第161話 裁可の時


 広い豪奢な広間にケイは居た。


 灯が入ればさぞかし煌びやかな事だろうに、今は暗い。


 ——密談は暗がりで行う、というのが御大おんたいの趣味か。


 ここは周一族の本家、周臥龗しゅうがりょう大臣その人の屋敷である。


 ケイは以前に叱責を受けたあの広間にいるのだった。


 ひざまづきこうべを垂れてこの屋敷の主人を待つ。


 程なくいつものようにかの人は現れた。この前とはまた違う豪奢な衣を身につけて、堂々たる歩みでケイの脇を通り過ぎ、目の前の壮麗な椅子に身を下ろす。


「周御大におかれましてはご機嫌麗しく——」


 ケイの誰もが惚れ惚れするその声で述べた挨拶を、周大臣は片手で制する。


「よいよい、ケイよ。——さて、其方の言う期日がやって来たぞ」


「は。お待たせいたしました。今宵からお約束の通りに——」


「ふむ。ではこちらも予定通り其方そなた尚書省しょうしょしょうへ挙げよう——とは言ってもこの話は周家には都合が良く価値があるが、其方自身の益にはならぬな」


おそれ多いことでございます」


「なんにせよめでたいことだな。其方の加冠かかんは」


「は」


 少しだけ周大臣は羨むような目でケイを見た。そこにはケイが実子であったなら、という考えがにじむ。


 大臣は椅子を降りて、ケイの前へ進む。身を屈め、分厚い手でケイの手を取った。


「のう、ケイよ。わしは其方をおる」


 あたたかく自信と慈愛に満ちた声で幼子を諭すように語りかけてくる。


「周家の繁栄のために、な」


「もちろんでございます」


 ケイは自分の感情を全て押し殺して答えた。






 平地にも雪が降り、寒さが身にしむころ——。


 紫珠の隠れ家にはシュンが一人でいることが続いた。いや、あの日以来シュンは二人に会っていない。


 ——きっと加冠の準備で忙しいのだろう。


 周家の分家とはいえ、白兄は御曹司である。彼の加冠を祝うというならさぞ盛大に祝うのだろう。


 ——でもカイ兄まで姿を見せないのはなぜ?


 お互いの気持ちを確かめ合ったあの日が、まるでずっと昔のように、あるいは夢であったかのように朧げに感じてしまう。


 夢でなかったことはシュンの身に刻まれた印が教えてくれる。そのことを思い返してシュンは一人頬を染めている。


 それを振り払うように立ち上がると、シュンは木刀を手にした。


 たった一人でも彼女は鍛錬を続けていたのだ。


 一人きりだと隠れ家の空気もこごった冷たさを宿して、彼女がここにいることを拒否しているかのようだ。


 それでもシュンは独り部屋の手入れをし、剣を振る。


 時折り短い手紙を隠れ家の中に置いて行く。


 残念な事に、隠れ家を再び訪れてもその手紙はそのままそこにあった。二人は全く来なくなってしまったようだ。


 ——遅かれ早かれ二年後にはこうなるはずだったのだから……。


 仕方ないと思いつつも、独りの寂しさはつのる。何より、このまま二人との縁が切れてしまうのではないかという不安が大きかった。


 シュンには周家への伝手つてが無い。


 この隠れ家が唯一三人が連絡を取り合う場であった。いや、紫珠という少年少女の隔離された場の中なら顔を合わす機会もあったのだが、二人がここを出て行けばそれも無くなってしまう。


 ——きっと加冠の前には知らせがあるはず。


 その時にカイ兄との連絡手段を決めれば良い。


 どのような方法が良いだろう?


 やはり紫珠にいるシュン宛の文が良い。実家では誰の目に触れるかわからない。念の為、女の名で文を書いていただけるだろうか?


 それに私から文を出す時はどうしよう?


 信頼できる小者こものでも居れば良いのだけれど、心当たりがない。


 白兄の方で用意してくれるだろうか……?





 つづく




 次回『南風のもたらしたもの』

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