好感度は思わぬ形で上がる




 ゴキブリの退治は終わった。

 僕はキッチンペーパーを丸めて、力を入れて潰す。



「ななな何? どうしたの?」



 僕の背中にいる雫石さんは、状況が理解出来ていないのか、背中越しに顔を覗き込んでくる。

 僕より背が低いから、背伸びをしているみたいだ。

 そんなところも可愛くて、胸がキュンと音を立てて鳴った。



「え? え? やつはどこ?」



 可愛い動作に、胸を高鳴らせている場合じゃなかった。

 僕は丸めたキッチンペーパーを見せて、安心させるように笑う。



「大丈夫。もう始末しておいたから」



 彼女は、僕の顔とキッチンペーパーを交互に見た。

 そして状況を理解すると、



「ありがとうねえ。田中君って凄いんだ」



 とても柔らかく、僕に向かって笑いかけてくれた。



「いいいいやいや、そそそそんな大したことはしていないよ」



 初めて間近で見る笑顔に、僕はゴキブリを取ることが出来て良かったと心から思った。

 こんなことで笑顔を向けられるのなら、一匹じゃなくて何十匹でも退治出来る。


 あまりにもだらしない顔をしてしまったのか、ようやく冷蔵庫の扉を閉めた剛埼さんが近づいてきて、僕の顔を覗き込んで言った。



「変態君は、顔まで変態君になっちまったんだなあ」



 それに対して、反論を言えなかったのは自覚があったからだ。

 何回も引き締めようとしているけど、嬉しすぎてまだ無理だった。


 キッチンペーパーは、ゴミ箱の中に捨てた。

 いつまでも持っておくのは、何だか嫌だった。



「もう大丈夫ですよ」



「ありがとう。どうしても苦手だったから、本当に助かったわ」



 目に見えて、雫石さんの僕に対する好感度は上がった。

 まさかこんなことでと思ったけど、嫌われているよりはずっとマシだから、文句は一切ない。



「き、気にしないでください。そ、そうだ。ココアを淹れに来たんですよね。僕も久しぶりに飲もうかなあ」



 少しは平常心を取り戻したが、まだ挙動不審になってしまった。

 それでも僕に感謝している彼女は、全く変だとは思わなかったみたいだ。



「それじゃあ、ついでだから一緒に淹れてあげる」



「そ、そんな。悪いよ」



「いいのいいの。退治してくれたお礼の気持ちよ」



 遠慮をしたけど押し切られる形で、彼女が淹れてくれることとなった。

 手際よく動いている姿を見ながら、僕は顔をだらしなくゆるめてしまう。



「これが青春ってやつかあ?」



 からかいを含んでいない剛埼さんの言葉に、僕は顔が熱くなるのを感じた。


 もしもこれが青春だとしたら、僕にとっては初めての体験ということになる。





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