第164話 南風のもたらしたもの三


 その日、ユウは自然と口元が緩むのを感じた。


 どこまでも底無しに深いケイへの羨望の沼に、突然美しい蓮の花が咲いたと思うほどの驚きと小気味良さ。


 廊下を足早に行きすぎながら、いくつもの講義室を見て回り、ようやくユウは目指す相手を見つけた。


「ケイ!」


 その呼び声に何やら嬉しそうな響きを持ってしまったのを彼は自覚している。


 廊下で捕まえたケイはユウの顔を見るなりにっこりと微笑むと別棟の綺麗な小部屋へ彼を連れて行った。


「ケイ、お前……こんな自室を学内に持っていたのか?」


 学内のざわめきも届かないその部屋はまさにケイの自室であるかに見えた。が、ケイはくすりと笑うとそれを否定した。


「まさか。ここは昔の女子学生の作法室だった部屋だ。リュウ先生に借りただけだ」


 柳先生と聞いて、ユウは不満そうな顔をした。柳先生と言えばその名の通りほっそりとした姿態の美しい女師範だ。もちろん女子学生担当なのだが、男子で彼女を知らない者はいないだろう。


 その先生にどうやって部屋を借りたのかはさておき、優美な椅子を勧められたユウは腰を下ろすなりいきなりケイを問い詰めた。


「噂を聞いたぞ」


「噂?」


 相変わらずにこやかに微笑んだまま、ケイは向かいの椅子に座った。肘掛けに頬杖をつく様はまるで絵のようにきまっている。


 その泰然とした姿に少し苛立ちながらも、興奮を抑えきれずにユウは前のめりになる。


「君の……出仕しゅっしの話は耳にしている」


「ああ、そのことか。伯父上に急に命じられて——」


「いや、いいんだ。その事は前々から知っている。今聞きたいのは別の噂だ」


「別の」


 ユウは舌舐めずりを一つすると、確かめるように問うた。


「君の従者が死んだというのは本当か?」





 つづく



 次回『南風のもたらしたもの四』

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