女は、お客様にする挨拶の度に、とても綺麗なお辞儀をした。


 背筋を伸ばし綺麗な姿勢でレジに立つ彼女はとても美しい。


「さやかちゃん、綺麗だよな、ありゃ、凄え美人になるぜ」

 教育係の社員、高橋さんが台車の取っ手に顎をのせ、だらしない姿で呟いた。


 レジにいる彼女が振り返った、僕と目が合う。

 笑顔になった彼女は僕に手を振った。


 突然の事に驚き目をそらし、慌てて荷物に手をかける。


 高橋さんが拳で僕の腰を突く。

「バーカ、ちゃんと返事してやれよ、さやかちゃん怒ってるぜ」


 えっ、怒ってるの?

 今は、もう、表情が見えないから確かめようがない……。


「お前、無口だよな、まっ、喋ってばっかで働かない奴よりましか……」

 うーん、高橋さんの手、さっきから止まってますよ!


 彼は胸元にクリップで止められた小さなマイクに向けて喋る。

「了解です。すぐ、そちらに向かいます」

 高橋さんの空気がかわる。

「すまん、ゆめちゃんに呼ばれた。さぼんなよ、新人。てか、お前なら大丈夫か……。無口で黙々と真面目に働く奴、俺は好きだぜ、そういうの、じゃあな、戻ってくるまでに終わらせとけよ」

 彼は、スタスタと小走りで消えて行った。


 店内に客はもうほとんどいない。

 リズム良く飲料水の箱を積み上げ特売場を作っていく。


「西崎くん、久しぶりね」

 懐かしい声、顔を上げるとセーラー服姿の女の子が、そこに居た。


 背の低い大人しい地味な感じの子。

 おかっぱだった彼女の髪型は、今風のショートカットになり、少し垢抜けていた。


「もしかして、ここでバイトしてるの?」

 中学生の時、彼女とは、数える程しか話した事がない。

 だから、僕の顔は耳まで真っ赤になる。


 いや、本当の理由は、話した回数ではない。


 僕は小学校の頃から彼女が好きだったからだ。

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