第58話 兄王

 

 シンは思い返す。


 一度目の対面はこの王宮に来た日。


 やまいがちだという兄は青白い顔色であったが、優しげに微笑むと「良く来てくれた」と喜び、それから「大臣の教育を受けるように」と告げられると、ぐに対面は終わりとなったのだった。


 この時は玉座での対面であったが、今日は自室で会うのだという。


 大臣はそれとなく王がとこについていると言っていたから、シンは見舞いに行くのだと思い込んでいた。


 見舞いなら何か持っていくものだろうに、大臣は必要ないと言う。


 だからシンは友人のソウを連れて行くだけである。


 ここのところずっと東宮に閉じ込められていた二人は、勉強と武芸の繰り返しで少し滅入めいっていた。


 東宮から出られると喜んだのも束の間、王宮の中は似たような景色が続き、慣れない二人は結局、自分達が何処どこにいるのかさえ分からなくなっていった。


 階段を登ったり下ったり、中庭を通り抜けたりしながら、彼らは一際ひときわ豪勢な装飾の扉の前に出る。


 大臣が扉の前にいた女官に目配せをすると、扉が開いて中へ通された。




 部屋の中には思いのほか何も無かった。一つ一つの調度品は高級な品であると分かるのだが、その数は少なく、片付いていて、すっきりとした印象を受けたのだ。


 更に奥の間へ進むと、その部屋はむっとするほど暑かった。病人の為に暖められた部屋は薬湯やくとうの匂いがこもっていた。


 天蓋てんがい付きのしょうの前で、大臣は膝をつくと拝手し、シンとソウにも同じ事をするように促した。


 慌てて二人も真似をする。


「陛下、太子様をお連れしました」


 ほどなく天蓋の薄布の中で動きがあった。側付そばづきの者が布を開くと、線の細い兄王がそこに身体からだを起こしていたのだった。


「すまぬな、よ」


滅相めっそうもございません。さ、太子様おそばへ」


 そう声をかけられて、シンはしょうに近づく。


 久しぶりに会う兄王は、以前よりも痩せた感じがする。だが優しげな微笑みは変わらない。


 シンは素直にそう思った。


「シン、無理をさせてすまぬな」


「……」


 どう答えて良いのかわからず、シンは黙って兄王の言葉を聞いていた。


「一通りの勉強は済んだそうだね?」


 シンはうなずく。とにかく頭の中に詰め込んだだけだが、確かに一通りの事は学ばされた。身についているかどうは怪しいが。


「実はね、私がむかし数ヶ月ほど通った学校があるのだ。本当はもっと通いたかったのだけどね……」


「学校……?」


「ああ、同世代の者達が学ぶ場所だよ。シンもそこで少しのあいだ学ぶよう、手続きをした」


「まだ勉強するの……ですか?」


 シンは少し眉を寄せた。これ以上勉強させられるのかという不満が、少しだけ漏れてしまった。


 意外にも兄王は微笑んだ。


「ふふ、勉強よりも同世代との顔つなぎだね。出来れば味方を増やすと良い。そればかりの人では無いのが大変だよ。でもいろいろな経験が出来ると思うんだ。武術も馬術も——」


 それを聞いてシンの目が輝いた。


(馬に乗れるのか!)


「良い事も悪い事も感じて来て欲しい。君はこの国の貧しい部分も知っている。今度はその反対側に、どんな人がいるのか見てくるのだ」





 兄王との会見はそれで終わった。


「学校……かぁ」


 ソウが心配そうにつぶやく。シンは励ますように声を高くした。


「でも馬に乗れるみたいだぜ!それに王宮ここから出られるんだ」


 努めて明るく話す二人に大臣が水を差す。


「大王様がおっしゃった通り、味方ばかりではありませぬぞ。味方に見えてそうでない者もいる。あるいはお命そのものを狙う奴もいるやも知れぬ」


「おい、待てよ。なんでそんな危険なトコ連れてくんだよ」


 ソウがくってかかる。大臣はなだめるように返した。


「王太子のしきたりの一つなのだ」





 つづく




 次回『紫珠校の春』

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