第24話 訪問
正直なところホッとした。何も起こらなければどうしようという不安の中、何かは起きてくれた。礼一はゆっくりと手の平を開く。
「綺麗だ」
感応石は鮮やかな紫色を呈し、内側で渦のようなものが巻き起こっている。礼一自身の現象は緑色の毒煙なので少なくとも単なる現象の発露でないことは確かだろう。
「お、おーい。返事をしてくれ」
未だ息づく石に震える声で呼びかける。
「き、聞こえるかな。何にも喋れなくなっちゃっててびっくりしてたんだよ。前回急に文句を言われたから最初はちょっと無視しちゃってたのもあったんだけど、いざ喋ろうとしても声が出ないからどうしようかと思って」
聞こえてきた気弱な声に礼一はホッと安堵する。しかし感応石が反応しなかったのはこいつが臍を曲げていたせいか。まぁ原因がわかったので良しとしよう。それに喋るように言葉は伝わってくるが、礼一の口が独りでに動くこともない。これで気味悪がられることもなくなった。人目を憚る人生はさながら頸烈な圧を堪え忍ぶ滝行に似たりである。礼一の豆腐メンタルにはちとハードルが高過ぎる。
「いや、良いんだ。声が聞こえてよかった。ところで俺はどういう状態なんだ。そもそも君は魔石なんだろう?何故君と喋れているのかよく分からないし、君の存在自体が謎なんだけど。ああ、悪口を言っているんじゃなくて単純に疑問というだけだ」
どうやら礼一自身も声を出さずとも意思を伝えられるようだ。幾分か感応石に魔力を吸われるが何てことない量だ。
「ごめん。そこら辺は僕にもわからないよ。僕自身は話したりは出来なくなったけど、最初よりはっきり周りの様子が感じられるようになったかな。匂い以外がしょっちゅう途切れるのは相変わらずだけど」
返ってきた答えを基に考えれば、この魔石は礼一の視界やその他の感覚を間借りおり、今のところ自分からは動けないといったところか。感覚が途切れるというのはわからないが、魔石の状態がわかったのは有難い。
しかし機を同じくしてとある可能性に気付き、礼一は焦りを覚える。店主は魔力が溜まるほどに魔石の意思は大きくなると言っていた。このままだと最悪この魔石に身体を乗っ取られるなんて事態があり得るのではないだろうか。早いところ“魔物の家”に行って確認しなければ。
「と、取り敢えず現状維持ということでそのままでいてくれないか。余計なことをしようとしないでくれよ。そろそろ俺はそろそろ眠るから話はまた明日にでもしよう」
朝一で貧民街の外れに向かおうと決心し、魔石に変なことをしないよう注意する。おかしな変化をされても困るので、急ぎ会話を打ち切り感応石から手を放す。
「はあー」
仰向けに寝転び動悸を鎮める。そして全てを明日に託し目を閉じ眠る。
否、眠ろうとしたのだが、不安一杯で眠れない。次に目を覚ました時には身体が自分のものではなくなっていただなんて世にも恐ろしい。不安が不安を呼び、結局寝ずに夜を明かしてしまった。
「おはようございます。ちょっと問題が起こったので“魔物の家”に行ってきます。兎に角ヤバいので行かせてください」
「ん、ああ。わかった。目が真っ赤だが大丈夫か」
翌朝、出会い頭にお願いすると、気迫に押されたのかシロッコは簡単に外出を許可してくれた。これ幸いと最低限の荷物を持って山を駆け降りる。塞のある山には流石の魔物も居着かないため、一人でも問題なく通り抜けられる。ここ一ヶ月程の修行のおかげで山中の移動に障害はない。
「ここからは姿を隠さないとな」
麓に出たところで持参した仮面と布を頭から引っ被る。山では引っ掛かかると邪魔なので身に着けていなかったがここからは事情が違う。辺りに気を配りながら街まで歩き、繁華街の向こうにあるあばら家の群れを目指す。
ドンドンッ、ドンドンッ
“魔物の家”の扉を連打する。朝早く出たつもりであったが辿り着くまでには時間がかかり、もう昼前だ。流石にこの時間であれば店主も起きているだろう。
「朝っぱらから煩いね。一体誰だい」
礼一の思った通り、程無くして不機嫌な顔で店主が現れる。
「あんたかい。三日後に来いって言ったのがわからなかったのかい。私だって暇じゃないんだよ。帰った、帰った」
彼女は容赦なく追い返そうとしてくるが、礼一は知っている。この女は日中に予定を入れることはまずない。勿論地下の部屋での実験といった個人的な用はあるのだろうが、外向きの用事はない筈だ。何よりここまで来たからには迷惑を承知で質問をしなければ。
「ご、ご飯作りますよ。どうせ一人じゃまともなものは食べていないんでしょう。ちょっとでいいからお話をさせてください。お願いします」
何とか引き留めようとして出てきた言葉が料理当番への志願というのは我ながら笑えるが、ここで礼一が役に立てるのはそれぐらいだ。店主も考える素振りを見せている辺り強ち間違った申し出でもなかったようだ。
「ふむ、わかったよ、中に入んな。あんたの魔石については気になっていたからね」
良かった。提案は受け入れられ、礼一は店主の後を追って敷居を跨ぐ。
「それでここに来たってことは魔石は使い物にならなかったのかい」
廊下を歩きながら店主が尋ねてくる。
「いや違うんですよ。反応はあったんですけど変なんですよ。声は聞こえるし、今は違いますけど勝手に口は動くしで。どうやら魔石に自我があるみたいなんですが...」
礼一が昨夜の奇妙な一件について堰を切ったように語り出すと、食卓に向かっていた店主の足が止まる。
「予定変更だ。下に行くよ」
振り返りもせずに彼女は地下へと続く脇の階段に足を掛ける。えッ、あそこに行くのかよ、あんまり良い思い出がない。激痛、それに排泄物と吐瀉物の臭気が頭を掠め、気分は右肩下がりに落ち込む。
ギィーと軋んだ戸口からは代り映えなく薄気味悪い室内が見える。自分たちが去った後、幾人がここで悶え苦しんだだろう。礼一は床に固定された椅子を沈痛な面持ちで眺める。
「ほら、ボサッとしてないでさっさと座りな。どういう具合なのか見させて貰うよ。何だい、怖いのかい。情けないね。痛いことはしないから安心しな」
急き立てる声はまるで信用できない。諦め半分で礼一は椅子に腰掛ける。座面は冷たさが尻にしみる。
「それじゃ昨晩やったっていう感応石を介した会話とやらを見せて貰うよ。そうそう、変な事が起きた時用に足は縛らせて貰うよ」
店主は何処に隠し持っていたのかヒョイとこちらに感応石を放って、手早く礼一の足を椅子に縛り付ける。デジャヴだろうか。前回と殆ど一緒の光景に身を置くことになってしまった。心なしか前よりも縄目がきつい。身体強化で脱出しようにも、これだけしっかり結ばれては力を込めることすら出来ないだろう。
「じゃあ、やりますよ」
足がちょっとばかり鬱血しているのを我慢しながら、礼一は昨晩と同様に魔力を通す。持っている感応石が違うので反応がないかと心配したが、問題なく石は魔力を吸い上げていく。蛭が血を吸うように魔力を取り込み、生きているみたいに脈を打つとは変てこりんな石である。
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