第101話 忘れられぬが故に


 しかし翌日もシュンは隠れ家に現れなかった。


 それが気になるのか、カイのやる気の無さといったらなかった。


 ケイがそっと見ていたところ、カイの苛立ちには波があって、急に立ち上がったかと思うと部屋の外へ出て行ったり、せわしなく動いているかと思えば動きを止めてぼうっとしていることもある。


 落ち込んでいるのか、怒っているのか——。


 ケイは「鍛錬しないのか?」と問うてみた。


「……」


 カイは無言でケイを見返すと、そのまま床にごろりと仰向けに寝転んだ。


 ——気が乗らないか。


 ケイは一人困ったように首を振ると、そのまま外へ出た。大刀だいとうの練習をする為だ。


 ——あんなカイは見た事がないな。





 ひととおり型を修めると、ケイは大刀をしまう為に隠れ家に上がった。そこには所在無さげにうろうろするカイの姿があった。


「ふ、ふははっ」


 思わずケイが笑い声を洩らす。まなじりを釣り上げたカイに睨まれたが、痛くも痒くもない。


「なんだよ。何が可笑おかしい?」


「お前が鍛錬をさぼっているのを初めて見た」


「さぼったわけじゃねえ。今からやる」


「それが良い。今は走る事を勧めるぞ。裏の草原を駆けてこい」


「なんでだよ」


「今のお前に一番合っている。騙されたと思って走って来い」


「……」


「走って来たら良い事を教える」


 ケイは白皙はくせきの整った顔に人の悪い笑顔を浮かべてそう言った。





 ケイの言葉につられたわけではないが、陽が落ちかけた草原は風が出ていて走りやすかった。


 見慣れた風景。


 まだぬるい空気。


 時折そよぐ冷たい風はいったい何処から来るのか。


 そのうちに何も考えなくなる。ひたすら走って、何のための鍛錬かを思い出し、身体の隅々まで神経を働かせて行く。


 強くある為に。


 強者に喰われるままにならぬ為に。





 ひたすら走って隠れ家の下まで戻り、水を浴びる。頭から水をかけて、汗を引かせると、いつものように半身をあらわにして梯子段を登った。


 なるほど、体を動かせばくだらぬ雑事は頭から出ていくのだなと考えながら室内に戻ると、ケイが茶を淹れていた。


「気が利くな」


 茶は高価なものである。裕福なケイとシュンがいるからこそ、この隠れ家でも楽しめる物だ。


「まあ、飲め。熱くはない」


 いつもなら香りを嗜む作法を練習させられるところだが、走って来たばかりのカイに対して、ケイはそこまでは要求しなかった。


 素直に器を受け取ると、カイはそれを口に運んだ。清涼な香りと少しの苦味がカイの中を駆け抜けていく。


「……それで、さっきのはなんだ?」


「さっきの?」


 とぼけたケイの返事に、カイはむっとした。


「走って来たら良い事を教えると言っただろ?」


「ああ」


 そう言えばそうだったとばかりにケイは膝を打つ。カイへ真顔を向けると、ケイははっきりと告げた。


「お前、謝ってくるといい」





つづく




次回『シュンの不在』

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