第135話 夜の闇にまぎれて


 物影に隠れながら進むシュンは、目の端に何か動くものをとらえて、そばの木立こだちに身を伏せた。木影から覗き見れば、小柄な少年がやはり物影を選ぶように走って行く姿を目にする事が出来た。


 ——あれは……シン!?


 なぜこんな夜中に、こんな所に?


 そう思ったが、声をかけるには遠すぎた。大声を出せば男子寮の衛士えいしがやって来るだろう。


 隠れるように移動するシンを見るに、無断で抜け出して来たのだと知れる。


 シュンはシンの後を追うことにした。


 ——やはりあの時、何かを話していたのだ。


 はやる気持ちを押さえ付けてながら、シュンもまた誰かに見つからぬよう夜の中を駆けていく。


 追いつければシンに詳細を聞くことができるだろう。


 見失わぬよう追いかけるが、シンはどうやら紫珠しじゅの正門を目指しているようである。


 ——門には衛士がいるはずだけど……?


 いかに王太子とはいえど——むしろ王太子だからこそ——軽々しく門の外に出す事など有り得ぬはずだ。


 ましてやこんな夜中に、生徒を外に出すわけが無い。それがまかり通れば学寮など意味がない。女子寮など存続できないことになろう。その厳しさが遠方からの生徒を預かる各寮の矜持である。


 それであるはずなのに。


「えっ?」


 シュンは驚いてうかと声を出してしまった。正門のそばの通用門に着いたシンは門の衛士に話しかけたのである。


 衛士は頷くと、なんと通用門を開けた。


 紫珠の門は、昼間は通学する馬車などの為に大きく開かれている。夕刻から大門おおもんは閉ざされ、あとは人一人くぐれる小さな通用門に衛士を常駐させ、非常時に使用されることとなる。


 それだとて師範や師父しふならまだしも、生徒の使用は許されない。


 その堅い紫珠の門を、シンは易々やすやすと通って出ていくのである。


 ——これは。


 これは『白兄はくけい』の——周家しゅうけの力に他ならない。


 シュンはすぐにそのことを察した。


 ——やはり、試合場で何か話をつけたのだ。シンと話をする為に……?


 いや、それよりももっと踏み込んだ事態が起きたら?


 シュンは肌が粟立つのを感じた。


 ——まさかそんな事は起きまい。まだシンは幼い。


 まだ、カイと入れ替わる事は無理なのである。


 ——ではいったい何の為にシンを外へ出したのか?


 わからない。


 シュンは耳をそば立てた。静かだ。馬のいななきも車輪のきしみも聞こえない。


 と、いうことは門のそばに馬車が待っていて遠くへ連れて行かれた訳ではないのだろう。もっと離れた所に馬車が待機していれば別であるが——。


 ——人の足で行ける何処どこかに呼び出されたのではないか?


 シュンはそう考えると、ぱっと身を翻し夜の学舎の間を走り出した。





「よくいらっしゃいましたね」


 いかつい衛士に通用門を通された後、門の外でシンを待っていたのは外門番の衛士と夜の闇に浮かぶ白い衣装の青年だった。


 涼やかな声を掛けて来たのは、昼間顔を合わせた『白兄』だ。


 忘れられないほど印象的な美丈夫。彼は月明かりにその姿を浮かび上がらせ、白い服は青く染まって見えた。


『白兄』は小さな布袋を衛士に渡すと、シンについて来いと目配せをする。


「あれは?」


「ふふ、まあ所謂いわゆる——賄賂わいろというやつです」


「金を出せばあの門はくぐれるのか」


「まさか。誰彼だれかれ通れるものではありません。あれは周家だから出来るのです」


何家かけは?」


「さあ?」


『白兄』はさも面白そうに笑うと、先へ先へと進んで行く。


「……貴族ってのはあまりものじゃないと思ってた」


「偏見ですね。それとも王宮暮らしで慣れてしまいましたか?」


「まさか。どこへでもついて行ってやらあ」


 話しながら歩いて行くと、やがて小さな橋に差し掛かかった。『白兄』はその手前の林へ足を向けるとその中へ入って行く。


 シンは一瞬立ち止まり、ごくりと喉を鳴らした。


 そして頭を振って迷いを捨てると、自分も林の中へと踏み入った。





 つづく


 次回『荒涼たる心』

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