第73話 遠乗り

 紫珠しじゅの教練校には、修科が休みの日もある。代わりに武課が行われる事が多いのだが、上級生ともなると出席は自由となる。


 だからシュンは武課を欠席し、朝から隠れ家へと向かっていた。


 いつもなら、少なくとも午前中は武課を行い、それから隠れ家に行く流れであるが、今日は特別な日であった。


白兄はくけい』が馬を用意すると言っていたのだ。


 いつもの部屋に着くと、中には誰も居なかったが、外から微かに馬のいななきが聞こえる。シュンはゆかの扉を開けて外へ出た。


「カイけい!白兄!」


「来たか」


 いつもの如く白と黒の二人が居たが、いつもと違うのは、二人のそばに三頭の馬がいる事である。


 白馬、黒馬、芦毛あしげの三頭だ。


 既にどれにも乗る準備が出来ている。鞍もあぶみくつわも付けてあった。


「どれも素晴らしい馬ですね」


「おう、分かるか?白いのが西風、黒が北海、芦毛が東樹って名前だ」


「白いのが『白兄』のでしょう?」


 シュンが笑った。余りにも白馬・西風はケイに似合っていたからだ。


「黒いのが俺の。芦毛は今日はじめて連れて来た。お前が乗れ」


「わぁ、ありがとうございます!」


 シュンは東樹と呼ばれた馬に近づいた。そのまま優しく馬の首を叩き、「よろしくね」と挨拶する。


 ケイがシュンに遠乗りをする場所を指し示す。教練校の裏手に広がる野を走り回るのであるが、ほぼ原野のままである。


「ここは初めて走るのだから、ゆっくりと足場を確かめながら進むといい」


「はい、白兄」


 シュンは東樹を繋いでいた轡の紐を木から外すと、静かに野へ引き出した。


「慣れたもんだな」


 カイが感心して言う。そして自らも黒馬を引いた。ケイもまた白馬を引き出そうとして、手を止める。そしてシュンの方を振り返りながら、


「手を……」


 貸そうか、と言いかけてやめた。


 シュンが既に馬上に居たからだ。


「白兄!早く行きましょう!」


「……まったく。あの子にはいつも驚かされる」


 ケイは一人で騎乗する女性に会ったことが無かった。カイはそんなケイを笑い飛ばす。


今更いまさら何を言ってんだ。あれは弟と思えって」


「確かにな」


 二人とも一飛びに地を蹴り馬上へと身を移す。


「では、行くか」


 三頭の馬は広い草原へと走り出た。




 カイとケイが思っていた以上に、シュンは馬に乗れた。歩くのはもちろんの事こと、駆けて行くのも自在であるようだ。


上手うまいじゃないか」


 カイが褒めると、シュンは謙遜したのか、東樹を褒めた。


「この仔が良いのです。とても賢いですね」


 それを聞いたケイは驚きつつもうなずいた。


「よく分かるな。一番大人しくて素直に奴を連れて来た」


「やっぱり。白兄の乗るも賢そうです」


「まあな。何より脚が速いのが西風の良い所だ。……あれはどうだ?」


 ケイはそう言って一足先を行く黒馬を指す。シュンは少し目を細めて品定めでもするかの様につぶやいた。


「あの馬は……強いですね。気が強くて荒い。けれど、この中では一番体力も気力もある馬でしょう?」


「そうだ。あれを乗りこなすのは難しい」


「カイ兄は良く従えておりますね」


「アイツは——じゃじゃ馬が好きなのだよ」


 笑いながらそう言うと、彼は白馬の腹を軽く蹴る。白馬は速度を上げて走り出す。やはり手綱捌きは格段上だ。


 その優雅さに、シュンは改めて尊敬の念を強くした。




 広い草原と言っても限りがある。三人は早駆けをして馬を慣らした後、そのまま武具を手にした。カイとケイは慣れているが、シュンは馬上で剣や長刀なぎなたを持つのは初めてで、片手では持て余してしまった。それでも落馬しないのはさすがと言うべきか。


「……これでは何も出来ませんね……すみません」


「おい、初めての事で謝るなよ」


 カイは黒馬の首をめぐらせて、シュンを励ました。


「俺達が何年かかって出来るようになったと思ってるんだ。今日はじめてやるお前が、すぐになんでも出来るわけないだろうが」


「でも、もう少し動けるかと……」


「片手で剣を振るえなければ、無理だな。或いは無手で馬を操れるなら出来るかもな」


 そこに、不似合いなケイの笑い声が聞こえて来た。


「ふっ、余り笑わすな。シュン、君は戦場でも出るつもりか?」


 シュンは一瞬、何を言われたのか分からなくなり真顔になったが、見る間に顔を赤くした。言われてみれば、女子であるシュンが戦場に出て剣を振るう機会があるはずがない。


いにしえの女傑にならうか?」


「いえ……」


「さ、戻るぞ」


 シュンは「はい」と呟いて、馬を走らせて二人の背を追う。その背を見つめながら、彼女はこの二人にいつまでもついて行くことが出来ないことを自覚せざるを得なかった。




 馬を木につなぐと、カイはシュンに向かって王太子の事を聞いて来た。内心気に掛かっていた様子である。


「あれから講義で奴に会ったりしたか?」


「ええ、お話しする機会はありました。弓を射てみたいと……」


 それはカイにとって良い意味で意外な話であった。


「なんだ、そいつ武芸に興味があんのか?」


「基礎は出来るようにお見受けしました。体を動かす方が好きだともお話しされていました」


「悪くねぇな。そっちが得意なら、入れ替わった時に——」


「カイ兄!その話は無しです」


「無しって……俺はその為に色々やってんだよ」


 カイの口調の端に、不機嫌そうな気配を感じたのか、ケイが割って入った。彼は彼で、この隠れ家を大事にしている節がある。


 いわばケイにとって聖域なのだ。


 ただひたすらに自由である時間を作り出す為の場所。


「ここではその話はやめないか?余程の事があれば別だが、此処は我々の鍛錬の為の場所だ」


 そう言われてカイとシュンが顔を見合わせる。


 そして笑った。


「はい、白兄!」


「ああ、そうだな。なんかもやもやしてたのが晴れたぜ」


 そしてカイはシュンの手を取り、芦毛の東樹に騎乗させた。


「やっぱり、教えてやる。先ずは足だけで馬を操れる様になるといい。お前なら弓が向いているだろう」


「あ、ありがとうございます」


 シュンがかすかに頬を染めたのを、ケイだけが気付き、そして少しだけ微笑んだ。




 つづく




 次回『シュン姐の身元』

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