第17話 湯浴
「だから俺が言っているのはそういうこではない。噂というより本当におっかないのがいるんだ。ん、君たちにはわからないだろうがな」
礼一と洋が強引に家に入れようと背中を押すと、シロッコは必死になって怒鳴る。しかしここまで来てそんな世迷い言を言われても困る。大体彼が話したのは高速で追いかけてくる女や、姿を消す男、一切の攻撃が通じない老人という凡そ現実味のないものだった。都市伝説じゃあるまいし、所詮は噂話だろう。
「いいから、何でもいいから早く進んでください」
押す方だって大変なのだ。いい加減自分の足で歩いて欲しい。まぁ何か出たらこの人を生贄にズラかろうというセコイ魂胆がなかった訳ではないが。
それにしても本当にこの家には何もない。人が住んでいれば何かしらの家財道具やらがあるものだが、廊下も部屋もがらんどう。平屋なのでここ以外に荷物が置かれているなんてことはないと思うのだが。
「何にもないな」
シロッコが呟く。もう観念したようで自力で歩いている。
「ん?」
コの字廊下の片端付近でムワッとしたアルコール臭をもろに感じ、礼一は鼻頭を押さえる。
「何かいますね」
周りに人気がないせいだろうか。ここだけやけに生活の匂いがする。一行はシロッコを先頭にどん詰まりにある部屋に近寄る。
コンコンッ
扉を鳴らせば乾燥した木の音が響く。勿論その音は内側にも聞こえた筈だが、応答はない。
「ん、そうだな。返事はないが開けてしまおう」
シロッコはそう言うと躊躇なく扉を押し開ける。恐らくは今この家に住人がいるとすれば、この部屋の主以外にはいないと判断したのだろう。
「誰もいないな」
部屋の中には空の酒瓶が大量に転がっている。漂っていた臭いの元はこれだろう。そして人はいない。誰かいたような気がしたのは勘違いだったか。三人はあちこちに目を走らす。
「我輩に何か用かね?」
急に聞いたことのない声がして礼一はびくりと呼吸を止める。見れば先ほど開けた扉の陰に男が立っている。薄い金髪を肩まで垂らし、凝った装飾の三日月刀を手にした風貌は相当に目立つもので、見逃しようがない。しかし今の今までその存在にこれっぽっちも気付かなかった。
「固まっていてはわからぬ。返事をしたまえ」
揃って固まる三人を髪と同色の目が見据える。許可なく立ち入ったことを怒っているのかと思いきや、その瞳からは怒りは感じられない。しかし無感情に見つめられるのはそれはそれで怖い。
「おや、貴様は“口なし”ではないか。成程、今日からこちらの配属か。生憎と何もないが何処でも好きに使うといい」
男はフリーズ状態のシロッコを見て僅かに目を見開いてそう言うと、もう興味が失せたとばかりに窓枠に手を掛けて外を眺める。そして数瞬後まるで最初から何も居なかったかのようにふッとその姿がかき消えた。
「へ?」
会話が一方的に完結したのもあって礼一として何が何だかさっぱりわからない。急ぎ窓から外を見るが何も見当たらない。
「誰?」
当然の疑問を洋が口にしたところで、黙っていたシロッコがようやく再起動する。
「あれが消える男だ。名前はウルグという。奴と接する時の注意点は例え訓練だろうと絶対に戦わないことだ。勝っても負けてもいいことが何もない。頭でも何でも下げて勘弁してもらうのが絶対案だ」
彼は真剣な顔で礼一達に忠告する。その圧に押され、二人はコクコクと頷く。しかし消える男、現実にいたんだな。
「取り敢えず出るとしよう。ん、何というかここは少しな....」
居心地が悪いということだろう。確かにウルグという男がまだいるようで気味が悪い。シロッコの言に従い、三人は建物を出る。
「この建物の裏に回れば洗い場がある。君達はそこで身体を洗っておいてくれ。俺は入用なものを取ってくる」
そう言うとシロッコはタッタと彼方へ駆けていく。残された二人はどちらともなく足を踏み出し裏の洗い場に向かう。
「おい、ここは処刑場だぞ」
「うるさい」
開口一番妄言を口にした礼一を洋が窘める。彼らが今いるのは建物の中庭に当たる場所であり、目の前にはあの大盗賊を釜茹でした風呂、に極めて似た形のものが三つほど設置されている。この大きさにこの形、五右衛門風呂以外の何ものでもないだろう。
「うっし、入ろう」
瞬く間にすっぽっぽんになった礼一は風呂桶の中へ足を差し入れる。脱いだ服は昨日旅塵にまみれまくってぐっちゃらけなので、一緒に洗ってしまおうと桶にぶち込む。どういう仕組みかわからないが、風呂桶の底に足が着いたところで下から温水が湧き上がってくる。恐らく何かの魔道具なのだろう。便利なものだ。しかしこれだけ魔道具で何でも作れてしまうと、逆に文明の発達が遅れやしないかと心配になる。
「ふー、寒っ」
湯が十分に溜まるまで上半身は裸の上に吹きっさらしである。ぞわっと鳥肌が立ち、礼一はブルブル身震いする。洋はその様子を見てシャツだけ脱がずに悠々と風呂に入る。洋君、君には人の心ってものがないのかい。
「おっ、いいねぇ、絶景かな絶景かな」
ようやく肩までお湯に浸かり、満足気に礼一は息を吐く。矢張り風呂はいい。冷え切った身体の芯まで温もりが染み渡る。人非人の洋君もいたく感じ入ったようで隣でおっさん臭い声を上げている。いい気なもんだ。
「ん、君達、若者がそんな腑抜けた顔をするもんじゃない」
「あ、すいません」
丁度戻ってきたシロッコにだらけきった顔を見られ、小言を言われる。自分達が絶賛リラックスしている間、この人は駆けずり回っていたのだと思うと申し訳なくて礼一は頭を下げる。湯桶からでは格好の付きようがないが謝意は伝わったと信じたい。
「ここに替えの軍服とバッジを置いておくぞ。俺はまだやることがあるからこの後は好きに過ごしてくれ。ん、そうだ。腹が空いたのなら塞の門を入ってすぐ右側の建物に行くといい。食料が貰えるはずだ」
一気にまくし立てるとシロッコは急ぎなのか、すたこらさっさと走り去っていく。
「は、はい。ありがとうございます」
その背中に慌てて礼を言うと、もう文句を言う人は誰もいないとばかりに二人は再度湯の中で脱力する。
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