第38話  遁走

 濡れ衣で捕まるなんて泣くに泣けない結末である。礼一と洋は無我夢中で街中を逃げ回り、どうにかして門から街の外に出ようと足掻く。


「追え、追え」


「捕まえた奴には褒美が出るらしいぞ」


「どうやら彼奴らがこの騒ぎの原因らしい」


「森の魔物を怒らせたんだってな」


 そこかしこを逃走する内に表に出てきた一般市民も噂を聞きつけどよめき始める。悪事もデマも千里を走るのは同じようで、礼一達についての讒言がネズミ算式に巷を巡る。


「門はあっちだ。もう形振り構っちゃいられない。直進あるのみ」


 このままじゃ埒が明かないと腹を括った二人は、立ちふさがる壁をぶち破り、屋敷の塀を飛び越え、最短距離で門を目指して突き進む。だんだんとこちらの背格好の情報まで出回りだしたようで、あちらこちらから石やら土くれやら種種雑多な投擲物が飛来する。


 大衆というものは敵に回すと圧倒的な数に物を言わせ、こちらを潰しにかかってくる。先程までの焦りに恐怖心まで上乗せされた礼一達はもう死に物狂い。


「待てッ、俺が直々に躾けてやる。ん、この期に及んでまだ街を壊すか。悪党めッ」


 と、騒乱の合間から誰だかはっきりわかる声が、どういうことだかちっともわからない内容をぶつけてくるのが聞こえる。まさかまさかと振り返ってみれば並み居る人波を抑え、先頭で剣を振り上げるシロッコの姿があった。


「いやいや、どうなってんだよ。どういうことだよ。何であんたがそっち側で俺たちのことを責めてるんだ」


「ん、言い訳をならべても無駄だ。皆の恨みは俺がこの手で晴らしてやる。行くぞ」


 すかさずツッコミを入れた礼一であったがシロッコは猪突猛進で剣の切っ先をこちらに向けてくる。


「痛ッ」


 隙間なく突き入れられる刃先を避けて防いでと絶体絶命の綱渡りをしていると身体に幾つも裂傷が走る。礼一は歯を食いしばりながら痛みに耐え、死中の生を見出そうと拙い腕でシロッコと渡り合う。


 それにしても何ともタイミングが悪い。あともう少しで街の外に出れたというのに。口惜しい限りだ。


「っと、」


 一段と速さと力強さを増したおっさんの斬撃が礼一の得物をお空の彼方に弾き飛ばす。次いで無防備になった彼を庇った洋も一合と持ちこたえられずに武器を取り落とした。


 両手に頼るべきものがなくなった二人は目の前の敵から目を離さないようにしながらじりじりと後退する。しかし無情かな。背中がドンッと後ろにあった障害物にぶつかる。これ以上は下がれない。ひたすら凶器が当たらないように躱すしかないのだ。


「ん、覚悟は決まったようだな。いざ」


 シロッコの切り込みには一切の躊躇が見られなかった。故に礼一達もここが正念場と持てる力を総動員して対処する。だが傷は益々増え、血はどんどんと流れていく。所詮気の持ちようで上がる実力なんてのは微々たるもので戦況は悪化の一途を辿り、最後には礼一と洋の二人ともが地面にうち臥すこととなった。


「やるならやれよ。禿おやじ」


 万策尽き、迫りくる死から逃れる術がないと知った礼一は気力でおっさんに中指を立てる。彼の怨念たっぷりの捨て台詞が届いたか、届かなかったか、ズシャッ、ズシャッとシロッコの足音が近づくのが聞こえる。


 頭付近に揺れを感じ、すぐ近くにシロッコがいるのがわかる。一体何を思ってそこに立っているのだろう。今朝まで寝食を共にしていた仲間を切り捨てる心情なぞ察するべくもなく、礼一自身もどんな感情で接したら良いのやらわからない。


 微妙な心持ちでそれでも緊張しながら処刑の時を待っていると西日で長くなった影がぐーと覆い被さってくる。


「ん、ではな。ほら早く逃げろ。追い立てすぎて悪かった」


 耳元で小さな囁き声が早口に告げる。それは先程とは一転してこちらを気遣うような穏やかな口調で、礼一は思わず顔を上げる。


「ん、人の顔をじっくり眺めてないで早く遠くに行ってくれ。そうだな。被害にあった村の辺りで落ち合おう」


 若干ではあるが疲れた色を滲ませた顔でシロッコは気だるげに手を払う。とっとと消えろということか。礼一は急ぎ洋を抱え上げ、一緒になってよたよたと山へ向かい始める。


 二人が去り行く途中、街の中から大きな歓声が上がるのが聞こえてくる。自分達が死んだなんて知らせが届いたのだろうか。魔物を追っ払いに山へ入った筈が、街の人間から追われる身になるとは何とも皮肉な話である。


「ちょっと休憩しよう。ここまで来れば街から見えることもないだろう」


 村へと続く道の半ばで礼一は地面にへたり込む。身体は鉛のようだし、口の中はからっからだ。


「なぁ水なんて持ってないよな」


 あまり期待もせずに洋に聞けば、掌に冷たい塊を乗せられる。


「おまっ、これ」


 見れば魔道具であった。この友人はあんな切羽詰まった最中にちゃっかり盗るものを盗っていたらしい。全く頼もしい限りだ。呆れつつも感心し、礼一は喉を潤す。お陰様で多少元気が戻り、残りの道程も時間は掛かったが消化することができた。


 村に着くともう騒がしさなんて一切なく、倒れていた人も悲鳴を上げていた人もいなくなっていた。皆十把一絡げに逃げ去ってしまったのだろうか。間もなく沈み終わる暗い日差しがゴーストタウンを寂しく照らす。


 辛うじて家の形を留めている建物の中を覗けば、着の身着のまま何処かに避難したらしく生活用品も食事もそのままに残っている。村が襲われたことを知らなければメアリー・セレスト号なみの怪事となろう。


「小屋の方に行ってみるか」


「ああ」


 今にも崩れ去りそうな民家に上がり込むのはちょっとどころではなく危険だったため、二人は昨晩厄介になった駅家に足を延ばす。


「おっ、ここは無事だ」


 多少村から離れていたのと人も食べる餌もなかったためか駅家は今朝出立の際に見た姿を保っていた。これで一先ず寝床の心配はなくなった。礼一と洋はマラソンのゴールテープを切るような心地で建物の中に転がり込む。


「はぁー、疲れた。こんなに大変な一日は洋上で魔物に襲われた時以来だ。やっぱり俺たちにはアクション映画みたいにスリリングな毎日は合わないな」


「間違いない。もう懲り懲り」


 床に寝そべり、長い一日を振り返ると無性に元の世界に戻れたらどんなに良いことかと叶わぬ願いが頭を掠める。こんな気持ちになること自体久しぶりなので今日の体験は思っている以上に堪えるものだったのと礼一は実感する。


 軍人の生活がこんな日々の連続ならば、転ばぬ先の杖のストックが百本あっても足りやしない。明日は明日の風が吹くなんて言ってられたら楽なのだがそうもいかない。

 そんな風に先行きの不安に頭をかき回されている内に礼一、そして洋の瞼はこっくりこっくり下がっていって、たちまちに無防備な姿で寝入ってしまうのだった。

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