第86話 張家でのシュン


 久しぶりの実家——張家ちょうけの屋敷では長女の帰宅により一際ひときわ騒がしくなった。


 父・張玄ちょうげんは幸い出仕していて不在であるが、母と弟がうるさかった。


 うるさいと言っても母は喜び、弟は自由気ままな姉に「ちゃんとしろ」と小言を言うくらいなものだ。


何家かけ花蓮カレンに呼ばれている」と言うと二人とも「ああそうか」と引き下がる。花蓮の威光は何者をも寄せ付けないのだ。


 しかし実際にはそんな予定もないシュンは、こっそり花蓮への手紙を持たせて使用人を遣わせた。


「返事はその場でもらって来るように」


 そう言い含めて送り出す。


 花蓮は在宅しているはずだが、もしかしたら行き違いになるかもしれない。シュンは返事が来るまで一日、いや二日は待つかもしれぬと腹を据えた。





 シュンはその日一日を勉強と剣の稽古に費やして時間を潰した。落ち着かぬようで、それらの合間には珍しく手持ちの服を並べて思案している。


 動き易く、それでいて華やかなもの。決して派手過ぎず、清廉な印象を与えるもの。


 いつでも着替えられるよう服を選ぶと、また机に向かう。講義を休んでいるのだから遅れる分は取り戻さねばならない。


 とはいえ時折部屋を出て花蓮からの返事は来ていないかと使用人に問いただしたりもする。


 ——全くもって落ち着きがない。


 白兄が見たら、そう評するに違いない。シュンは自嘲気味に一人で苦笑いを浮かべた。




 日が傾きかけた頃、ようやく待ちに待った花蓮からの返事が届いた。


 シュンは手紙を開くと一読し、ほっと小さなため息をついた。そして足早に部屋を出ると母の元へ行く。


「母上、明後日あさって、何家に遊びに行きます」


 母は刺繍をしていた手を止めて、顔を上げた。


「あら、向こうのお嬢様に呼ばれたらすぐ行くかと思っておりましたのに」


「ええ、明後日は大臣殿がいらっしゃるとの事でした。私の進学についてのお力添えを頂いたのに、御礼をせねばと思っていたのです」


 それを聞くと母は刺繍針を針山にぷすりと刺して作りかけの布地をわきにやった。


「その件は……わたくしは反対でしたのよ、シュン。貴女のお父上も。それなのに急にそんな事が決まって、驚くばかり。それなのに貴女は滅多に顔も見せないし。未だにそんな男の子のような口の利き方をして、これからどうするおつもりなの?」


 相変わらず長々と愚痴る母に辟易しつつ、シュンは至って真顔で答える。


「どうするかは何大臣殿に相談して参ります」


 何大臣の名はこの家では免罪符だ。ぴしゃりと言い切ると、シュンは眉をひそめる母の部屋を辞した。




 さて、いざ何家へ行くとなると——しかも何大臣その人に会えるとなると、手ぶらで行くわけにもいかない。


 花蓮の好きな甘味は——練りあんのたっぷり入った揚げ胡麻団子は——屋敷の料理人に作らせるが、さて大臣への手土産は何にしたものか。


「父上に聞くのが良かろう」


 と、翌朝、出仕前の父を捕まえて聞いてみると、なんと父は「自分も行く」と言い出した。


 戸惑いつつ、シュンは素直に礼を言う。


「それは……願ってもない事です。私一人で失礼があっては、と思っておりました」


 娘に頼られたのがよほど嬉しかったのか、父は足取りも軽く屋敷を出て行く。


 その後ろ姿を見送りながら、シュンは胸を痛めた。


 自分が考えていることを、父が知ったら、失望するだろう。


 父の嘆きを思うと、ここまでたくらんで来た事を全て捨てて辞めてしまおうかとも思う。


 だが自分で決めた事を投げ出すのもまた嫌である。


 シュンは姿の見えなくなった父に背を向けると、父に言われた通り何大臣への贈り物を用意するよう使用人頭に命じた。





 つづく



 次回『再び何家へ』

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