第77話 花の宴

 その日の家は、少しばかり華やいでいた。内々ないないうたげがあるのだが、宴と言っても本当に内輪のもの——家族だけのものだ。しかも出席するのは大臣とその妻(正妻)と娘のみの三人というものである。


 いうなれば家族内でのいつもより豪華な夕食会ともとれるのだが、どこかきちんとした——いわば正式な何かが含まれている食事会であった。


 主賓は娘の花蓮カレン


 彼女は自分が主賓とは思わず、むしろ誰か客を迎えるものとばかり思っていて、まさか親子三人だけの宴になるなど思いもしなかった。


 それでも使用する部屋は、正式に客人を招く時に使う貴賓室であったし、室内も沢山の花で飾られ、楽団や踊り子が居ないだけで、用意された料理もすこぶる豪勢なものであった。


「お母様、まさか三人きりで食べるのではないでしょうね?」


 花蓮はやや疑うような素振りで尋ねてみた。親子三人での食事など、もう何年も行なっていない。特に父の大臣が忙しいということもある。父と食を取る場合はいつも他の客を招く時であった。それすらも年に数回あるかどうか——。


「ええ、ええ、三人きりよ」


 随分と上機嫌な母の様子がおかしく見える。浮かれているのだ。父も立場上何人か妾がいるだろうし、他にも子が居ると耳にしている。正妻の母にとっては花蓮はただ一人の子どもである。


 残念ながら娘一人と母の立場は弱い。


 その母が父と娘と三人での食事をする事で浮かれているのだろうか。


 花蓮が考えを巡らせているうちに、父の大臣——何孟徇かもうじゅんが現れた。


「待たせたか?」


「いいえ、お父様。今来たところよ」


「そうか、そうか」


 父も上機嫌だ。ついでに娘の頭を撫でていく。


「もう!子どもじゃないのよ!」


 子ども扱いされて、花蓮は一人怒るが、父母はにこにこと席に着く。仕方なく彼女もそれにならって席に着いた。


 初めの酒だけ給仕の女達に世話をさせると、程なく孟徇もうじゅんは皆を下がらせた。


 とたんに部屋の中が物寂しくなり、飾られた花々さえも滑稽じみて見えた。ただ隣室で奏でられている音楽が部屋に落ちる沈黙を押し隠している。


「……まずは乾杯と行こうか」


 家長が高々と杯を掲げる。妻と娘はそれに従う。


「乾杯!」


 何に?


 口には出さなかったが、花蓮はそう思いながら杯を合わせる。父は一息に飲み干し、女達は遠慮がちに口をつける。杯を置くと孟徇もうじゅんは料理を取り分けるための皿に手を伸ばした。


「さて、花蓮。お前は何が好きであったかな?」


 父が自ら給仕するなど、全くもって珍しい。花蓮は驚きの声を上げた。


「お父様?一体何があったのです?」


 その問いに彼の手が止まる。


 早く話したいような、まだ黙っていたいような、そわそわとした何かを孟徇は身にまとっている。


 しばし手を止めた後、ようやく彼は口を開いた。


「実はな……」


 どうやら食前に話してしまおうと腹を決めたらしい。花蓮も背筋を伸ばした。


「お前の輿入れ先の事なのだ」


 伸ばした背筋を更に伸ばすが如く、花蓮は思わず立ち上がった。椅子が大きな音を立て、母が小声で「はしたない」と注意する。だがその声は花蓮の耳には入らない。


 茫然と立ち尽くす愛娘まなむすめに向かって、父は話し続けた。


「今まで内々に進めておったのが、ようや目処めどが立ってな。勿論もちろん他にも知っている者もいるが、はっせられるのはまだまだ先の事だ。しかしお前には心の準備と共に身の周りの支度もして貰わねばならん。その為に今日という吉日にお前に伝える事にしたのだ」


 力強く、しっかりと話をする父は、半ば大臣の顔になっていた。


 花蓮は瞬きするのも忘れたかのように、ただ父の顔を見つめている。


 いよいよ、自分の相手がわかるのだ。


 花蓮は期待と不安とで胸が高鳴るのを感じた。


 知っている家だろうか?

 高名な貴族だろうか?

 それとも政敵の家か?


「花蓮、お前の相手は——」






 その日の朝、紫珠しじゅの教練校にある女子寮は騒がしかった。朝の膳が済んだあと、珍しい客がやって来たのだった。


 珍しいといっても、先頃の春までは在籍していた卒業生が、突然、連絡も無しにやって来たのだ。


 あまりに来賓室(父母などが訪れた際に使用する部屋)が騒がしいので、シュンも通りすがりにのぞいてみた。


「あっ!」


 その声に珍客はシュンに気づく。


「花蓮!」


「シュン!」


 二人は同時に叫んだが、近づこうとしたシュンは花蓮の様子に足を止める。


 怒って……る?


 集まった女子生徒をかき分けて、ずかずかとシュンに近づく足音は最早令嬢のものでは無い。


「シュン、あなたろくに手紙もよこさないで……!」


 しまった。


 思わず後退あとずさりする。


「なによ、上級生になったんですって⁈それで遊びにも来ないわけ?」


「ご、ごめ……」


 シュンは慌てて自室へ逃げる。しかし花蓮も勝手知ったる女子寮だ。たちまち追いついて、部屋に逃げ込もうとしたシュンを捕まえる。


「シュン!」


「わぁ、ごめん。ちょっと色々あって」


 花蓮はギロリとシュンを睨むと、捕まえた手を離した。


「まあ、いいわ。シュンが一つの事に入れ込むと他の事を忘れるのはいつものことだしね。……今日は重要な話があって来たの」


「重要な話?」


 花蓮はサッと辺りを見回すと、シュンを部屋に押し込んだ。戸をきちんと閉めると、シュンを引っ張って窓際に連れて行く。


「結婚の相手が決まった——というか、分かったのよ」


「ええっ⁈」


 ついに分かったのかと思うと同時に、心当たりの貴族の名前が浮かぶ。


「一体、誰なの?」


「絶っっっ対内緒よ。まだ正式に発表されてないもの」


 シュンは素直にうなずく。


「わかった、誰にも言わない」


「……シュンはそういうところは固いわよね」


 花蓮はそう言うと、声をひそめてシュンに顔を寄せた。


「王弟様」


「へっ?」


「王太子シン様だって」




 つづく




 次回『花蓮、行動す』

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