第40話  柔弱

「よっとっと」


 岩を乗り越えながら道なき道を上に向かう。シロッコ曰くこの山の上に塞が立っているらしい。流石にこんな岩だらけの場所に住み着くような人も居らず、村もないので、今日は塞で一夜を明かし、明日になったら目的の魔物がいる場所に向かうらしい。


「石を蹴らないよう気を付けてくれ。もし下を人が通ったら大事故だ。ん、人が通ること自体殆どないが一応な」


 カラカラと山下へ落ちていく小石を見て、シロッコが全体に注意を促す。確かに上空から猛スピードで石が飛んでくれば当たり所によっちゃ死人が出る。気を付けよう。


「塞まではまだ長いですか?」


「ん、今回はすぐ着く。上に合流する人物がいるから一先ず顔合わせといこう」


 色々と臭そうな身体を洗いたい礼一が前方に問いかけるとシロッコからそう答えが返ってくる。


 次はこのおっさんとなるべく波を立てずに付き合える人であって欲しいな。前回みたく此方に被害が波及するなんてのはもう御免だ。痛っ、まだ傷が痛みやがる。

 そろそろ治りかけの傷口を摩りながら願うように山上を見上げる礼一であった。


「見えた」


 そうこうする内に山頂に辿り着き、真っ先に塞を発見した洋がいそいそと門へ近寄る。


「さ、さっさと入りましょう」


 礼一も何だかんだ身綺麗にしたかったのでシロッコを急かして塞へ入る。


 そこからはもうなるたけ早く水浴びをしたいという思いで頭が一杯。挨拶云々は頭の中からすっぽり抜け落ち、洋と一緒に一目散に水場を求めて駆け出してしまった。


「ああ、生き返る」


 汚れが全て流され、生まれ還ったような心地に礼一は歓喜の雄叫びを上げる。


「ん、汚れたまま挨拶に行くというのも失礼な話だからな。君達がそこまで勧めるなら綺麗になっておくのも悪くない」


 当初礼一達が勝手な行動を取ったことに不満げな面持ちだったシロッコであったが、二人が気持ちよさそうに水浴びを始めると勇んで参加してきた。いい気なもんで今ではまるでこっちに圧し負かされたような言い振りで、実に上機嫌に垢を落としてる。


「それはそうと次にご一緒する人については知ってるんですか?今度は変に諍いを起こしたりしないでくださいよ」


 ちょっぴり苛ついた礼一は質問がてらチクリと釘を刺す。


「心配しなくていい。今度ばかりは問題ない。ん、喧嘩するような気の強い奴じゃないからな」


 おっさんは小言をそよ風のようにいなしながら余裕綽々にそう告げると手早く服を身に着け、意気揚々と歩き出す。


「んん、楽しい旅になりそうだ」


 ありゃ駄目だ。絶対何かやらかすぞ。


 馬の耳に念仏、馬耳東風とはこのこと。呆れたとばかりに溜息を吐いた礼一と洋は彼を追う。

 

 こうして一行が向かった先にいたのは、ウクレレのような楽器を爪弾く吹けば飛ぶような小柄でか細い身体の男であった。昼日中にも関わらず、遠方を見つめて黄昏れる彼の名はバルバロというそうで、話してみると性格まで体付きと一緒で気弱そのものだった。礼一が言うのもどうかと思うが、こんなんで軍人なんて大変なお役目を務められるのだろうか。


「今日から俺たちと一緒に組んでもらう。ん、よろしく頼む」


「ああ」


「ん、こっちは新しく入った新入り二人だ。いいな」


「ああ」


 バルバロはシロッコの呼び掛けに聞こえるか聞こえないかわからないようなか細い声で返答し、こちらと顔を合わせるのを避けるように彼方へと目線を戻す。ポロン、ポロン。彼の手元で楽器が音を立てる。


