第72話 小さな約束
「一体何してたんです?」
「何も無いよ。少し散歩しようとして抜け出したんだけど、帰りにこっちに迷い込んじゃったんだ」
シンは悪気があったわけでは無いと強調する。誤解されては堪らないからだ。シュンはそれがおかしいらしく、くすりと笑った。
「わかりました。近くまで送りましょう」
少年を敷地の外まで送ってくる、と他の女子に伝えると、皆が彼に向かって手を振った。シュンの友人というのが警戒を解いたのか、それとも小さいからからかわれているのか、どちらも含んでいそうな見送りである。
シンがぎこちなく頭を下げると、柔らかな笑い声がさざめいた。それを背に受けながら、シンは足早にその場を離れた。
白木蓮の道まで来ると、再び静けさが辺りを包む。ようやく落ち着いたシンが口を開いた。
「ああ、びっくりした。助かったよシュン
「驚いたのはこちらですよ。男子が女子寮に忍び込んだと知れたら、厳罰ものですよ」
「えっ?ほんと?」
「貴族や良家の女子が多いですからね。これだけは厳格です」
そうでなければ女子寮にわざわざ預けようという親は居ないだろう。
「でも、王太子様なら大丈夫でしょう」
それを聞いたシンは思わず吹き出した。
「な、なんで王太子って知って……」
「自分で言っていたでしょう?」
「信じたの?」
シュンは曖昧に笑った。その問いに答えぬまま、
「さ、あちらが男子寮ですよ」
と言って幾つかの建物が集まっている所を指した。こうやって見ると、女子寮よりは格段に大きい建物が密集している。そして例の大木も灯りに浮かんで遠目にもなお幻想的に見えた。
シンは見覚えのある風景に安堵のため息を吐きつつ、シュンに向かって話し始めた。
「シュン姐、俺……俺達また弓をやりたい。また弓道場に行ってもいい?」
「私もいつもいるわけではないですよ」
「俺達、ひと月くらいしか
その懇願にシュンの心はぐらつく。
「……では、出来るだけ行ってみますね」
「今日は何処へ行ってたの?」
「内緒です」
シンはその答えに不満そうであったが、とりあえずの約束に満足して、男子寮の方へ足を向ける。
「じゃあね、シュン姐」
シンがそう言うと、年上の
シンが木をよじ登って部屋の窓からそっと中へ入ると、ソウが何事も無いように寝ていた。シンは隣の
明日こそ、何か別の事が起きるのでは無いかと期待して。
シュンが女子寮に戻ると、先程の騒ぎで一番に悲鳴を上げた少女が、まだ回廊の入り口に立っていた。どうやらシュンを待っていたと見える。
「……
「シュン姉さまが心配で……」
「大丈夫ですよ。同じ修科の子です」
シュンは笑ったが、明花は首を傾げた。
「お姉さまと同じ修科ですか?それにしては幼いような……」
鋭いな、とシュンは思う。
「ええ、そうですね。短期間で多くの事を学ぶ必要があるそうです」
「ずっと在学する子ではないのですね。一体誰なんですか?」
「王太子様だそうですよ」
シュンがふざけたように答えると、明花は「えっ」と口元に手を当てて固まった。
「冗談でしょう?お姉さま」
「どうでしょうね。さあ、もう休みなさい」
明花はその言葉にうなずくと自室の方へと駆けて行った。
今日は随分と『姐さん』とか『お姉さま』と呼ばれる日だ。それだけ自分が上級生になったのだと感じさせられる。それに女子学生の中では確実に一番年上であるのは間違いない。
父からは笄年(十五歳の祝賀)を行うから、一度戻って来いと言われているが、今は修科と武術が楽しくて仕方がない。
そういえば、カイ兄達はいつまで此処に居てくれるのだろう。もうすぐ十八になると言っていたから加冠まではまだ数年ある。だが修科を取り終えているから、それを待たずに卒業するかもしれない。
(どのように道に進まれるのだろう?)
そしてカイ兄は……。
ふと、『白兄』と共に戦場を馬で駆るカイ兄を思い描いて、シュンは一人うなずいた。それが一番しっくり来るのだ。
そしてその夢想を叶えるためには、シュンはもっと強くあらねばならぬと、思うのだった。
つづく
次回『遠乗り』
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