第113話 闖入者

 ——いつの時も、均衡を破る者はいるものである。


 この講義室の中の、一種独特の危うい空気を嗅ぎ取ったのか——それともシュンの事を何処どこかで耳にしたのか、上級生の一部がある日突然、この講義に参加して来た。もちろん講義の内容が目的ではない。


 一目ひとめシュンを見にやって来た、というのだろう。


 あまりの騒がしさにシュンがそちらを見ると、見覚えのある顔がその上級生達の中にあった。


 ——あっ!


 思わずシュンは顔をらして隠した。あまり顔を合わせたくない人物である。


 ——あれは……白兄はくけいの御学友……家の。


 自然と昨年の学内試合が思い出される。


 あの試合ではシュンは呉游ゴユウに追い詰められ、カイにすんでのところで助けられたのだった。思い返せば、あの時の自分をかばうカイの背に頼もしさを感じたものだったが——。


「お前が女だてらに上級科に来た奴か」


 聞き覚えのある、尊大な声。むしろ貴族の御曹司らしく美声であるのに、どこかざらつく声である。


 シュンが自分に話しかけられたのだと気づき、はっと顔を上げると、声とも同じく整っているのにどこか違和感のあるユウの顔があった。笑っているようで笑っていない目。そしてそれと同じ印象を受ける上級生の取り巻きを、以前のように連れていた。


 値踏ねぶみする視線でシュンを見下ろすユウと目が合う。そして


「ふん、童女こどもみたいな髪だな」


 と、鼻で笑った。


 それはまだ髪を結い上げていないシュンへの揶揄やゆであったが、シュンは思わず眉を寄せた。


 不快であったのだ。


 しかしそれを見たユウが嬉しげに笑う。


「悪くないな。いい表情かおをする」


 その不穏な物言いに、近くにいた楊丁ようていがシュンをかばって口を挟んだ。彼は下級科にいた時からのシュンの顔馴染みである。


「呉家の若君わかぎみ、この者はこう見えてちょう家の息女です。それ以上からかうのは——」


「張家? どこの張家だ? そんな姓はいくらでもある」


 ユウは楊丁の言葉をさえぎると、再びシュンに目を向けた。シュンはゾッとして身を引いたが、着席したままでは分が悪い。囲まれて逃げ場が無いのだ。


 シュンが逃げる素振りをしたので、案の定、取り巻きの二人がさりげなく彼女がとっていた席の周りを囲む。


 それでも立ち上がろうとすると、


「逃げるのか?」


 と半笑いしながらユウが邪魔をする。シュンは此処ここに木剣があれば叩きのめしてやるのに、と歯噛みした。


 遠巻きに周りの学友達がこちらを見ているが、呉家を恐れてか楊丁以外は口を出すのを控えている。その楊丁はユウを止められる立場の者を探すために、ぱっと講義室を出て行った。


「私の事を知っているか?」


 誰も口出ししないと見て、ユウは尊大な態度で聞いてきた。仕方なくシュンも返答する。


「はい」


「ほう、なかなか見る目があるじゃないか」


 ——なんと腹立たしい!


 知っているのは『白兄』の御学友だからだと言ってやりたかった。それに試合での卑怯さも知っていると付け足してもいい。


 しかしシュンが口を開く前に、取り巻きの二人がおべっかを言い始めた。


「やはりユウ様ほどの方は学内でも人目を惹きつけますからな」


「容姿端麗、武芸にも学問にも秀でていらっしゃいますから、当然かと」


 二人の世辞にシュンは吹き出しそうになる。


『白兄』ならまだしも、ユウには似合わぬ言葉ばかりだ。何より肝心な人品の良さというものが一言もあげられていない。世辞を言う方もそこが良くわかっているのだろうかと思うとシュンは笑いがこらえられず、それがつい顔に出た。


 ユウがすかさずそれをとがめる。冷たい声だった。


「何がおかしい?」


「いえ、別に」


 慌てて表情を消す。そこへ取り巻きがへつらうような笑い声を出した。どうやらシュンがユウに微笑んだとでも思ったらしい。


「ユウ様が武芸試合に出ていたのを知っているのでは? 女子の学舎からでも見ていたのでしょう」


「おお、あれは良い試合でございましたな。場をわきまえぬ参加者がいたのが惜しかったですが」


『場をわきまえぬ参加者』とは自分の事かカイ兄の事か。それを耳にし、一瞬にして頭に血が昇ったシュンは、言わなくてもよい事を口にしていた。


「思い出しました。『墨兄ぼくけい』に負けた御仁ごじんですね」




 つづく



 次回『飾り玉の青年』






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