「相変わらず何を考えているのかわからない奴だ。ん、とにかく出発は明日だ。朝方に塞の入り口に集合だからな。頼んだぞ」


「ああ」


 極めて反応の薄い彼にじれったくなったのかシロッコは早々に話を切り上げ、元来た道を引き返す。


「確かに喧嘩にはならなそうですけど。あの人っていつもあんなんなんですか?」


「大体あんな感じだ。ん、だが大抵の指示は聞いてくれるからあまり問題は起きない。一つ面倒なのはあいつもあれで強情なところがある点だ。自分が嫌なことだったり、都合の悪いことを言われると梃子でも口を動かさずに聞こえない振りを始めるんだ。そうなったらもう手が付けられない。まったく」


 礼一の問いにそう答えるとおっさんはやってらんないよとばかり両手をひらひら振り上げる。しかし彼の言葉を聞いた礼一と洋は、それはあんたがいつもやってることだろという台詞が喉元まで出かかった。人間誰しも自分のことはわかっているようで一番わからないということだろう。


「手っ取り早くここらの地域と明日討伐する魔物について話しておく」


 元居た水場に帰ってくるとシロッコは礼一と洋に向かって講義を始めた。


「塞に来る途中で目にしたと思うが、この山もそうだしその隣の山も、そのまた隣の山も全て緑の殆どない岩山だ。当然そんな場所に住もうなんて輩もいないから地表で目立つ建物はこの塞っきり。他にはなにもありはしない」


 シロッコは大袈裟に周囲を振り仰ぐ。確かに塞までの道程で誰一人として現地民に出くわさなかった。端から糞がつく程のど田舎と馬鹿にしていたため疑問にすら思わなかったが、守る民がいない場所に塞を建てておくというのもおかしな話だ。


「ん、早とちりするな。人は住んでいる。こっちにな」


 首を傾げる礼一達にそう告げると、彼は踵で以って地面をコンコンと叩く。


「まさか、地面の下ですか?」


「ん、ご名答。ここの住民は昔から鍛冶を生業にしていてな。坑道を掘り、鉱石を運び出すから穴を掘るなんてのはお茶の子さいさいだ。地下には立派な住居がごまんとあるらしい」


 まさかまさかの現地民は地底人だそう。一体どんな暮らしをしているのかと礼一は見えもしない地底人を求め、地面をじっと凝視する。


「そう珍しがることでもない。ん、俺たちが通ってきた洞穴だって彼らが掘ったものだぞ。どうも生来背の小さい者が多いらしくてな。自然、洞穴もあの通り狭くて小さいものが多いという訳だ」


 シロッコは急に足元を気にしだした礼一と洋を可笑しそうに眺めつつ意外な事実を伝えてくる。あの居心地の悪いトンネルの製作者はここの住民だったのか。あんな無間の闇の中で日常を過ごしているとはぞっとしない。トンネルでの不快な日々が去来し、礼一の興味は尻すぼみになっていく。


「ん、この地方の事情は大体こんなものだ。それで肝心の討伐する魔物についてだが、」


 話題は今回の討伐対象へと移る。残り二つの魔物の内のどちらだろうかと礼一は耳を峙たせる。


「〈半身〉だ。奴らの最大の特徴はその速さにある。気を抜いているとあっという間に近寄って攻撃される。ん、魔力で身体を強化すればいいだなんて甘い考えは禁物だ。実際のところ魔力強化で出来るのは身体を動かす際の動作や部分部分の補助で、身体を特別に固くしたりなんてことは不可能だ。高速で激突されれば怪我を負うのは必至。心してかからなくてはいけない」


 そりゃおっかない。おっさんのしかめっ面具合からして今喋った内容は誇張でもなんでもなく真実それだけの危険があるようだ。


「矛盾している」


 すっかり話を鵜呑みにし、すわ魔物が襲ってきやしないかと戦々恐々とする礼一とは異なり、洋には別の考えがあるらしい。彼は足元から小石を二つ拾い上げるなり、片っぽの小石でもう片方の小石をガツンッと殴り続ける。身体を強化をした上での行動だ。当然、小石は両方とも割れて砕ける。


「被害を受けるのはお互い様。魔物だってタダでは済まない筈」


 洋はそう言ってパンパンっと手を打ち合わせて欠片を払う。


「ん、ああそういうことか。それが魔物の方はそうでもないんだ。奴らには怪我をしない秘密があるんだ。それはな」


 思わせぶりな口調でもったいを付けながらシロッコは解説を始める。

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