第16話  進入


 痒い。何だか全身そこもかしこも痒くてたまらない。ちょっと掻いたぐらいでは治まりがつかず、礼一は飛び起きる。

 ボリボリと気が済むまで一通り身体を掻きむむしりようやく落ち着く。どうやら布にダニでもついていたようだ。礼一以外の二人も寝ながら器用にモゾモゾ動き回っているところを見るに、被害は同様らしい。

 夜明け前なのだろう。空が白んでいるものの、日は見えない。起床するには気が早かったが、再びダニの巣に潜るのも気が引ける。

「寒いな」

 布から這い出して立ち上がり、ブルっと身体を震わせる。何しろ現在地は朝早くの山頂付近、寒いのも当然だ。仕方なく強行軍で痛めた身体を解して体温を上げる。

 早寝早起きに運動と、無駄に健康的な朝を過ごしていると洋とシロッコが順にムクリと頭を上げる。二人とも身体を掻き掻き布を払いのけ、寝ぼけ眼でぼんやり周囲を見渡している。

「ここは寒いですし、早く塞の中に移動しましょう」

 上下四方の遮蔽物が欲しくて礼一は二人を催促する。

「んーーう」

 シロッコが言葉にならぬ生返事をして荷物を担ぎ上げ、のろのろ歩き出す。礼一と洋も布と筵を背負って後を追う。三人とも暖は欲しいのだ。

「おーい。もう朝だぞ。開けてくれ」

 シロッコが壁上に向かって大声で叫ぶと、応じるように壁の縁から手が振られる。それが見えてちょっとばかり安心する。門が開くまで立ちんぼなんてのは考えるだに恐ろしい。

 少し経ってから無事門は開かれ、中から矢鱈と恰幅の良い男性が出てくる。まぁ恰幅が良いと言えば聞こえは良いが、端的言ってしまえばデブだ。お腹が西瓜のように膨れ上がっている。中に新生児でもいるぐらいに。

 彼の人物は禿頭で赤髭をもっさり生やしており、シロッコと並べると丁度山賊の親分子分に見える。

「遠路遥々お疲れ様です。シロッコさんの計算違いで外でお待ちして頂く形になってしまい申し訳ありません。ささ、どうぞ中へお入り下さい」

 男はまるで商人か何かのように、満面の笑みで手を揉み揉み腰を振り振り話しかけてくる。単に丁寧な人に出会ったと思いたいところだが、礼一と洋は昨晩同じ人物の怒鳴り声をを聞いている。故に人物評は右往左往だ。

「おい、その変な喋り方を止めてくれ。似合ってないし、気味が悪い。二人にはもうお前の本性はバレている」

 二人が困惑しているとシロッコが男へ文句を言う。

「何でぇ、バレてたかい。まぁいいや。オレはパシってもんでよ。シロッコの野郎とは昔から仲良くしてやってんだ。まぁ気楽にしてくれや」

 男は腹を揺すりながら先程とはまるで違った調子でしゃべりだす。こっちのが外見に似合ってる。

「話すのは後にしてくれ。兎に角通らして貰うぞ」

 喋り足りないのかまだ何かを言いかけているパシを無視して、シロッコが脇をすり抜ける。礼一達も今は相手をする余裕がないので、申し訳ないが抜けさせてもらう。

「おー」

 門の中の景色を見て礼一と洋は感嘆の声を上げる。てっきりガチムチな城でもあるのかと思いきや、石造りの建物が整然と並ぶ一つの街が在ったのだ。昨夜門外から聳え立って見えたものはこちらから見て一番手前の塔であろうか。上から睥睨されているようでとてつもない圧迫感を感じる。

「凄いだろう。手前のあれは物見台、その奥に見える二つ並んだ大きな建物が兵舎だ」

 シロッコがそれぞれの施設について説明してくれる。何だか都会に出てきたばかりの田舎っぺの気分だが、これ程の規模なら凄いと言うのも頷ける。彼の話では他にも軍議を行う議場、武器を整備する鍜治場、その他治療所といった様々な施設が存在するという。

