第84話 懊悩



「——そう言ったのか?」


 ケイの問いに、カイはやたら不機嫌そうに頷いた。


 ——だから彼女の様子がおかしかったのか。


 ケイはシュンの去り際の悄然しょうぜんとした様子に動揺が見て取れたのを思い出し、腑に落ちた。


「それは……また、思い切った事を言ったな」


 ケイの言葉にカイはますます不機嫌になり、彼を睨んだ。そして、


「……く道が違う」


 とだけ言った。


 その意味はケイにもよく分かる。


 自分達が望む物とシュンが望む物は、別である。彼女は自分達を周公しゅうこうの呪縛から解き放つような事を言ったが、所詮、夢物語だ。


「お前が引き込んだのにな」


 ケイが懐かしむようにそう言うと、カイは天をあおいだ。


「そうだな」


 シュンの子どもじみた、しかし希望のある夢物語に乗ったのは自分達だ。


 ——そうだ。夢を見たがったのは俺だ。少しだけ、夢を見たかったから——。


 カイはそっとまぶたを閉じた。






 その夜。


 女子寮では一部の生徒達が、シュンの異変に心を痛めていた。なにせ最上級生のお姉さまが、食事も取らずに部屋に閉じこもっていると言うのだ。


 誰よりも凛々しく、そして強く、学問にも秀でているお方に何があったのか、年下の彼女らはひどく心配してた。


「どうしましょう?」


 特に心配する明花めいかが部屋の前でうろうろしている。彼女はシンが女子寮に迷い込んで来た時に、最初にシンを見つけたである。


 あれ以来、木剣を片手に颯爽と現れたシュンに敬意を抱いていた。


 もうすぐ消灯時間だ。自室に戻らなければならないが、その前に一目シュンお姉さまの顔を見ておきたかった。


 思い切って明花はシュンの部屋の扉を叩いてみる。


「明花です、シュンお姉さま」


 その呼び掛けに、少し遅れてゆっくりと扉が開く。


「あ……」


 シュンの白い血の気のない顔を見て、明花が驚く。ひどい顔色だ。心なしか目が赤い気がした。


「何か?」


「すみません。お姉さまが具合が悪そうなので、様子を……」


 狼狽うろたえる明花に、シュンは少し笑みを浮かべると、


「少し体調が良くないの。わざわざありがとう。明花も早く休みなさいね」


 明花はぺこりと頭を下げ、「はい、お休みなさいませ」と挨拶した。


 再びゆっくりと扉が閉まる。


 足早に自室へと向かいながら、明花は胸を痛めた。


 ——泣いていらした……?」


 そしてシュンの力になれない自分を悔しく思ったのだった。





 そのシュンは、明花と話した後、しょうに倒れ込んだ。


 一体何がこんなにも自分を苦しめるのだろう?


 やはり、もう来るなと言われた事だろうか。


 カイ兄に言われたからか。


 隠れ家に行けない事か。


 シンとカイ兄達と、どちらかを選ばねばならない事か。


 自分がカイ兄達に甘えていたのを恥じているからか。


 そして——何よりカイ兄の、シンへの鬱屈うっくつを知らずにいた事か。




 思い当たる全てのことが、シュンの胸をえぐる。


 ——戻りたい。


 昔に戻りたいと、シュンは思ってしまった。あの隠れ家に行き始めた頃に戻りたいのだと気がつく。


 そう、カイ兄とシンの関わりを知る前に戻りたいのだ。


『お前があいつの事を心配で世話焼きするなら』『もう此処へは来るな』『俺はあいつが嫌いだ』


 カイ兄が選べと言ったのは、自分達につくか王太子側につくかはっきりさせろということだった。


 シュンはどちらも救いたいと本気で思っていたが、まだ一介の学生の、それも女子のシュンに何が出来るのかと、カイに言われた気がしていた。


 カイとシンの体格が近くなれば、何らかの機会に入れ替わりは行われる。それはそう遠くない未来だ。


 おそらく数年後——。


 その頃シュンは何をしているだろうか。彼女は見当も付かず、また考えもしていなかった。もしかすれば、まだ教練校にいるかもしれない。しかしそれでは周公の企みを何一つ阻む事ができぬまま、入れ替わりが行われると言うことになる。


「間に合わないではないか」


 シュンは自分の愚かしさを笑った。夢物語とはよく言ったものだ。全くその通りだ。


「時間がない」


 今、周公とシンの間に割って入らねば、何も止められない。周公とシンの間——つまりは周大臣と大臣との間に割って入る。


 シュンは何か手掛かりは無いかと考えをめぐらした。




 つづく



 次回『白兄の戸惑い』

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