第132話 カイの望むもの


 遠目に試合場の授与式を見ていたシュンは、王太子の前で拝手して膝をつく『白兄はくけい』と何かをこらえて立つカイを見て、思わず手で口元を押さえた。


 ——私は……浮かれて、何を。


 何をしていたのか?


 シンとあの二人が顔を合わせる事を防ぎもせず——。


 カイ兄もシンもどちらも救いたいなら、この遭遇を回避させるべきだった筈だ。


 少なくとも『白兄』はシンの顔を見て周公しゅうこうの計画の成功への確信を深めるだろう。


 ——今からでも何か、何か出来ないものか?


 シュンは試合場へ近づくために人混みへと飛び込んだ。




「ええと、これを——どうぞ」


 少年が差し出す色紙と桃の枝を『白兄』は手にする。それでいて視線は彼の顔かららさぬままだ。


「優勝おめでとうございます」


 シンはそう祝辞を述べたが、ふと目の前にかしずく青年と目が合う。白皙はくせきの美貌に亜麻色の髪——。驚いたことに瞳の色も明るい茶色に見えた。


 まるで物語の中に出て来るような貴公子の顔立ちに、あの花蓮お姉ちゃんが騒ぎ立てるのが腑に落ちた。


 しかしなぜそんなにも自分の顔を凝視するのだろうか。


 どこかいたたまれない気持ちになって、シンは『白兄』から目を逸らす。自然ともう一人の立ち尽くす黒衣の青年に目が行く。


 ——シュンねえが誉めていたもう一人の……。


「え?」


 黒衣の青年は着衣と同じ漆黒の髪に闇色の瞳。そしてその目は明らかに憎悪で爛々と光り、シンを射た。


 ——なぜ?


 なぜこんなにも憎まれるのか?


 シンは狼狽うろたえて再び『白兄』に視線を戻す。彼の主人である『白兄』ならば、何か納得のいく一言をくれるだろうか。


白兄ケイ』はカイが王太子を睨んでいるのに気づき、色紙を脇に納めながら、そっとシンに囁いた。


「うちの者が失礼を。この者はその身分ゆえに太子様に憧憬を抱いております」


 ——憧憬!?


 そんな目じゃあない。


 だが自分の出自を知っていて睨むのであれば納得がいく。貧民街で育ったことも知っているのだろう。市井しせいの少年が、ある日突然王太子になったのだ。使用人の身分の彼が、何かしら思う所があるのは当たり前かもしれない。


 シンはそう考えて前へ出た。『白兄』の脇をすり抜けて進む。


 ぎょっとしたのは『白兄』だ。


 ——なぜカイに近づく?


 止める間もなく、シンはカイの前へ出ていた。




「優勝おめでとうございます、『墨兄ぼくけい』」


 シンにそう言われ、カイの片眉が上がった。振り向いた『白兄ケイ』はそれを目にして二人の間に割って入るべきか迷った。カイの仕草しぐさは明らかに苛立ちを示していたからだ。


 シンにもそれは伝わったようで、他の者に聞こえぬよう声を落としてなおもカイに話しかける。


「なんで俺を睨むんですか? 俺の出自がいやしいから?」


 シンの少し砕けた口調は残念なことに親しみを込めたものではなかった。シンの方だとて睨まれっぱなしではしゃくに触る。


 その口調はカイを驚かすのに十分であった。意外だったのだろう。


 しかしすぐにけんのある目つきで睨み返した。


 ——俺はお前のせいで。


 そう言いたいのをこらえて、ただ目をらさないのが矜持きょうじであるとばかりにシンを見つめる。


 はちきれんばかりの緊張感に気がついているのはこの広い会場でただ二人——『白兄』とシュンだけであった。





 人混みをかき分けてシュンは試合場の端にたどり着いた。その中央の緋色の敷物の上では、シンとカイ兄が対峙している。


 その理由を知るが故に、シュンはこれを防ぐ行動を取らなかった自分を呪った。


 やはり、今からでも止めなければ。


「シン! カイけい!!」


 二人の名を呼ぶ。


 今のシュンにはそれしか出来ない。


 しかし祭りのような喧騒の中ではその声も届くかどうか——。


 シュンはもう一度叫んだ。


「シン! カイ兄——!!」




 シンとカイの間の張り詰めたものを解いたのは微かに届いたシュンの声だった。それはカイだけではなくシンも同様で、二人はそちらに顔を向けた。


 人混みに押されながら、何か叫ぶ少女の姿にカイは目を細め、迂闊な行動をしている自分を引き下がらせる冷静さを取り戻した。


 ——全く、俺はこんな所で何を……。


 しかしその気持ちを逆撫でする言葉がカイの耳に入った。


 シンが一言、


「シュンねえ——?」


 と、呟いたのだ。


 その言葉にカイの複雑な怒りが再燃した。


 ——あいつの名を俺以外の男が軽々しく口にするなど——!


 カイの口から思わず声が出た。


「おい、お前。俺と試合しあえ」





 つづく



次回『欺瞞』

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