「とまぁもっと詳しく説明しても良いんだがその前にやることを済ませないとな。ん、手に持ってる布やなんかはここに置いておいて大丈夫だから取り敢えず付いて来てくれ」

 そう言って連れていかれた場所は二つ並んだ兵舎の内、門から見て左に当たる建物であった。

「こちらの兵舎はだな。階位の高い方々がいるところ故不敬のないようにしてくれ」

「はぁ、」

 目的地付近でシロッコが二人に忠告する。だが礼一達にすれば何が失礼でどう礼儀正しくするのかがよくわからない。今の二人は恰好からして礼に則っているのかと言われれば微妙である。何せ全身をスッポリ布で覆い隠し、妙ちくりんな仮面まで着けている。ここへ来る道中でさえ、通りすがる人々に不審がられた。

「ん、紹介状を出してくれ」

 シロッコにそう言われて老人からの紹介状を手渡すと、彼はそれを手に兵舎の方へと向かって行く。残された礼一達が遠目に見ていると、彼は兵舎前で門衛と二言三言話したかと思うとすぐにこちらに舞い戻る。お偉いさんへの取次でもお願いしたのだろうか。手にあった紹介状は消えている。

「全く融通の利かない奴らだ。追って沙汰を伝えるだとか抜かして碌に取次もしやしない」

 どうやら宜しい対応をして貰えなかったようで、おっさんは御冠のご様子。

「大丈夫ですよね?」

「はっ、どうせ大した議論もせずに承認されるだろうよ。あそこの連中にしたら些事も些事だ。へっ、何を大事にしているか知らないがな」

 不安を覚えて礼一が尋ねると、彼は鼻で笑って一蹴する。さっきの不敬云々の件はどこへやら。

「ん、現実問題爺さんの口利きがあれば十中八九受け入れられる。心配する必要はない。用も済んだことだし、俺たちの兵舎へ移動するか」

 そう言って歩き出したはいいが、彼の向かう先は前に紹介した二つの兵舎のどちらでもなかった。むしろどんどんとそこから遠ざかり、門から見て左側の壁近くにある小さな建物へと近付いていく。

「俺たちの兵舎ってのはあそこのことですか?」

 別に特段の不満はないが、単純な疑問として礼一は問い掛ける。さっき言っていたこととは違うのだから。

「ああ、そうらしい。実のところ俺も行くのは初めてでな。あそこに行くのは手術を受けた者だけなんだ。ん、と言っても軍の中で手術を受けている者はごく少数だが」

 答えながらシロッコは白茶けた地面を踏んでいく。そうして建物の前に来たところで三人は足を止める。奇妙なことに、門衛は居らず好きに入れとでも言わんばかりに正面扉が無造作に開いている。

 果たして入ってよいものかと逡巡した三人だったが、誰か住人が出てくる気配もないので思い切って中へ頭を差し入れる。

「すいません。誰かいませんか」

「..............」

 生憎と礼一の呼びかけへの答えはなく、家の中は暗く静まり返っている。幽霊屋敷じゃないんだから誰か出て来いよ。そう思って後ろを振り返るとシロッコが扉から距離を取るように後ずさっている。

「いや何してるんですか?」

「いや、んん、まぁそのなんだ」

 思わず突っ込みを入れると歯切れが悪い答えが返ってくる。まさかとは思うが怖がってやしないよな。礼一は疑惑の目で彼を見る。というかこっちの世界に幽霊がいないと言ったのはこの人だ。一体何を怖がるというのか。

「何かいるのか?」

「ん゛ん゛、そのだな。ここは限られた人しか入らないこともあって色々と噂が立っていてだな」

 流石に怪しいと思ったのか洋も問いを投げるが、何とも煮え切らない。これは御用改めをせねば。

 直ぐさまシロッコを問い詰めて詳細を吐かせると、どうやら出るという噂があるらしい。学校の七不思議的な感じであろうか。


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