第39話 後会
目が覚めるとそこには老婆が居た。歯の抜けた顔でひっひっひと笑って立膝で傍へと近寄ってくる。
「ぎゃっ」
礼一は目を最大限に見開いて、喉ちんこを震わせる。刹那、『羅生門』に登場する老婆が頭を去来し、半ば無意識に頭を弄り、髪の毛があるかを確かめる。
よかった。手には黒々と生い茂る髪の感触が返ってきた。こちとら曾祖父の代より齢五十を前に頭部がツンツルテンになるという業を背負った家に生まれ落ちているのである。残機の一つ一つが稀少だ。一本、二本、三本、、、etc.ふむ、粗方無事なようでなにより。
お岩さん方式で自己資産の無事を確認し、鼓動の乱れが収まったところで老婆はと見回せば、駅家の戸口から外へと出ていく背中が見える。
「夢じゃなかったか」
彼女の存在は幻ではなかった。しかし一体誰だろう。礼一は首を傾げながら目を擦って立ち上がる。と、足元へバサリと布が滑り落ちた。どうやら今の今まで自分の身体に掛かっていたものらしい。
そういやよーく昨日のことを思い出すと寝ていた位置もこんな部屋の真ん中じゃなくて入り口のすぐ前だった筈だ。どうやってここまで移動したものやら。いやもしや先程の婆さんが見かねて移動させてくれたんじゃないか。いやいやあんな老いさらばえた骨と皮だけの身体で大の男二人を動かせる訳がない。
寝起きの頭を高速起動させ、色々思考するがわからないことが多すぎる。取り敢えず外に出て聞いてみよう。そう考えた礼一は横で未だぐーすかぴーすか幸せそうに鼾をかいている友の肩に手を掛け、グワングワンと少々荒めに揺すり起こすのであった。
「なんだ」
洋は腫れぼったい目でこちらの顔を一瞥するなり、不愉快そうに顔を背ける。
「俺の顔が目も当てられない程に不細工だってか。こん畜生。起きやがれ」
ムッと来た礼一は洋の包まっている布を剥ぎ取りに掛かる。一方の洋は剥がされてたまるかと必死の抵抗を見せ、やいのやいのと小競り合いが始まる。
いい歳こいた二人が桶中の鰻みたく絡み合う姿はみっともない事この上なかったが、意外と勝負が早く着いたため衆目に痴態を晒すのは避けられた。先んじて素晴らしい目覚めを迎えた礼一に軍配が上がったのだ。
「素直に起きてればこんなことしないで済んだんだからな」
取り上げた布を荒々しく頭上に掲げながらそう勝ち誇ってみた礼一だったが、何だか急に馬鹿らしくなってそれを脇へ抛る。そうして返す手で洋を掴み、戸口へと引っ立てる。
「おっと」
屋外の光景に意表を突かれ、もうすっかり起きているにも関わらず、瞼をゴシゴシ擦る。何せ昨日あれだけ荒らし尽くされたというのにもう大勢の村人が集まって修復作業に取り掛かっていたのだ。
「早いな。大したもんだ」
と洋。礼一もその感想には完全同意であったが、あんなことがあって尚ここに住み続けようと考える人々の神経には一向、理解が追い付かなかった。
「あれっ、あそこにいるのは」
暫く動き回る住人の姿をのほほんと見つめていた二人だったが、土埃にまみれたおっさんを発見して目をパチクリパチクリと開閉する。昨日、自分達を死ぬ寸前まで追い詰めた人物が一般人に紛れ、土を運び、木を運びとやっていたのだ。そりゃ驚きもする。
「おい、どうするよ」
「さぁ」
礼一と洋は共に呼吸の仕方でも忘れたかのように佇みながら、やる気なさげに声を交わす。殺人未遂おじさんには近づきたくないが、一生懸命に汗を垂らす人々を後目寛ぐのもまた良心が痛む。
いや、良心なんて高尚なものでもないだろう。元々、世のため人のために動こうなんて志は皆無の二人だ。今、心の内に渦巻いているこの一抹の気まずさは世間体の悪さというもそっと下衆な思考である。
「離れたところで手伝うか」
最終的に礼一達はシロッコから出来る限り遠い場所で、出来る限りバレないように作業しようと決断を下す。
二人はそろそろと小屋の入り口から離れ、なるたけ森付近にいる村人に助っ人を申し出る。怪しまれたらどうするか多少案じる部分もあったが、猫の手でも借りたいぐらいの非常事態が幸いし、不審がられるどころか最大限に歓迎された。
「やれやれ」
とまれ危険なシロッコから距離を取れたことを喜びつつ、動物の死骸や木材を運ぶ。適度な運動は心に快活さを齎し、途中鼻歌を歌う程度に余裕が生まれた。偶に傷が痛むのなんてもうへっちゃらだ。
