十六

 照美達のいる部屋の扉が開いた。


「教授、どうですか? 明人くんの状況は」


 米澤が入ってくるなり問いかけてくる。


「うむ。色々試してはみるが、もう少し時間が掛かるかもしれんのぉ」


 独朗が眉間に皺を寄せて答えた。


「そうですか。こちらは一旦落ち着きましたので、一息ついては如何でしょう?」


 そう言って独朗にペットボトルのお茶を差し出した。


「おお、すまんの」


 独朗が差し出されたお茶を手に取り、嬉しそうに喉を潤した。米澤は笑顔でその様子を見ている。


「あぁ、そうだ。照美ちゃん。ちょっと付き合ってほしい実験があるから、明人くんと一緒に場所を移動しようか」


 照美はなんの疑いも持たずに頷く。


「教授も少し休憩されてから、おいで下さい」


 米澤は独朗にそう声を掛けてから、照美を引き連れ部屋を後にした。部屋の扉が閉じられた途端、独朗の身体から力が抜け落ち、その場でばたりと倒れこんだ。



******



 部屋から連れ出された明人と照美は、一際大きい場所に案内された。天井も高く、バスケットコートであれば二面は取れそうな体育館のような場所だ。


「今度はここでなにすんの?」


 照美と共に移動させられた明人はきょろきょろと部屋を見渡している。


「分からん。ここで待ってて言われた」


 照美も高い天井を見上げている。


『それでは、実験を始めよう』


 スピーカーから米澤の声が聞こえてきた。部屋が広いため、ぐわんぐわんと辺りに共鳴している。


「実験って、何するんですかー?」


 照美は居場所の分からない米澤に呼びかけるように空に向けて大声を出した。


『実践試験だよ』


 米澤の声が聞こえたかと思うと、壁面から黒い影が漏れ出してきた。四方の白い壁を染め上げるかのような、大量の影の集団だ。


「え! あれって」


 明人が驚きの声を上げる。


「……情、魔?」


 照美もその光景に呆然としている。


「米澤さん! どういうことですか!」


 我に返ったように照美が米澤に向け叫ぶ。


『言ったじゃないか。実践試験だって。ちなみに、その情魔は本物だよ?』


 壁面付近で蠢いていた影たちだったが、まるでエサを見つけた肉食獣のように、一斉に明人と照美に向け迫ってきた。



「明人!」

「照美!」



 明人と照美が互いに手を差し出しその手を掴もうとしたが、影の雪崩のほうがわずかに早く二人を飲み込んだ。


『残念だよ、照美ちゃん。君の能力の解析はほとんど終わってしまったからね。後はうちの子達と遊んで貰うくらいしか利用価値が無くなっちゃったんだよ』


 スピーカーから声が流れる。


『まぁ、もし死ぬようなことがあれば、君の共感石は大事に利用させてもらうよ』

 そう言って声の主は愉快に笑った。



――その時だった。



「この、クソ外道がぁぁぁ!」


 室内に一際大きな声が響き、それに呼応するかのように雷が黒い塊を引き裂いた。明人と照美の姿が現れるが、大量の情魔に覆われたせいか気を失うように倒れこんだ。


『なに!』


 驚いた米澤が声のした先を確認すると、部屋の扉が開いており、そこには四人の姿があった。


 橘、麗奈、静香、独朗だ。


 橘はお腹を手で押さえ、その手の隙間からは赤い血が滴り落ちていた。身体の半分を麗奈に預けている。


 一方の独朗も、薬が効いているのか足元がおぼつかず、静香がそれを支えていた。


『お前たち、何故? クソ! 執事も生きていたのか』


 麗奈と静香は、壁際に橘と独朗を腰掛けさせる。 


「私の橘を舐めないで頂戴。セキュリティを専用サーバに置いたのも間違いだったようね。外部からの侵入は防げても、内部からは簡単に解除出来てよ」


 麗奈が自信満々にスピーカーに向け見得を切った。


「橘、アナタまだ死なないわよね?」


 麗奈が腰を落とし、苦しそうに息を継ぐ橘に向けて問いかける。


「麗奈様のご命令とあらば」


 橘は脂汗をかきながら、それでも笑顔で答えた。




 一度はバラバラに弾けた情魔であったが、尋常ではないその量に物を言わせ、今度は麗奈達に向かい飛び込んでくる。


 影の魔の手が四人に達しようとしたその時、情魔が見えない壁に衝突したかのようにべちゃりと広がった。


 ――しくしく。……こんな。こんな悲しいこと。


 静香がぼろぼろと大粒の涙を流している。その身体から溢れ出る霧は、もはや猛吹雪といっていいほどの濃度と勢いであった。

 そしてそれらが寄り集まり、半球状の盾と化し、情魔の猛攻から四人を守っていた。

 しかし、情魔の大群の物量は尋常ではなく、ミシミシとヒビが入るような音が聞こえてきた。


 ――静香、アンタ泣女としての自覚が足らんのとちゃうか?


 静香の脳裏に、祖母の言葉が蘇る。


 ――泣女は孤独でないとあかんということや。


 静香は首を振る。


「違う。……それは違うでお婆はん」


 静香は涙を流し、それでもしっかり情魔を見据える。


「あてはみんなと出会えて良かった。嬉しかった。だから、だからこそ! 喜びを知るから、人は深い悲しみを知るんどす! あてのこの力は孤独やおまへん! 独りよがりの悲しみやおまへんのや!」


 静香はもう絶叫と言っていいほどの嗚咽を漏らし出した。静香の作り出す盾は、より太く、より頑丈になり、まるで壁のように情魔の前に立ちはだかった。


 情魔は静香の作り出すその強固な壁に傷一つ付けることも出来ず、逆にその壁に触れたそばからまるで酸を浴びせられたかのようにジュウジュウとその身を消失させていく。


「素晴らしいですわ。静香さん」


 麗奈が声を上げる。


「私も、参戦致してよ」


 その手に持った十字架に力を込める。


「れ、麗奈様。暴言を……」


 橘が痛みに耐えつつ、擦れた声を出す。


「心配いらないわ橘。暴言は必要なくてよ」


 麗奈は口角を上げ橘に答える。金色の髪が静電気によりふわりと浮き上がった。



「……私は今、人生で一番怒っているわ」



 そう言うと情魔に顔を向け、大きく息を吸い込んだ。


「おんどりゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!」


 部屋中がビリビリと痺れるような絶叫と共に、麗奈の怒りが炸裂した。

 瞬間、眩い光が辺りを包み、その光に追いつくようにドガンと雷の轟音が響き渡った。


 巨大に膨れ上がっていた情魔の塊が、まるで断末魔の叫びを上げるようにジョワァと音を出し消滅した。


『そんな、バカな!』


 米澤がスピーカー越しに驚きの声を上げた。

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