第129話 黒白


「始め!」


 試合開始の声がかかったが、二人とも腰に付けた木剣には手をかけなかった。


 カイは両腕を組んだまま立ち、ケイは左手を形の良い顎にあてて思案顔をしていた。


 声をかけた審判がきょとんとした顔で二人を見比べる。何故なぜに決勝戦という大舞台でこの二人は動かないのか。


 そして周りで観戦している生徒達もまた、決勝戦という割には水を打ったように静まり返っている。


 その静けさに、逆に誰もが息を呑み、声を殺して二人を見守る。


 何か一滴、この湖面に落ちて来れば全てが動き出す——それほどに空気が張り詰めていた。


 やりにくい相手だ。

 やりやすい相手だ。


 相反する感情は木剣を構えぬ姿に滲み出ているようであった。しかし二人は動かない。


 いつしか会場中の皆がしんと黙り込んで、静けさが影を産む。


 そこだけ暗さが増した。


 いつ、どちらが動くのか、皆が固唾を飲んで見守る。


 ——ふと、風が流れた。


 誰が手放したのか、風に乗って一枚の手巾しゅきんが舞う。貴族の誰かのものか、或いは令嬢のものか——薄物うすものの手巾は、あろうことか対峙する二人の間に、落ちた。


 同時に地を蹴る足音が響く。


 剣を抜くその速さも相手との間合いの詰めかたも——同じ。


 黒と白の風が、舞台の中央でぶつかり合う。


 これが真剣であったなら、なおのことその衝撃に皆が後ずさる所であろう。しかし木剣という制約がそれを阻んで、いつもの組稽古の如く音高く打ち合うばかりとなる。


 ——慣れた動きだ。


 ケイは相手が様子見の打ち合いを選んだと思った。一合、二合、右、左、上——太刀筋を読んだつもりだった。


 ——何っ?


墨兄ぼくけい』の剣が思わぬ方向から伸びてくる。


 慌てて受けるが、その「慌てた」という事実がまた更にケイを焦らせた。


 その隙を相手は逃さなかった。


 ——一閃。


 上段から弧を描くように振り下ろされた木剣が、横様よこざまに受けようとしたケイの木剣を折った。


 ——馬鹿な。


 砕けた木片が飛び散る中、ケイは『墨兄』の目を見た。黒布で顔を覆っているだけに、そこから覗くその鋭い目付きは何者をも切り裂く鋭利なやいばであった。


 ——カイ?


 自分が負けるとしても、彼が相手ならばあり得ると思っていたが、こんなにも強烈な一撃を受けようとは考えもしなかった。


 それだけ、ケイに勝つ為に彼は渾身の力を振り絞ったのだ。


『墨兄』の木剣はケイの頭上でぴたりと止まった。





「……それまで!」


 審判がカイの勝ち名乗りを上げる。


 直後に試合場を揺らすほどの歓声が湧き上がった。




 つづく



 次回『王弟の立場』

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