あの場所に戻る為に

第85話 白兄の戸惑い


「講義に出ていない?」


 ケイは、シュンが取っている講義の終了を見計みはからって、講義室を訪ねてみたのだが、どうやらシュンは講義には出なかったようである。


「何か御用でしたか?」


「いや、何でもない」


白兄はくけい』が訪ねてきた事に驚いてる生徒に手を振って、何事も無いと強調すると、ケイは講義室を離れた。


 ——やはり昨日の事が尾を引いているな。


 心配しつつも、カイが「来るな」と言ったのであれば、それは仕方がないとも思っている。


 これ以上自分達に関わらねば良い。何もわざわざ悪事に加担する事もないのだから。


 逆に王太子側につくだろうか?


 それもないだろう。


 あちら側に打ち明ければ、ことが事だけに関わった者を死罪にするくらい、大臣は容易たやすく行うだろう。


 それはシュンの望むところではあるまいが、そんな事をしない様、釘を刺す必要はある。いや、カイの仕打ちの言い訳をしなければなるまい。


 ケイは女子の講義室へと足を向けた。




『白兄』がその場に姿を現すと、皆の視線がその一点に集まる。


 背が高く眉目秀麗、整った顔立ちに白皙の頬、亜麻色の髪は西方の血が混じっているかと思わせる。


 装いもそれに合わせた白と金糸の服だ。上質な布と仕立ては誰の目にも彼が高貴な出自とわからせる。


 故に『白兄』に想いを寄せながらも卒業して行く女子生徒は多い。


 その『白兄』は講義室の中に顔見知りを一人見つけた。講師の手伝いをしている女性で、他にも寮監の手伝いをする為に女子寮へ滞在している。


「やあ、錦花きんか


「白兄! どうなさったのです? こんな所に」


「少し聞きたい事があってね。少し良いかい?」


勿論もちろんですとも。どうぞこちらに」


 錦花は、すっと洗練された物腰でケイを講義室の端に案内する。羨望の眼差まなざしを浴びて、彼女は誇らしげであった。


 案内されたそこは厚手の布で講義室を仕切って作られた準備室とも呼べる場所であった。講義の為の教本や雑貨が置いてあるが、講師の為の椅子なども用意されている。


 人目をさえぎる作りにもなっていた。


 錦花はケイに椅子を勧めると、自分もまた椅子にかけた。


 興味と嫉妬の混じった女子生徒の視線が布越しに刺さって来る気がする。それもまた錦花には心地よい。


 錦花は得意げに声を出す。


「それで、私に聞きたい事とは何ですの?」


 ケイはシュンの事をあたかも噂話で聞いたかのように話した。


「——それで、その子が講義に出ていないらしいんだが、寮の方にでも居るのかい?」


「変な質問ねえ。その方なら私も知っています。張春ちょうしゅん様でしょう?あいにくその方は御実家へ戻られているらしいですわ」


「え?」


 ケイは素で驚いてしまった。


「居ないのか?」


「……?……はい。今朝けさ早くに出て行かれました」


「急だね」


「ええ、突然の事だったので、学舎の馬を借りたとか。あの方はほら、少し変わっていらっしゃるので、お一人で馬に乗って……ほほほ、皆で見送ったとでも言いましょうか……どなたかが寮監に尋ねていましたわ。何故なぜ出て行かれたのかと」


「それで?」


「御実家に御用があるとしか——」


「わかった。ありがとう」


 ケイはとびきりの笑顔を作ると、錦花に礼を言った。さすがの錦花もぼうっとのぼせて顔を紅くする。


 小部屋を出ると女子生徒達の視線が追って来るが、今は構っていられない。


 ——実家、それも早朝にちょう家に向かっただと?


 とらええ方によっては、単に傷ついて安心できる家へと帰っただけの事である。だが、ケイは彼女の安らげる場所は、寮か、あの隠れ家であると思っていた。


 ——父親に話す気ではあるまいな。


 一度否定した考えが再び頭の中に浮かぶ。


 ——いや、あいつはそんな事をする子ではない。


 ケイは胸に残る不安と違和感をぬぐえないまま、上級課の校舎へと戻って行った。




 つづく



 次回『張家でのシュン』

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