十
黒塗りの高級車が門をくぐる。車が門を通り過ぎると、自動的に門が閉まった。
――兵庫県、
ここに、関西でもトップクラスの高級住宅街がある。この近辺にはコンビニなどの商業施設はなく、巨大な敷地を持つ一戸建て住宅のみが立ち並んでいた。
新たな住民が家を建てようとする場合は、近隣住民を集め説明会を実施するほど、ここの住民たちはこの土地に対して愛着と、プライドを持っている。
玄関前に止められた車から、すらりと伸びた足が現れた。車から降りたその立ち姿を見ると、手足は長く、反面、女性らしい部分には豊かな膨らみがあり、一流のモデルと見紛うばかりのスタイルである。
麗奈は玄関の扉の前まで行くと、執事の橘がその扉を開けるのをしばし待ってから優雅に中へと入って行く。
「ただいま帰りましたわ」
麗奈がリビングでくつろぐ父親に声を掛ける。その声に顔を上げた麗奈の父もまた、ハリウッドスターと言われても信じてしまうほどの容姿の持ち主であった。瞳の色は蒼く、透き通った金色の髪をオールバックに整え、高く伸びた鼻の下には、同じく金色の口髭を生やしていた。
「あぁ、麗奈。おかえり。……で、例の彼はどうだった?」
父親は読んでいた書類をテーブルに置き、麗奈に問いかける。
「残念なことに、私の前ではその力を見せることはありませんでしたわ」
そう言って麗奈は父親に今日の出来事を報告する。
「なるほど。しかし、退魔の能力を持つ仲間が増えたのは心強いことだな。最近は、大阪のほうで妙に悪魔出現の報告が多くなっているからな」
麗奈の父が顎に手を当て、渋い顔になる。
「ご心配には及びませんわ。悪魔祓いは私に任せて、お父様は会社の経営に集中なさって下さい」
「そうは言っても、可愛い我が子に無理をさせる訳にもいかんだろ。どれ、久しぶりに私も現場に」
「結構です」
冗談めいた父親の言葉を遮り、麗奈は強い口調で拒否反応を示した。
「……そうか」
父親は、少し寂しそうに呟いた。
「それでは、私はシャワーを浴びてきますわ。橘、今日は魚料理にして頂戴」
そう言い残し、麗奈は父親のいるリビングを後にした。
橘はその背に向けてお辞儀をする。
「……あの子はまだ、私のことを許してはくれないようだね」
父親が呟くように橘に向け話しかけ、壁に掛けられた写真を見やる。プロの写真家に撮影させた家族写真がそこにある。凛々しく立つ父親と椅子に腰掛け笑顔を見せる幼い麗奈。そして、父親の隣には気品溢れる日本人女性の姿があった。
「あれは、防ぎようのない事故でございます」
橘が自身の足元に目線を落とし、冷静で、しかし仄かな情を感じられる声で答える。
「いや、私のせいで留美が亡くなったのは事実さ。そのせいで悪魔祓いが出来なくなったこともまた……」
――静かに目を瞑った父親の意識が過去へと飛んだ。
うだるような暑さが続く中、休暇を避暑地で過ごそうと家族で軽井沢にある別荘へと向かった。
ほんの少しの好奇心であった。別荘近くのロッジで幽霊が出るとの噂を耳にし、軽い気持ちで向かった。妻の留美と幼い麗奈を引き連れて。
ともすれば、現場研修のような気持ちもあったかもしれない。麗奈に対し、父親のカッコいい姿を見せたいという色気もあっただろう。しかし、その判断が間違いだった。
現場に着くなりすぐにわかった。湿った瘴気のようなものが辺りに充満していた。しかしここに来てもなお、男の心には余裕があった。――普段通り、祓うだけだ。
ドアの鍵を橘に開錠させ、車で待機するよう命じた。橘は少し心配そうにしていたが、大丈夫だと言い放ち、命令に従わせた。
ロッジの中は閑散としていた。しばらく誰も立ち入っていないのか、そこかしこにクモの巣が張っていた。窓から差し込む光だけを頼りに、悪魔の居場所を探る。麗奈は少し怯えた様子で、留美にしがみついていた。男は可愛い娘に笑顔を向ける。大丈夫だよと言わんばかりに。
リビングに悪魔がいないことを確認すると、二階の寝室へと目線を移した。何部屋かに別れているようだ。
二人を従え、ゆっくりと二階へ上がる。――感じる。ここにいる。
長年の経験からか、両脇の部屋を無視し、一番奥の部屋へと一直線に向かう。十字架を握りしめ、ゆっくりと扉を開けた。――いた。
埃をかぶったベッドの脇で、黒い影が動いていた。
近づくにつれ、映像が流れ込んでくる。幼い子供が、両親に痛めつけられている映像だ。
「……酷いな」
凄惨な映像に顔をしかめながら、男は十字架を悪魔に向けた。
「優しい両親の元に生まれ変わることを祈ってるよ」
虐待をしていた両親への怒りを力に変えた。
「このくそったれが!」
大きく叫ぶと、十字架から雷が放たれ、黒い影は粉々に散った。男は一つ息を吐いた。
「見てたかい? 麗奈……」
振り返るとそこにいるはずの留美と麗奈の姿がない。
「留美? 麗奈?」
不審に思った男は、廊下に出た途端に飛び込んできた光景に息を飲んだ。
愛する妻が、愛する娘の首を絞めているではないか。
「留美! 何を」と言いかけた男の目に、妻の身体から漏れ出す影が映った。
「もう一体いたのか……」
男は十字架を突き出すが、その後の言葉が続かない。影に取り込まれた留美が、男に気付き顔を向けた。
――なんてことだ。
愛する妻の顔は普段の気品あふれるものとはかけ離れていた。醜く歪み、怨嗟の表情を生み出している。この世のすべてを恨む顔だ。
「あぁ……留美」
男の目には涙が溢れ、十字架を持つ手が力なく垂れた。本来であればすぐさま祓う状況であるが、それも出来ないほど男の気は動転していた。
「……おと……さ」
その声を聴き、男は顔を上げる。留美の手は未だに麗奈を締め付けている。
「止めろ! 留美!」
男は咄嗟に二人に駆け寄り、無我夢中で留美の手を引きはがした。力の加減は出来なかった。男が突進した反動で留美の身体が投げ出された。踏み場の無い、階段の上へと。
男の目から妻の姿が消えた。バタン、バタンという落下音だけが耳に届く。
「留美!」
男が階下を見下ろすと、力なく倒れこむ妻の姿が目に映った。が、次の瞬間、留美の身体から影が溢れ出した。次の獲物を探すように、触手のような影を伸ばしゆらゆらと揺れている。
「あぁ……」
男は涙を流し呆けていた。もはや、通常の思考は出来なくなっていた。
「お前なんか、お母さんの身体から出ていけ!」
突如聞こえた声と共に稲妻が走り、悪魔の身体に突き刺さった。悪魔は断末魔のようなジュウという音を立てて、そのままボロボロと崩れ去った。
男の隣には息を切らし、涙を流す麗奈の姿があった。男はゆっくりと手を伸ばすと、その震える手で娘を強く抱き寄せた。
当時の光景を思い出し、父親は強く目頭を押さえる。
「……橘。頼む。あの子を守ってやっておくれ。思慮深く、優しいあの子を」
まっすぐと自分を見つめる主人に対し、橘は声を出す代わりに、深いお辞儀で返事をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます