第25話  公開

「おい、聞こえてるか?」

「うん、聞こえるよ」

 よし、問題なく繋がった。礼一は店主の方へ顔を向けて頷く。

「出来たかい。じゃあちょっと確認させて貰うよ。会話はそのまま続けておいてくれ」

 言われた通りに魔石との意思疎通を続行していると、店主は身体のあちこちを触っては首を捻る。最初は胸の辺りを触っていた手は徐々に上がっていき、不躾に頭部を撫でまわす。相変わらず一切こちらを気にかけてくれず、ひたすら顔を揉みくちゃにされる。目に指を突き入れられかけた時には礼一も我慢できず非難の声を上げたが、一顧だにされなかった。

「ふーん。おかしなことになってるね。魔石の干渉できる範囲が頭の方にまで広がっている。変だね。声が聞こえだしたのはいつぐらいからだい?」

「手術終わってすぐぐらいからです。最初は知らないうちに口が動いたりしていたみたいなんですが、今はそんなことはないです。あのこれって大丈夫なんですか?意識乗っ取られたりなんてことはないですよね?」

 礼一の返事を聞き、ようやく結論が出たようで行儀の悪い手が動作を止める。

「確かに手術が終わってすぐであれば魔石も煙状だからある程度自由に動けるだろうね。いや、本来粉々になって意識があること自体がおかしいし、既にある魔力の道は身体の持ち主本人の支配下にある筈なんだが....。あんな粗末な魔力の流れなら支配を奪うまでいかなくとも、共生するぐらいは可能か。すると後はどうしてその魔石にそんな動きが出来たのかだね。能力に関係するのか、それとも....。何だ、そうか。直接聞けばいいじゃないか。ちょいと聞いておくれ」

 勝手に自己完結した店主は礼一の肩をグワングワン揺すって命令する。あれだけ色々詳しいのだから〈隠人〉とやらの能力ぐらい知っているのかと思ったがそうでもないらしい。仕方なく魔石への聞き取りを開始した礼一だったが、徐々に明らかになる能力や生態に嫌な汗が噴き出す。

 この〈隠人〉という魔物の最大の特徴は異常に統制の取れた集団行動にある。敵から逃げる時、獲物を襲う時、いついかなる時も彼らは一塊の生命体として動く。敵は一斉に逃走する群れ自体に大きなダメージを与えられないし、獲物は抵抗する間もなく屠られる。

「まさかそんな能力だったとはね。仲間の死骸を使ってるだなんて想定外だよ。意思が残ったり、やけに数が多かったタネもそいつだろうね」

 魔石の話はこれ以上なくあやふやだったが、店主には凡そ理解できたらしい。翻って通訳係の礼一はこれっぽっちの内容も飲み込めなかった。何しろ魔石の説明は生前の記憶が曖昧なこともあってフィーリングの要素が強すぎた。獲物を見つけたらギュッとしてガーとやってソーっと行ってガブッとやってサっと逃げるなんて言い方ではわかるものもわからないのだ。

「あの、俺には本気で意味不明だったんですけど」

 申し訳なさそうに礼一が切り出すと店主は可哀そうな奴を見たように両目を覆う。まだ面倒臭がられた方がマシだ。

「今日日神様にお願いすることはないとは思っていたのはあたしの思い違いだったね。どうかこの哀れな男に使える頭をお授けください」

 キレてもいいだろうか。天を仰いで戯言を唱える姿に感情が暴発しかける。

「不満そうな顔をしているがああいった説明がわからないのは知識不足以外の何物でもないよ。あんたはこの一ヶ月何を考えて魔物と闘ってたんだい。腕を振り回すばっかりが闘いじゃないんだよ」

 極めて正論のお叱りを受けてしまった。確かに魔物を倒すときは無我夢中、敵の生態や能力に考えを巡らせるなんてことは殆どなかった。

「知識こそ力、甘く見るんじゃないよ。まぁいいさ、特別に教えてあげる。あんたの魔石の能力は魔物の操作、それも死んだ奴のね。そもそも魔物にとっての死は安らかに寝床で迎える類のものじゃない。人間に倒されたり、病気になったり、果ては仲間や他の魔物に殺されたりで天寿を全うするなんて稀も稀。だから奴らが死んだ時ってのは身体は死んでいるが魔石は生きている状態なのさ。そういう意味じゃ死んだ他者の魔石を支配して特定の行動を強いるなんて能力は極めて魔物らしい。勿論制限は多いだろうさ。死にたてほやほやの骸じゃないと意味がないだろうし、魔石に自分の魔力を入れるなら相当魔力も要る。それに死因が身体を動かす機能に障らないのも絶対条件、元が死体だから持も悪い。操る対象を見つけること自体一苦労だろう。えっ、身体が乗っ取られるかどうかって?そんなことどうでもいいじゃないか。にしても自我があるなんて素晴らしいね。無意識に魔石である自分自身を支配したのかそれとも.....。何れにせよここまで条件が揃うのは今回限りだろうし、次を期待するのは難しい。あんたは貴重な実験体。何だい、煩いね。もう魔石は定着したんだからこれ以上支配を広げるのは至難の業だろうさ。それに今更ピーピー喚いても仕方ないよ。手術は終わってしまったんだからね」

