波乱

第112話 穏やかな日々と

 ショウ国、紅華こうか十三年は早くも暮れようとしていた。


 重陽の節句以降、シュンは隠れ家に顔を出すものの、自然とカイと手合わせをする事はしなくなっていった。


 どちらが言い出したわけでもなく、ごく自然に変化していったとしか言いようがない。


 代わりにカイは今までとは違う事をシュンに教える。


 武具の良し悪しから馬の目利き、それから人を効果的に倒す方法——。


 いわば座学に近い教え方である。


 一方で武術の腕を鈍らせないようにシュンは一人剣を振る。そしてそれを知ってか知らずか、カイの代わりにケイが手合わせをする。この二人は得意な武器が長物ながものである為に、シュンにとっては良かったのかも知れない。


 一種の平穏である。


 誰が口にしたわけでもない暗黙のうちに成り立つ一つの均衡。それをもたらしたのは、カイとシュンのそれぞれが己を戒める為の決意にほかならない。


 それでいて言葉を交わす事で飢える事なく満たされる日々に、シュンは目眩めまいすら起こしそうであった。


 ——幸せである。


 胸の内から溢れる想いを、今の彼女はきちんと受け止めていた。


 恋情を口にする事なくお互いの想いを認め合える事があるのかと信じられぬほどである。ふと目が合えば照れくさそうに目を逸らすその人は、時折シュンの方が目を逸らしたくなるくらい穏やかに笑う時がある。そのような時は決まって自分の顔が熱くなる。


 ——きっと今私、紅くなってる。


 誤魔化ごまかすように顔に手を当て、さも考え事をしている風を装うが、恥ずかしくて仕方がない。


 時折、ケイがくすりと笑うのを目にするが、その理由には思い至らないシュンである。






 そのシュンの少しうとい所は普段の講義でも発揮されていた。


 最近、妙に席を譲られたり、椅子をすすめられたりするのだ。ごく自然と男子生徒達から始まったそれのきっかけは、誰が知ろう、あの重陽の節句の翌日からにほかならない。


 此処にいる誰も知ることのない、ひそやかなシュンの恋。


 それをなんとはなしに同じ講義を受ける者達が拾い上げた雰囲気——。


 誰も何も明確には意識してはいないが、ただ何となくシュンに親切にする——言い換えれば女子扱いするのは、『何となく』彼女が纏う雰囲気が女性らしくなってきているからだ。


 自然と女子扱いされる程、ごく自然にシュンは綺麗になっていた。百年かけて花開く神仙の牡丹が花をほころばせるほどにゆっくりと、シュンは美しくなっていく。当たり前の女性の装いをしていなくとも、誰もが何かを感じ取るほどに少しづつゆっくりと——。


 しかしそれを自覚しないのがシュンである。


 親切にされたと驚くが、その理由には思い当たらない。ただ時折講義室にさざめく男子の笑い声が、以前とはおもむきが違うことは感じている。不快ではないのだ。


 彼女に椅子をすすめた男子が、仲間内で揶揄からかわれているようだったり、羨ましがられているようであったりするが、シュンはそれが自分の変化に起するとは思いもしない。


 と、同時にそれは男子の方も明確ではない。


 彼らは彼らで無意識に、同期の一輪の花を皆で大切にしているのであった。




 つづく


 次回『闖入者』

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