第93話 隠し場所


 シュンが寮に戻ると、明花めいかがやって来た。


「シュン姉様」


「明花、どうしたの?」


「いえ……」


 シュン姉様の顔色が明るい。明花はそう思ったが、どこかに少し影を感じた。何も知らないはずの彼女が、シュンの心の迷いを感じ取ったのかも知れなかった。



 一人自室に戻って、シュンはしょうに腰掛けた。ふところからカイに渡された『割符わりふ』を取り出してぼうっと眺める。


 シュンは自分では腹を決めた気でいたのだが、そこにはまだ曖昧さが残っている。


 カイけい達を救いたい。そしてまた一方ではシンも王位につけたい。


 今更ながらこんな児戯じぎ周公しゅうこうが乗ってくれるだろうか?


 シンが王位につく。そして周公の言いなりになる?


 花蓮カレンが王妃につけず、何家かけ派が弱体化する?


 そうなる前に周公に王位簒奪おういさんだつを諦めさせねばならない。


 そう、彼の企みは天に唾を吐く行為ではないか。


 ——ああ、それなのにカイ兄達は。


 大臣にも父にも何も打ち明けなかったのは、ひとえに彼等を案じてのことだ。


 自分の中にこんなにも相反する気持ちと行動力があるとは思いもしなかった。


 その矛盾がシュンの思考を鈍らせる。


 今まではこんな事は無かったのに。


「……これはシンに返さなければ」


 シュンは割符を再び紫色の布で包むと、そっとしょうの寝板の間へ滑り込ませた。




 ショウ国にも夏が来た。


 象国の夏は湿気があり暑い。東側の大海の湿気が入ってくるせいだとも言われるが、象国自体が山河に恵まれた水資源豊かな国であるからだろう。


 多湿であるため植生も豊かだ。その西方には荒涼とした土地も広がっているから如何に象国が数ある大陸の国の中でも稀有であるかわかるというものだ。


 しかし、暑いものは暑い。


 人々はさまざまな方法で涼をとる。


 街中に水路を廻らせているのもその一つだ。広場には大きな人工の池や噴水もある。大きな水路には荷を積んだ小舟が通り、馬の為の水場もある。


 水路があるのは王宮の中も同じで、あちこちに清らかな水が廻らされ、涼しさを感じさせる。


 シンの住む東宮も夏の暑さは変わらなかったが、石造りの宮はひんやりとして割合涼しい。彼が扇を持って窓辺で涼んでいると、ソウが部屋に入って来た。


「よう、ソウ。暑そうだな」


「お前だって暑いだろ」


「まぁね。……紫珠から戻ってから、暇そうだな?」


「うーん、そうでもないけどなァ」


 ソウののんびりとした返事を聞きつつ、シンは窓から外に目をやった。


「……最後にシュン姐に会った時、様子がおかしかった気がしなかったか?」


「そうか? 俺はわかんなかったよ」


 少し前——本格的に夏に入る前に、シンは教練校から王宮に戻って来ていた。馬車に乗る前に、なんとかシュンに挨拶をしに行ったのだが、シュンの様子がいつもと違う気がしたのだ。


「なんか、言いたそうな……隠し事があるような……そんな気がしたんだよな」


「ふうん」


 ソウにはあまり興味が無い話題であったようだ。しかし、シンはこの友人にはまだ言っていない事がある。


 その別れ際にシュンに小声で、


「困った事が起きたら、知らせてくださいね」


 と、言われたのだ。まるで困った事が起きるのを知っているみたいに。


 ——困った事。


 割合、多いんだけどな。


 勉強でわからないところがある。

 使用人達に陰口を言われる。

 馬に乗れてない。

 剣の稽古が出来ない。


 思うように行動出来ない。


 ——とは言え、紫珠へ行って、良い事もあったな。


 シュン姐に会えた。

 参岳の事も理解して仲良くなれた。

 甘凱もそうだ。

 参水という師にも会えた。

 それと少しの顔見知り……友人らしきものも出来た。


 少しだけ口の端をあげて知らず知らずの内に笑顔になる。そこでシンはふと何大臣の事を思い出した。


 ——何か重要な話があるって言ってたな……。


 シンは面倒くさそうに扇を放り投げた。





 つづく



 次回『隠れ家の夏』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る