第163話 南風のもたらしたもの 二


 翌朝。


 明花めいかは浅い眠りから目覚めると身支度もそこそこにシュンの部屋を訪れた。遠慮がちに戸を叩く。


「——シュンお姉様? 何処どこかおかげんでも……」


 返事はなかったが室内でひとが動く気配がしたので、明花はじっと待った。


 程なくしてシュンが戸を開けた。


 その顔を見た明花は驚いて、昨夜のお姿は見間違いではなかったと確信した。


「お姉様、おかげんが悪いようですわ。寮監を呼んで参ります」


 寮監を呼ぶために身を翻した明花の腕を、思いのほか強い力でつかんだのは他ならぬシュンであった。


「お姉様?」


「……大丈夫。誰も呼ばないで。少し休めば平気だから」


 手を離しながら、怖いくらいの無表情でシュンはそう言った。


 明花はつかまれた手首をさすりながら黙って頷く。


 頷くしかない。


 ——私はシュンお姉様のことをそれほど知っているわけではない。


 それを痛感させられる。


 ——妹のように接していただいても、それは後輩だから……。


 逃げるようにその場を辞しながら、明花の瞳には涙が浮かんできた。憧れの人に相手にされていないことがこんなにも悲しいとは。


 それでも明花は誰かに言いふらすつもりも無かったし、むしろ誰ならばシュンを助けられるのか考えた。


 ——シュンお姉様がお心を許す方……そうだわあの方なら……。




 その日、紫珠しじゅの校内が騒然とした。


 いわく、あの『白兄はくけい』が紫珠を出る、とのことだ。


 あと二年ほど紫珠に残ると思われていた彼は、伯父の周公に望まれて政務に就くとのことである。必定、すぐに紫珠を辞してしまうということで、学内は動揺を隠せなかった。


 紫珠の歴史の中でも屈指の成績を収めた生徒である『白兄』こと周恵しゅうけい


 そしてその側に影のように付き従う黒衣の青年——『墨兄ぼくけい』。


 口数少なく、まさに『白兄』の影でありながら、武芸においては『白兄』にも勝る腕前の彼もまた、『白兄』と共に紫珠を去るのだ。


 しかしその彼について流れた一報を聞いて、驚かぬ者がいただろうか——。




「——馬鹿な……!」


 取り巻きの一人からその事を聞いて、呉游ごゆうは思わず立ち上がった。へらへらと話を続ける取り巻きの胸ぐらを掴んでやろうかとも思ったが、此奴ではその話の真偽を知らぬだろうと見限り、呉游は講義室を足音も荒く出て行った。


 ——周恵の事は耳にしていたが。


 それもまた呉游には腹立たしい。


 周恵——『白兄』が居たから自分はいつも二番手であった。なにをどう足掻いても次席なのだ。


 剣も槍も大刀も——。


 学問も家柄も女のことも——。


 表面上は取り繕って来たが、今回もまたあの周公に望まれて、自分よりも先に政界へ出て行くのである。


 わかっていた事である。


 例え彼と共に紫珠を卒業することになっても、『白兄』は自分よりも優遇されるだろうし、なんなら叙せられる位も上になるだろう。


 その差がさらに開くというのか。


 それが周恵の話を聞いた時に思ったユウの燻った気持ちである。


 だが今一つ遅れて耳にしたのは——。




 つづく



 次回『南風のもたらしたもの 三』

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