第110話 光ある場所ならば

 なんで急にこんな事に。


 隠れ家から御堂みどうを抜け、旧校舎の廊下に出たカイとシュンは並んで立ちながら同じ事を思った。


 二人の間にケイがいるから、気まずい二人が普通に話せるのだ——なんでそれがわからないのだとまたもや同時に二人はケイを恨む。


 無言で数歩進んで、あまりの気まずさにシュンの頭の中は真っ白になる。何か程よい話題はないものか。先程の良い雰囲気を保ちつつ、二人の関係に踏み込まぬ話題を探してシュンは黙り込む。


 その横で歩くカイも何を話せば良いのか途方に暮れて、シュンの様子を伺うばかりだ。


「あ」


「なんだ?」


 シュンの動きを見過ぎたために、彼女の小さな呟きを耳にして、カイは反射的にすぐ返事をしてしまった。


「え……と、カイ兄は何か夢のようなものはありますか?」


「夢?」


「そ、そうです。もしも、周公しゅうこうの事が無ければ、どの様な事をなさりたいのか——?」


「…………」


 暗がりの中、シュンの問いに対してカイがどんな顔をしているのか分からず、シュンは余計気まずくなった気がした。慌ててその質問を取り下げる。


「すみません、なんでもありません」


 周公の名を出すのではなかった——そう後悔してうつむくが、少し遅れて、


「……旅をしてみたい」


 と、はにかんだような答えが返ってきた。今、カイ兄はどんな表情をしているのか、シュンは気になったが暗い廊下では判然としなかった。


「旅、ですか?」


「ああ。ショウ国を出るって考えた事、ないだろ?」


「はい」


 普通は国境を越えるのは商人である。身を立てるために他国へ渡る者、学びの場を求める者。或いは国に居られなくなった者。戦が有れば軍隊か。


「でも商人でなくとも、お前の知ってる『伯焔公はくえんこう』殿みたいに諸国を巡る人だっているだろ」


 見えないと思っていたカイ兄の顔が見えた気がした。シュンは彼のたのしげな口調に、そっと微笑む。


「俺はいろんな所を見てみたい。うん、それだな」


何処どこか行ってみたい場所はあるのですか?」


「そうだな……北海ほっかいは見てみたいな」


「北の……?」


「書物で読んだだけだが、はるか北方では海が凍るっていうんだ。俺はそれが見てみたい」


 一瞬にして少女の瞳にその光景が浮かぶ——。


 黒衣の青年が白い雪と氷に閉ざされた北の大地をきその最果てに辿り着くのを。冷たい風にさらされながら、行き着く先に在るのはこごった荒れ狂う黒い海。


 ——幼い頃耳にした『伯焔公』の北国の話のせいだろうか。


北狄ほくてきの国を越え——まさに『海角天涯かいかくてんがい』ですね」


「——世界の果て、か」


「……私も、行ってみたいです」


 思い切って言ってみた。


 叶わぬ夢と知りながら、何処か叶う気がして。


 カイから戸惑う気配が感じられ、また暫しの無言の時が生まれる。


「おい、もしもの話だろ」


「今くらいそんな事を言ってもいいじゃないですか」


「……わかった、この廊下を抜けるまでな。いいぜ、連れてってやる」


 連れてってやる——。


 カイのその言葉が胸に響き、闇の中でシュンは一人頬を染める。


 連れ去られてしまいたい。きっと北の果てには何も無い。政治も策謀も何も無い世界——。


「や、約束ですよ」


「なんだよ、真剣だな」


「私、カイ兄の夢は叶うと思います」


 それは願いだ。


 祈りを込めて、シュンはそう願った。





つづく


次回『月光と暗闇と』

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