第109話 月見の宴


 何もさえぎるもののない今夜の空は、誠に絶景であった。白銀の真円が輝き、あたりは真昼の如くその姿を照らし出されている。何もかもが青く染まり、それでいてくっきりと映し出されていた。屋根の瓦も草原に揺れる草も遠くの森の影も——一つ一つが鮮やかに目に映る。


「月は遙かなる都——と詠った歌人がおられましたね」


「月宮殿か。今宵の月はまさにそれだな」


 シュンとケイの会話を耳にしながら、カイは酒を口へ運んだ。


 ——月の光は好きだ。


 陽の光の中を顔を隠しながら歩く自分にとって、夜の世界はまた他人とは違う意味を持つ。自分は闇の中で生きて行く存在なのだとずっと思っていた。


 王太子と入れ替わって陽の光の中へ歩んだとしても、それは自分ではない。明るくともその行く路は闇路に等しいのではないか。


 だから夜道も明るく照らす月光は、自分の行く路に何か別の希望をもたらす気がして好きであったのだ。


 そういう意味ならば、かの周公しゅうこうたくらみを打ち砕かんとする彼女もまた、カイにとっての月光である。


 月の光に浮かぶ、すぐそばのシュンの横顔をそっと眺めながら、カイはまた彼女のことを「綺麗だ」と思う。


 なんで他の奴は気が付かないのか。


 いや、気づかれぬ方が良いか、と思い直して、また一口酒を口にした。


「静かだな、カイ」


 ケイは彼がシュンの姿を眺めているのを知ってか、からかい気味に声をかけた。


「……別に」


「聞いてください、カイ兄。白兄はくけいは今夜の招待状を御自分で女子寮まで持っていらしたんですよ」


「ふっ、そうらしいな」


 カイも思わず笑う。女子寮の皆が騒ぐのが目に浮かぶようだ。思えばケイは自分の為に気をまわしてシュンに招待状を出したのだろう。


「さぞかし騒ぎになったんだろうな?」


「それはもう。その場にいた皆がこぞって私の部屋へ来たんです」


 カイは笑いながらケイを盗み見た。今度は彼が一人月を見上げていた。


 ——ケイの考えもわからない。


 自分とシュンを引き離そうとするかと思えば、またこうやって間を取り持つような事をする。彼もまた迷いの中にいるのではないか。反旗を翻すべきか大人しく従うべきか。


 ケイはうべきものが多すぎるのだ。


 多くのものを守ろうとしている為に周公に従わねばならぬのだと、カイは知っている。


「でも誰も『白兄』が本当にお前を招待したとは思ってなかっただろ?」


「むう……当たりです。招待状に場所が記してない事を説明したら、皆引き上げていきました」


「くっ、笑える」


「わ、笑わないでください」


 シュンはそう言ったが、カイと自然に笑いあえたことを素直に嬉しいと思う。


 カイは再びシュンをからかうように言った。


「——それで、お前の女子学科の話を聞かせろよ」


「っ!! だっ、誰に聞いたんですかっ!?」


 カイとケイの笑い声が夜空に響いた。








「さて、そろそろおひらきだな」


 ケイがそう言って立ち上がる。シュンもそれにならって立ち上がる。眼下に広がる夜の草原は月明かりに照らされてどこまでも白かった。


「今夜は楽しかったです。白兄、ありがとうございました」


「……君も上級科で忙しいと思うが、たまに隠れ家に顔を出してくれれば、私達も嬉しく思う」


「はい、御迷惑をおかけしました」


「迷惑などとは思わない。三人揃って誓いの杯を交わした仲間だ」


 まだ仲間と言ってくださるのだ、とシュンは胸が熱くなった。無言で頭を下げる彼女を見てから、ケイはその向こうでまだ月を眺めているカイに声をかけた。


「カイ、旧校舎の中は暗い。シュンを送ってやれ」




 つづく




次回『光ある場所ならば』

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