第126話 白兄対呉游


「あっ!」


 ユウがケイの跳躍に驚いた声を上げる。


 彼の嫌う『墨兄ぼくけい』のごとき動きに虚をつかれたと言ってもいい。ユウは足をもつれさせながら後ろに下がった。


 色素の薄い亜麻色の長髪をなびかせて、再びケイが飛ぶ。


 狙われた頭上への一撃を、なんとか木剣を横に構えてユウは受ける。


 おそらくカイならそのまま力で押し切って一本取るところを、ケイはすうと退いた。


 どうの姿からせいの姿への変化に、ユウは幻惑される。


 ケイは下がった勢いで木剣をくるりと返すと逆手に持ち、つかでユウの持つ木剣の柄に絡ませて動きを封じる。慌てたユウはされるがままだ。


 そのまま一度柄でユウの剣をはね上げると、逆手の剣を彼の首に押し当てた。ケイの腕前なら真剣であったとしてもかすり傷一つつけない決め手であった。


 そして、首に刃を当てた時点で勝負は決まる——はずだった。


 それなのに。


 さも自分は斬られていないていで、ユウはかわしたふりをして木剣を構え直した。


 一瞬の間。


 ケイは自分の目を疑ったが、審判が判定を出さないので一歩下がって距離を取る。


 ——おそらく審判には死角だったのだ。


 それを見越してか、ユウは素知らぬふりを決め込んだのだ。まだ一本も手を出していない彼は、少しでもケイに打ち込みたいのである。


 しかし、会場はざわりと妙な音を立てた。





「ああ、今のは決まったと思ったのに!」


 天覧席で試合を見ていたシンが思わず声を上げる。シュンも同じ事を思い、形の良い眉を顰めた。


 ——……今のは……?


 高さのあるここからでは見づらいが、確かに『白兄』の木剣がユウの急所をとらえた様に見えた。




 そしてそれと同じ戸惑いが試合を見ている者たちの間でさざなみのように広がる。


 ——今のは?


 ——今のは?


 ——しかし師範は判定を出さなかったぞ。


 ——ならば決まっていないのではないか?


 ——いや、今のは。


 判然とせぬ気持ちが会場に広がり、試合場の間近で見ていたカイもその空気を感じ取った。


 黒布の下で口元を歪ませる。


 ——ちぇっ、ケイの奴逃げられやがって。俺なら奴のあごを跳ね上げている所だが。


 そうしなかったのはユウに恥をかかせぬためのケイの気遣いだったのだろう。カイにはそれがわかる。


 それなのに。


 ——あの阿呆には通じなかったわけだ。




 試合場の上のケイはユウの誤魔化しにがっかりした。それほどユウの事をいるわけではないが、あまりにも——あまりにも見っともない。


 ケイは剣を構えたまま、目を閉じた。


 それを隙と見たか、ユウが走った。軽い足取りで迫ってくるその音が、逆に感に触る。


 ケイは目を見開くと同時に木剣を振った。


 木剣同士がぶつかる鈍い音がして、ユウの木剣が宙に舞う。くるくると回りながら飛んだ剣は舞台袖の観客席へと向かい、慌てて逃げる生徒たちの間を縫って地に突き刺さった。


 しかしケイはそちらに目を向けてはいない。真っ直ぐにユウを見つめていた。


 少し怯えた目で、しかし口元は馴れ合いの笑みを浮かべてユウは空の手をさらして見せる。


「甘く見られたものだな」


 ケイは今こそ感情を消し、抑揚の無い声でそう言い放つ。その様相に、ユウはぞっとし、彼を本気で怒らせたことを悟る。


 ケイがじりっと一歩、前へ出た。


「参った! ……俺の負けだ!」


 情けない声を出して、ユウが尻を付いた。何も無い両手をケイに向け、負けを——反抗する気がない事を表明する。


 しかし、ケイはそれを無視した。


「誤魔化しが効くとでも思ったか?」


「ひっ……!」


「君は忘れている様だな。紫珠ここで唯一、君を叩きのめしてもとがめられぬ者が私だということを」


 ユウには甘えがあった。


 ずるいことをしても、長い付き合いのケイならば、もう一手だけ付き合ってくれるだろうと考えていたのだ。


 ——浅慮せんりょな。


 今日という日が何の大会であるのか、ユウは忘れているのか。


 天覧試合だぞ。


 ケイの瞳に青い焔がゆらめいた。





 つづく



 次回『白兄の怒り』

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