十七
「サンディー! 明人はん!」
静香が二人に駆け寄る。二人は朦朧としていたが、命に別状はないようであった。
「さぁ、脱出するわよ」
麗奈が二人の手を取り、声を掛けたその時だった。
「いやはや、まさかあの量の情魔を倒されるだなんて」
部屋の奥の扉が開き、米澤の声が近づいてきた。右手に拳銃。左手には何か小型の機械のようなものを持ち頭部にはヘッドギアのようなものを装着していた。
「米澤ぁ」
照美が胸に手を当て、荒げた呼吸のまま米澤を睨みつける。
「反抗的な目ですね。……気に入らない。まったく、アナタの家系はいつも私の心を逆撫でる」
米澤はやれやれと言った様子で肩を竦める。
「いつも? ……まさか、アンタ。うちの親になんかしたんか!」
「逆ですよ。アナタの両親が。私の邪魔をしたんです。――バカな人達だ。スターライトコーポレーションが軍事産業に関わっていると知って、それを告発しようとしたのです。だから、消された。私のように企業に魂を捧げれば、こんなに美味しい思いが出来たのに」
米澤は可笑しくて仕方がないと言うように声を上げて笑った。
「クズ野郎が」
明人が唾を吐く。その場にいる全員が、怒りでその身を震わせていた。
「みなさん、そんなに見つめないで下さいよ。照れるじゃないですか。ふふふ。ご心配なく、みなさんをここから出す気はありませんよ」
そう言って米澤が手に持った機械のスイッチを押す。すると機械から影が漏れ出した。
それを見た瞬間、その場にいる全員の身体が震え出した。寒気がする。吐き気がする。思わず両手で身体をさする。
――なんだ? あれは。
それは一見すると通常の情魔のようにも見えるが、異様な威圧感を放っていた。大きさは米澤よりも少し大きいくらいなので二メートルほどかと思われるが、その色の濃さは、今まで見てきたどんな情魔よりも暗く、深く、黒かった。
「研究の過程で、私は情魔を閉じ込める方法を発見したんですよね」
米澤が楽しそうに語りだした。
「初めはね、繁華街をうろついて情魔を探していたんですよ。欲望が渦巻く街は情魔も生まれやすいですからね。それで集めたのが先ほどの情魔達です。あれを集めるのも結構苦労したんですから。まったく、台無しですよ」
そう言って肩を竦めた。
「そのうち、探すのは止めました。作り出す方が早いと分かったからです。なので適当に獲物を見つけては、負の感情を貯めた共感石に触れさせることで、自殺するよう仕向けました。まぁ、たまに取り逃がすこともありましたが。そしてあの日、その石をたまたま拾ったのが、明人君、君です」
そう言って米澤は明人を指さした。明人は自身のリストバンドにちらりと視線を送った。
「最近大阪で悪魔の報告が多くなっていたのはアナタのせいでしたのね」
麗奈が父親の言葉を思い出し唇を噛む。米澤は返事の代わりに鼻を鳴らした。
「ご存知ですか? 情魔は新たな宿主に憑りつき、その宿主を死に至らしめると、より強力な情魔となって現れるんですよ。なので私は思いつきました。情魔の転生を繰り返し、最強の情魔を作ってやろうと!」
米澤は自慢げに隣に立つ情魔を指さし紹介した。
「……どうしてアナタはそれに憑りつかれないの?」
麗奈が苦々しく米澤に問う。
「ウイルスを開発する場合、それに対抗する特効薬も並行して作るのは当然でしょう?」
その質問を待っていましたと言わんばかりに、米澤が自身のヘッドギアを指さした。
「し、か、も。これは情魔に憑りつかれるのを防ぐばかりか、脳内のイメージを伝えることで、情魔に指向性を持たせることも出来るんです。こんな風に、ね!」と言って米澤が指をさすと、情魔がその影を伸ばし出した。
四人は身体を強張らせ身構えたが、影は四人の横を通り過ぎた。その方向に居るのは――独朗と橘だ。
「爺ちゃん!」
照美の叫びと共に走り出した人物がいた。必死で影を追い越し、独朗と橘の前で両手を広げ立ち塞がった。
「あ、明人はん!」
影は明人に狙いを定め、その漆黒の身体を覆いかぶせた。
「明人ぉ!」
「うわぁぁぁぁぁーー!」
影に取り込まれた明人は、あまりの苦しみに叫び声を上げた。それは今まで触れた情魔の不快感の比ではなかった。
地獄と言うものがあるのであれば、その中でも最上級であろうと思えるような想像を絶する苦しみであった。爪を剥がされ、歯を折られ、高熱にうなされ、嘔吐を繰り返し、内臓を直接鷲掴みにされるような。そんな痛みと苦しみが継続して襲ってくる。
それはともすれば、情魔に憑りつかれた人間達の死の直前の瞬間を延々と経験しているような感覚と言ってもいいかもしれない。
――しくしく。お願い、止まって!
静香が霧を伸ばし影を包み込む。が、明人を覆う影が身体を揺するが如く震えると、静香の霧のほうが力負けしたように霧散した。
「この野郎ぉ!」
麗奈も続けて雷を放つ。しかしそれも、影の黒に吸い込まれ、明人を救うことは出来なかった。
「無駄無駄ぁ。君たちの力は先ほど計測しましたからね。その強度では、私の情魔を倒すことは出来ませんよ」
米澤が白い歯を見せつけ笑う。粘着質の唾液が、にちゃりと唇に糸を引いた。
「米澤ぁ!」
照美が怒りに任せ米澤に向かい突進した。しかし、その拳が米澤に届くより先に、米澤の前蹴りが照美の腹部に突き刺さった。
「ぐぇ!」
照美は情けない声を出して吹き飛ばされる。
「研究者だからって弱く見えたかな? ざーんねーん! これでも大学在学中はキックボクシングで汗を流していたんだよねー」
その顔にはもはや礼儀正しい優男の面影は無かった。軽薄で、醜悪な男がそこにいた。
静香と麗奈がお腹を押さえ苦しむ照美に駆け寄る。
その場にいる全員が、殺意を持って米澤を睨みつけた。
「んふふー。ご心配なく。拳銃でバン! なんて楽な死なせ方はしませんよ。アナタ達はエサです。彼が死んだら、次はアナタ達の番ですからねー」
米澤の高笑いが辺りに響いた。
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