ひょいひょい元気に動く内に、時刻は昼過ぎに。村にも粗方復興の兆しが見えてきた。何てったって大抵の人間が少なからず魔力で身体機能を補えるのだ。作業効率が良いなんてものじゃない。男衆が三人も集まればどれだけ重い物でも動かせる。三人寄れば文殊の知恵ならぬ、三人寄れば勢至の怪力だ。
「ありがとう。助かった」
「いえいえ」
人々の感謝の声を受け止めながら二人は駅家へと戻る。何だかこの村に受け入れられたようで気分がいい。
「はぁー、つっかれた。いい汗かいたや」
「ん。ご苦労様」
「あっ、」
戸口から中に入ると先客がいた。それも今一番会いたくないおっさんだ。
「ん。その何だ。昨日は色々と。んん、」
小屋はどんよりとした雰囲気に様変わりし、汗で濡れた首筋がじっとり心地悪い。
一度出来上がった気不味い雰囲気が和らぐことは難く、礼一達とシロッコの距離も縮まらない。そもそも自分を殺しかけた相手と雪解けのように心を解すというのがそもそも無理だろう。心の奥底でどうしても身構えてしまう。
「ん、事情を話しておこう。そもそも最初から君達に大怪我を負わせたり、命に危険が及ぶような真似をするつもりはなかった」
そういっておっさんは自分側の理由を語り始める。
何でもウェネティと一戦やらかした後に管理官から提案されたらしい。このままでは民衆の腹が収まらないと。
「山の方では大勢の人が死に、街の中の被害も馬鹿にならない。ん、魔物を討伐するためにある程度の犠牲はしょうがなく、誰が悪い訳でもないと正論を説いみたところで人心は安らかにならない。民草が納得するためにはわかりやすい勧善懲悪劇が必要という寸法だ」
そこで悪役に選ばれたのが自分達って訳か。山から魔物を連れ込み街を破壊した大罪人二人を、ヒーローよろしく登場した軍人が駆逐し万々歳。笑ってしまう程に陳腐なストーリーである。
「ん、君達が不満に思う気持ちは重々承知だ。大怪我とは言わないまでも沢山怪我をさせたことは悪いとも思っている」
そう言うとシロッコは頭を再度深く下げる。
「わかりましたよ」
大の大人にこうされちゃ仕様なく礼一達も不承不承に謝罪を受け入れた。
「ん、有り難い。では休憩が終わり次第、次の目的地へ向かうとしよう」
おっさんはそう号令を掛けて一旦この話にけりを付けようとする。だが、
「わかった。でも恨みは一生忘れない」
このままでは終わらせないからなと洋が最後にそう答え、おっさんの顔が真っ青に凍り付く。その唖然とした表情を見れただけでも礼一は取り合えず胸のつかえがスッと取れ、次なる旅へと心を切り替える。
駅家を出た三人は近くの山に分け入り、お馴染みの洞穴の前に立っていた。いや、正確に言えば前回出てきた洞穴と外見は一緒だが、場所は全く別だ。
「ん、行くぞ。持つものはここに入ってる」
シロッコはいつの間にやら肩に担いでいた袋を指してそう言うと、暗い暗い穴の中へと踏み込んでいく。穴が煙突で、入る人間が素敵な髭でも生やしていればサンタさんかスーパーなんとかブラザーズにでもなれただろうが、生憎と小汚い無精ひげが生えているだけだ。
「今回も長いこと這いまわらないといけないんですか?」
「ん...」
「ずっと数日間この中を歩き回らないといけないんですよね?」
「.....」
おい、答えろよ。都合が悪いことには口を噤んで前進するおっさんの尻をついつい蹴飛ばしたくなる礼一であったが、修復したばかりの仲に罅を入れるのは流石に躊躇われて衝動を抑える。
それから三人はまた長いこと穴へ潜り続けた。こんなんばっかじゃ一人前の軍人として振る舞えないだろう。一生潜りで終わっちまう。そんなことを考えながら3日ばかし経った頃、漸く外に出られた。
「眩っ」
まだ日中らしくサーチライトのようにこちらを照らす太陽で目が痛くなる。
「ん、足元に注意してくれ。転がったら真っ逆さまだからな」
シロッコにそう警告されて目線を下げると、緑が疎らなゴツゴツした岩山に立っていることに気がつく。こりゃまた下山が面倒臭そうな場所に出ちまった。難儀、難儀。
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