第107話 貧民街


 重陽ちょうようの節句を明日に控えたその日——。


 節句の当日は王宮での儀式や宴が控えているので、その前日にシンとソウは以前からの計画通りにみやを抜け出した。


 身なりを町人の子息風に整え、木剣を携えて、懐にはこっそりと金に換えるための翡翠の飾りを忍ばせた。


 警護の隙間を縫い、商人用の通用口から仕事見習いの小僧のふりをして外にまぎれ出る。どこの商人の物かもわからぬ荷車を押しながら、シンとソウは王宮を抜け出したのである。


「何か買ってくか?」


「うん……いや、身軽な方がいい。まずみんなに会いに行こうぜ」


 ソウはシンの言葉にうなずくと、そっと荷車を離れ、二人で走り出した。





 王都は広い。


 シンとソウが知っているのはその一部であるが、聞き覚えのある街の名前を辿たどって行くと、不意に見覚えのある路地に出た。


「シン、俺たちの街まであと少しだ」


「うん」


 頷きながら、ふとシンは不安になった。何かがおかしい。その違和感をぬぐえないまま、シンは走った。


 ——街のにおいが違う。


 長い間離れていたからそう感じるだけだと思いながら、あまりにも街の雰囲気が違う。


「おかしいぜ、シン」


 ソウも気がついた。


「綺麗すぎる」


「……道を間違ってないか?」


 問われたソウは首を振る。自然と二人の歩みは遅くなり、とうとうその動きを止めた。


「いつもはここに足の悪い爺さんがいて……」


 貧民街は弱者の街だ。貧しい者、病にかかった者、身を損ねた者、捨てられた子どもや年寄り、ごろつき、悪漢——そんなものが寄せ集まって出来ていた。


 なのに。


 シンは自分の知っている街が変わっていることに恐怖を覚えた。


 ——……何ヶ月、いや一年か。俺、何してたんだ……。


 焦りと恐怖から今度は足が速くなる。目指す街角はすぐそこだ——。




 少年達は立ち尽くした。


 耳が割れるような喧騒に溢れているきらびやかな街が目の前にあった。


「なんだ、ここ……?」


 ソウが呆然と呟く。


 そこにあったのは、貧民街ではなく活気にあふれる商店街だった——。





 シンとソウの二人は人混みではぐれまいと手を繋いでいた。それは一種、不安を押し殺すための行為であったのかもしれない。必死で根城にしていた建物を探したが、それもすでに建て替えられ、中にいた強欲な婆さんも人好きのする宿屋の主人にとって代わられていた。


 聞けば半年前に宿を開いたばかりだと言う。おり良く適度な値段で売りに出ていたそうだ。彼が来た時にはすでにおろしの商店街が立ち並んでいたと言い、この辺りの店もその頃に入った店ばかりだと聞いたとシン達に教えてくれた。


 シンは唇を震わせながら、宿屋の主人に尋ねる。


「前にここに住んでいた人たちのことは……?」


「知らないねぇ。ここいらのは全部半年前に入った者ばかりだな」


「でも、いたんだ!!」


 シンが声を荒げる。主人が驚いて後ろへ下がった。


「みんないたのに、どこ行ったんだよ⁈」


 流石に無礼な子どもに対して、宿屋の主人が何か言おうと口を開きかけるのを、ソウがそつ無く制する。


「ま、ま、おじさん、ありがとな」


 シンの胸を軽く叩いて宥めると、ソウは愛想良く礼を言って店を出た。それから真っ青なシンの顔を心配げに覗き込む。その覗き込んだ目が、ソウを責めるような色を帯びた。


「なんだよ?」


「お前、みんなが心配じゃないのか?」


「心配に決まってるだろ」


「じゃあなんでそんなに平然としてるんだよ!」


「してねえよ!」


 二人してあの宿屋の主人を責め立てろとでも言うのか。そうしたところで、あの男は何も知らないだろう。


 言い争いになって、反射的にシンはソウを睨む。


 わかってはいる。わかってはいるが、誰かにこの焦りと不安をぶつけたいのだ。それを察してか、ソウは声をやわらげて話しかけるのだが——。


「街ひとつまるまる入れ替えるんだ。そんなこと出来んのは——」


「うるせえ!!」


 シンに怒鳴られて流石にソウも顔色を変える。しかしシンが怒りをぶつけているのはソウではない。ましてや大臣でもなかった。


 自分に——である。


 何故もっと早くここへ戻らなかったのか。何をのうのうと過ごしていたのか。ぬくぬくとした場所で笑っていられたのか。


 シンは唇を噛んだ。





「落ち着けよ。多分、いや絶対、大臣のやったことだろ」


「……そうだろうな」


 頭に昇った血が引いてくると、シンはようやく大臣のした事が見えて来た。


 シンは自分がまとめていた孤児達の一団を、城に行く自分達の代わりに大臣達に守り育てて欲しいと思っていたのだが、彼はそうは受け取らなかったのだ。


 大臣が引き受けたのは、孤児達に暮らしを与える——貧民街で泥棒まがいの暮らしをしていた子どもらを何処どこかに引き取らせたのだろう。奉公人か使用人か、見目が良ければ養子に——。


 それはシンの願う形ではない。今になってこんなにもみんなが恋しいなんて。


 大臣はシンの仲間達を貧民街よりも良い暮らしが出来るところへ引き取らせて、そののち街を潰したのだ。


「落ち込むなよ。あの人だって、あいつらを酷い目に合わせたら俺たちが反抗する事もわかっているだろ。ちゃんと記録を取って——」


「もういい」


 慰めようとするソウの言葉を、シンは途中で止めた。ソウの細い目が開く。シンは目を合わせないように呟いた。


「俺は心の何処かでここへ戻って来るつもりがあったんだ。たくさんの土産を持って、あいつらを喜ばせる……そんな事を考えてた」


「……いつも言ってたもんな」


「俺が戻りたかった街は、もう無いんだ」


 王太子の帰る場所が貧民街では困る。ましてやそこをおとなうなど。


 大臣は何食わぬ顔でシンの未練を断ち切ったのだ。


 愕然とするシンのそばで、いきなりソウが身をひるがえした。驚くシンに向き合うと、ソウは、


「俺は何大臣やつに聞くぜ。皆をどこへやったのかって」


「外に出たのがバレるぞ」


「もともと承知の上じゃねぇか、どうしちまったんだよ、シン!」


「……ソウ、俺たちは——俺は人質を取られてんだよ」


 その言葉に再びソウの細い目が開かれた。ついでにけくっと喉を鳴らし、変なものでも飲み込んだような顔をしている。


 ——人質にはソウも含まれるのかも知れない。


 シンはソウの顔を見つめながら言葉を繋いだ。


「心配するな。俺が皆を守る。離れていても——な」





 次回『重陽の節句』

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