 途中から店主は自分の思考に没頭し、礼一の質問は邪魔もの扱い。その上身体を奪われないというお墨付きすら貰えなかった。どうすればいいんだよ。今度は礼一が両目を覆うことになる。

「ほら、もう説明は終了さ。あとの詳しいことは自分で魔石に訊いとくれ。そうして何かわかったら私に報告して頂戴。はー疲れた、疲れた。さっさと料理を作っておくれ。肉は....、あったあった、こいつを使うといい」

 彼女は絶望する此方に頓着せず、手掴みで生肉を差し出す。ちょっと待て、その肉は隣の隠し部屋から持って来た奴だろ。大丈夫なのか?ええい、ままよ。

 溜息一つ、礼一はトボトボと食卓へ向かい、調理を開始する。謎の肉に囓りかけの菜っ葉、転がっていたスパイスを煮込んで出来たのは即席のシチュー。幸い船で食べたピオの料理で食材の味は掴めていた。

「それでは失礼します」

 食事を頬張る店主に挨拶をし、“魔物の家”を出る。外は午後の日差しの独壇場。布に包まれた礼一の身体から早くも汗が流れ出す。実のところ済まさなければならない用事が後一つ残っている。糞爺こと管理官のお遣いだ。そうそう街を離れられない彼に代わり、指令や書簡を運ぶ仕事である。一応礼一の初任務だ。

「初任務が伝達役って、まんまはじめてのおつかいじゃないか」

 初っ端の任務としては少しばかり地味だった。それに必要ないとのことで未だ剣の一つも持たせてもらえていない。襲われでもしたらどうするというのか。世間で怖いのは何よりも人間なのだ。貧民街に満ちる品定めするような視線から逃れるべく礼一は足を急がせる。

「ここも一ヶ月ぶりか」

 急いだせいか管理官の家には然程の時間もかからずに到着した。前に訪れた時と同じ格好で持ち物も大してないが、ドアノブを握る手のタコがこの一ヶ月で得たものを教えてくれる。

「ごめんくだ――」

「何で魔道具を売ってくれない。これだけ素材と金と人員を用意したんだ。幾らでも作れるだろう。大体あなたを間に挟む理由は何だ。直接本人と話をさせてくれ」

「彼女は一人で作業したがるんですよ。それに素材と金もこちらから全て無償で提供するという約束になっています。それに表の煩わしいやり取りも裏のやっかいな取引も全てこちら持ちです。そうでもしないと囲い込めない人物なんですよ。あなたにこれ以上の待遇を用意できますか?出来ないならどうぞお引き取りを。後日競売に参加して下さい。こういったお願いはよくありますが全て断らせて貰っています。その方が断然お得ですから」

 どうやら取り込み中らしい。見るからに偉丈夫な男が老人に追い返されるところだった。男は怒るでもなく何か悟った様子で礼一の開いた扉から退出していく。

「おや、君は。待たせてしまって悪かった。さっ、そこに腰掛けなさい。お茶でも淹れよう」

 管理官は扉の脇にポツンと立っている礼一を発見し、先程とは打って変わった穏やかな声を出す。彼は卓上の冷めたティーカップを下げ、新たに給茶の準備を始める。

「はい、どうぞ。ああ、さっきの客については気にしなくていい。良くある手合いだ。新興の商会が挨拶にやって来て、その実は高名な“魔物の家”の魔道具を融通してくれと持ち掛けてくる。街のオークションで落札すると、品数が少ない上に競り落とせても価格は法外というのでね。君も知っているようにあの娘はいつも一人。魔道具作り自体趣味みたいなもので本業の手術の片手間に過ぎない。だから彼のような商人には端から断るつもりで会っている。おかげで手術は滞らず、オークションも順調。おまけに私は美味しい茶が飲める。どれ珍しい共国産の茶葉の味は如何かな」

 礼一の手元で湯気と一緒に落ち着いた柑橘系の匂いが立ち上る。勧められるままにカップを傾ければ癖は強いが味わい深い液体が流れ込む。

「ふむ、彼の手土産は中々に気が利いている。さてと君は伝令として寄越されたようだから、先に書類を渡しておく」

 管理官はつと席を立つと封書の束を手に戻ってくる。

「塞へはこの封蝋の印が見えるように持って帰りなさい。この印を確認した上で邪魔立てをする人間は殆どいない」

 そう言って渡された書簡はズシリと重く、責任が否応なく肩に被さる。どこぞの黄門様よろしく口上を述べよう等と考えてしまったついさっきまでの自分の頭を叩きたい。

 肝心の配達物を受け取った後は、老人から尋ねられるに任せて近況や四方山話に花を咲かせ、頃合いになった辺りで家路についた。帰り道は拍子抜けするほどにスムーズで、お偉方の兵舎で衛兵から小言を頂いたことを除けば無為に終わる。彼らときたら何かにつけ難癖をつけなければ生きていけない病気にでもかかっているのだろうか。折角荷物を届けに来た人にあの対応は何だ。重責から解放された充足感とちょっぴりの小言を抱えて礼一の一日は暮れていく。

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