第122話 それは嫉妬でしょうか

 決勝進出を決めた試合場を背にしてケイが舞台を降りると、折よく目の前を黒装束に身を包んだカイが通り過ぎて行く。


 相変わらず人前に出る時は口元から鼻までを黒布で覆い、目元だけ出している。誰かを探しているようにその双眸そうぼうせわしなく動いていた。


「探し人か?」


 ケイに声をかけられて、カイは驚いて振りかえる。


「なんだお前か」


「なんだとは心外だな。てっきり決勝進出を祝いに来てくれたと思ったぞ」


「あ、悪りぃ。決勝の事は心配してなかった」


 それはお互い様だとケイも言い返したが、「それよりも」とカイに釘を刺す。


「王太子殿が来ている。みっともない試合をするなよ」


「は、わかってらぁ。あらがう気が無くなるような試合を見せてやる」


 カイは珍しくケイの神経を逆撫でするような笑い方をした。その冷笑はケイに向けられたものではない。それをケイは瞬時に王太子へのものだと理解する。


 自然と口から出たものであろうカイの笑いに不穏なものを感じつつ、ケイは誰を探しているのか問うた。


「いや、別に——」


「シュンか?」


「ちっ、違っ……」


「何を今更隠す必要がある?」


「隠してねぇ」


 ただ、シュンが自分の試合を観に来るだろうと思っていたカイは、彼女の姿を見つけられず、やや拍子抜けした気分だったのだ。


「決勝試合から来るのではないか?」


「そんな不真面目な奴じゃないだろ。何処どこかにいるのは思うんだが」


 と、何気なくこれ顔を上げた先にシュンの姿を見つけ、カイは目を見開いた。


 ——な、何やってんだアイツ⁈





 シュンはシリュウに背を押されたまま、競技場を見下ろす天覧席てんらんせきまで連れて来られた。


「ほら、入れよ」


 気安い声と力強い手に一押しされ、シュンは天覧席へよろけつつ足を踏み入れる。


 誰かがその気配に気づき、ぱっと席を立ち駆け寄って来た。


「シュンねえ!」


 そう言って抱きついてきたのはシンだった。





「久しぶり! 元気にしてた?」


 小柄なシンを受け止めつつ、無邪気に自分との再会を喜ぶ少年に、シュンは暖かいものに心が満たされるのを感じた。


 ——私なぞを慕って下さって……。


 シュンは心からの返事を返す。


「ええ、元気にしておりました。太子様こそ——」


「俺も、ソウも元気だよ。なあ、ソウ?」


 シンは振り返ってソウを見る。と、ソウが声を殺して笑っているのに気がついた。


 はっと我に返って自分の軽率な行動に気が付き、慌ててシュンから離れる。


 年上の女性に笑われるかと恐る恐るシュンの顔を見たが、彼女は優しげに微笑んでいた。ほっと安心して改まって挨拶しようとした時、遠慮がちな咳払いが一つ——。


 大臣である。


 困った顔でこちらを見ている。何せ自分の娘を差し置いて、別の女性と親しげにしているのだから。


 更に——。


 シンの隣に掛けていた花蓮カレンもシンを睨んでいる。


 ——なんで俺が睨まれるんだ。


「そりゃ、許嫁いいなづけを放っておいて、別の女性に抱きついたら睨まれるだろ」


 ソウが小声でシンに教えると、「違うわよ! ソウ!」と花蓮の怒号が飛んで来た。


「私が、シュンを呼びに行かせたのよ! なんであんたが私より先に旧交を暖めているのよ!?」


「はあ?」


「シュン! こっち来て!」


 花蓮が華やかな袖を振ってシュンを呼ぶ。そこへ大臣が割って入った。


「花蓮、よしなさい。王太子様どうぞお先に——」


「ぬぬぬ……!」


 花蓮の声にならない怒りを含んだ唸り声に、シンは慌ててシュンを差し出す。何大臣は娘の失態に頭を抱えて嘆いた。


 花蓮はシュンを隣に座らせると、彼女には見えないようにシンに向かって「イーッ」と舌を出した。


 それを見ていたソウは他人事のように笑い出し、父親である何大臣は真っ赤になってシンに頭を下げる。誰も居なければさすがに怒鳴りつけていただろう。


「す、すみませぬ。張春ちょうしゅんとは赤子の頃からの付き合いでして……」


「ああ、うん……平気……です」


 シンは仕方なく頷くと席へ戻った。


 元々はシンを挟んで花蓮と大臣が椅子にかけ、少し下がってソウが控える予定であったが、花蓮とシンの間にシュンが座る形になる。


 そんな座席の形など知らぬシュンは、上階から見下ろす眺めに感嘆の声をもらした。


「わあ、すごい」


「でしょう? 眼の前の試合場が決勝の舞台になるのよ。特等席よね」


 天覧試合なのだから至極当然なのだが、花蓮は自慢したくてたまらないらしい。


「シュンなら試合のよく見える此処を喜んでくれると思ったのよ」


「こんなにも良く見えるなんて……! すごいわね、花蓮」


 ——試合の……いや戦いの見え方が全く違う。


 剣を使う鍛錬をしているシンにとっても学びの場であるはずだ。シュンは傍のシンに声をかけた。


「シン太子も面白いでしょう?」


 シンも喜んで答える。


「そう、そうなんだよシュン姐。それに知らない奴の剣の使い方って勉強になるだろ」


「ええ、そうね。よくわかるわ」


 二人は顔を見合わせて笑った。





 顔を見合わせて笑い合うシュンとシンを見て、花蓮以外にも苛立いらだった者がいた。


 たまたま天覧席を見上げたカイである。そもそもシュンが座しているのは花蓮の席であるから、外部からも『王太子』と『何家かけの令嬢』がよく見えるように配置されていた。


 ——俺が探しているってのに、何やってんだアイツは。


 親しげに話をしている二人から目を逸らすと、その場を足早に立ち去る。


 ——チッ、見たくもねぇもんを見ちまった。


「似ていたな」


 追って来たケイが低い声で囁く。


「何が?」


 カイの苛立たしげな返事に、逆にケイが驚いた。


「何がって……太子とお前だ。見なかったのか?」


「……見た」


 見たが、カイは別な所を見ていた。それがひどく子どもじみている気がして口には出せない。


「気にしているのか?」


「何をだ?」


「……シュンと太子が同席していた事だ」


「ッ⁈」


 ようやく足を止めて、カイはケイの方へ向き直る。その目にはありありと動揺が見てとれた。


「だだだ、誰が気にしてるんだよ⁈」


「違うのか? 気にするな。逆隣ぎゃくどなりには大臣がいた。おそらくシュンの隣の娘が何家の息女だろう」


 何家の娘とシュンは仲が良いと聞いているから、シュンがあの場に呼ばれていても不思議ではない。


「そ、そうか。俺はてっきり——」


 ——王太子が呼びつけたのかと思った。


 心の声を読んだかのようにケイは彼を叱咤した。


「カイ、お前——そんなことを気にしていたら負けるぞ」


「馬鹿なことを! 昨年の借りを返すぞ、覚えておけ」


 黒布の間から除くカイの瞳の色が変わるのを見て、ケイは「やれやれ」と内心ため息をついた。




 次回『こころを隠して』

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