第162話 南風のもたらしたもの


 その年。

 なまぬるい風が南から吹いて、春にしては季節外れの暑さが続いた。ショウ国の南部では疫病が流行り、一部の村では多くの死者を出すという事件があった。都では口の端にも上らぬ話であったが——。




 シュンが漠然とした不安を抱いてから幾日かたったある日——。


 だいぶ陽がのびてきて、少し遅くまで隠れ家に残って、シュンは剣を振っていた。夕陽が差し込んできて慌てて後片付けをする。


 床拭きまでして行くのが常であるから少し急いで剣を壁にかけた。


 その時、微かな音がして戸が開いた。


 シュンの心臓が飛び上がり、期待に満ちた目で振り返ると——そこにいたのは白兄はくけいであった。




「白兄!」


 長身の彼の背後から、待ち続けた黒衣の姿が現れると期待して、シュンははずむ足取りで駆け寄った。


 ——ところが白兄の後ろには誰もいない。


 白兄一人がやって来たのだ。


「白兄、カイけいは……?」


 少々がっかりしながらも、久しぶりの再会に自然と笑顔になる。


 しかし、年嵩の青年は硬い表情をしたままである。


 その顔を見た瞬間、シュンは自分の胸に冷たい風が吹き抜けた気がした。


 カイ兄に何かあったのだろうか?


「白兄?」


 ——怖い。


 予感のようなものがシュンを支配する。


 白兄はシュンの肩に手を置いた。言い聞かせるように、ゆっくりと話し出す。


「落ち着いて聞いて欲しい。実は——」




 その夜、明花めいかは女子寮の中を急いで歩いていた。もうすぐ就寝前の点呼の時間だというのに『シュンお姉様』の姿が見えないのだ。


 ——まもなく寮監の見回りだというのに、一体どこへ……?


 普通の女子学生は午前の課が終われば寮でゆっくりと過ごす。とは言っても無為に過ごすのではない。作法にせよがくの練習にせよ裁縫にせよ——多くの課題が出されるのも常である。


 要は繰り返しによる習得をさせるためだが、彼女らはそれを行いつつおしゃべりをし、菓子をつまみ、ゆるやかな時を過ごす。


 シュンだけが特別なのである。


 午後も学舎に残り、座学を受けたり武術の鍛錬をしたりしていると聞く。


 ——何かあったのではないかしら?


 そう思っても明花には寮内を探すしか術がない。寮の入り口で一人気を揉んでいると、すっかり陽の落ちた暗い庭を、白い幽鬼のように歩いてくるシュンを目にした。


「シュンお姉様!」


 ほっとしながら駆け寄るが、シュンは目の前の明花に気がつく様子もなく真っ直ぐに自室に歩いて行く。


「……」


 鬼気迫るその様子に明花は言葉を失ってただその後ろ姿を見送るばかりである。


 しっかりとした足取りであるのに、シュンはまるでこの世のものではない動きで音も無く歩み、明花の視界から消えた。


 ——お姉様……?


 明花は見てはいけないものを見てしまった気がしてその場に立ち尽くした。





 つづく




 次回『南風のもたらしたもの 二』

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