第102話 シュンの不在


「はぁ?」


 カイは思わず茶器を落としそうになる。


「なんで俺が謝んなきゃならないんだよ」


「いや、どう考えてもお前が悪いだろ」


「う……」


「さっさと行って来い」


「……こ、断る」


 まるで駄々っ子だな、とケイは思ったがその駄々っ子の顔を見ると子どもの頃に帰った気分になる。一瞬だけ遠い昔に戻った気がした。身分も策謀も悪意も何も無いあの頃に——。


仕方しかたない。では、私が行ってこよう」


 さも仕方なさそうに立ち上がるケイの姿を見て、慌てたカイが声を上げる。


「おいおい、待て。何でお前が」


「部下の不始末は主人の不始末、と言うではないか」


 だから私が謝ってくる、とケイが背を向けるとカイは、


「わかった、俺が行く! だからお前は首を突っ込むな!」


 と吠えた。


 それはそうだろう。自分のしでかしたことを友人に謝りに行かせるような真似はカイには出来ない。


 ——まあ、向こうも怒ってはいないだろう。


 優美な友人は心の中でくすりと笑った。






 ところが意外なことにシュンが見つからなかった。


「なんだよ、アイツ何処どこにいるんだよ!」


「せっかくお前が謝る気になったのにな」


 ケイに揶揄からかわれ、カイは噛みつきそうな顔をする。


「悪い人相がますます悪くなるぞ」


「……んだとう?」


 けわしい目つきが更に吊り上がる。ケイをひと睨みすると、カイはどかっと床に胡座あぐらをかいた。


「なんでどの講義にも出てねぇんだよ!」


 カイはシュンが隠れ家に出て来ないので、彼女がとっていそうな講義をあたったのだが、どの講義も外れであった。


 これには正直、ケイも予想外である。


「あのは講義をさぼるようなことはしないと思うが」


「他の奴らに聞いたが、ここ数日、講義には出てないと言っていたぞ」


「ああ、そういう意味ではなく、寮でひとり何かをするよりは、何かしら鍛錬をするか講義を受けるかするという意味だ」


 寮に篭っているなら流石に二人とも訪ねるのに躊躇する。


「まだ、下級生の武術科は見ていないだろう。お前は其方そちらを見て来い。私はもう一つの心当たりを見て来る」


「……なるほど、去年の在籍科か」


 で時間を潰している可能性はある。カイは頷くと下級生の道場へと足を向けた。





 カイが下級生の使用する道場をこっそり見に行くと、どの道場も賑やかに稽古をしていた。数十人単位で剣や杖(長刀なぎなた大刀だいとうの基本)、弓など様々であるが、その何処にも目指す相手の姿は無かった。


 淡い期待を抱いていただけにカイは道場を巡るうちに次第に落胆していく自分に気がつく。


 ——もしや『家』に帰っているのではないか。


 それが最も当たり前に思えて来た。


 自分の様な、大した身分の無い男に触れられたなら、貴族の令嬢など怖気おぞけをふるって逃げ出したとしても不思議はない。


 カイは自分のその立場がひどく汚らわしいものにさえ思えて来た。ケイがいつも身分の差を超えて接してくれることを、シュンも同じだと勝手に思い込もうとしていたのではないか。


 自分に都合良く受け取っていただけで、彼女にはケイの使用人としか映っていなかったとしたら?


 ——いや、そんなはずはない。


 そうであればあいつは『割符わりふ』なぞに手を出したりはすまい。


 それとも、何も知らない子ども特有の正義感で首を突っ込んだだけだったのだろうか。


 自身の身に迫る『男』に現実を知って、厭うたのではないか。


 ——所詮、身分違いであった、か。


 カイは自分の視界が暗くなるのを感じた。





「戻ったか」


 隠れ家に入ると、ケイがすでに戻っていて優雅に座していた。カイは首を振ってシュンの不在を告げたが、反対にケイは明るい声で、


「シュンの居場所がわかったぞ」


 と告げた。


 反射的にカイは顔を上げるが先程の考えが頭をよぎる。何か言おうと思ったが、声にならなかった。


何処どこにいたと思う?」


「……寮か? 実家か?」


 ——ケイには俺の気持ちは分かるまい。


 彼の身分ならシュンともつり合うだろう。早く気持ちにケリを付けなければ、傷つくのは自分だ。


 初めて表に出した心情を拒否されるのは、カイにとってはひどく辛かった。


 そんなカイの気持ちなど気付くことなく、ケイは口の端を軽くあげて続けた。


「実家? ああ、その線は考えなかったな。安心しろちゃんと学内にいる」


「……」


 それを聞いてカイは安堵した。少なくとも実家に帰るほどの事態ではないようだ。


「学内の何処だと思う?」


「いや、全く見当も付かん」


「だろうな。私もまさか本当にそこに居るとは思わなかった」


「勿体ぶらずにさっさと言えよ」


 胸の奥に燻った何かに苛立ちながら、カイはケイを睨んだ。しかしケイはそれを受け流し微笑んだ。


「怒るな——女子の学科を受けていた」




 つづく




次回『苦手な場所』

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