「素晴らしい!」


 高橋家に戻った一同の前で、独朗が声を張り上げた。全員がリビングに集まっている。


「つまり泣女の一族は【悲しみ】の感情で。鳴神の一族は【怒り】の感情を用いて情魔の結合を解いているという訳か!」


 まるで舞台上のミュージカル俳優のように動き回り、大きな身振りで感動を表している。


「そしてこういった仮説が立てられる。共感石の力には相性があり、それぞれに合わせた感情に特化してその力を発揮するということじゃ。つまり、うちのサンディーがいくら悲しんでも、怒りに震えようとも、その感情の力は発現しないということじゃな」


「流石は高橋博士。その理解力と分析能力には目を見張るものがありますわね」


 麗奈がわざわざ車から運び出してきた豪華な椅子に腰掛け、独朗に拍手を送る。


「私の一族もアステリオス――共感石については様々な研究を行ってきましたわ。でも、こんなにも早く本質を掴むだなんて。――素晴らしい。どうして博士のような頭脳の持ち主から、あのような短絡的な生き物が生まれるのかしら?」と麗奈が横目でちらりと照美を見る。


「明人、面会には来てくれよ」と言って照美が台所から包丁を持ち出す。


「あ、あかん! あかん! 照美、堪えろ!」明人が照美を腕を掴んで必死で抑える。


「離せ明人! うちは刺し違えてでもアイツのタマを取ったるんや!」


 照美が包丁を持った腕をぶんぶんと振り回す。と、一瞬気を緩めた瞬間、照美の手から包丁がすべり麗奈へ向かい飛び出した。


 ――あ。


 全員がスローモーションの世界に入ったかのように、飛んでいく包丁の行方を追った。麗奈の顔に刃が突き刺さろうとしたその瞬間、麗奈の執事である橘が二本の指だけで見事にその刃を受け止めた。


「全く、私の美しい顔に傷が付く所でしたわ」


 麗奈と橘は、何事もなかったかのように涼しい顔をしている。


「こら! 照美!」


 珍しく独朗が照美に声を荒げて叱責する。


「冗談ではすまんところだったぞ! 麗奈さんに謝りなさい!」


「で、でも、爺ちゃん!」


「でもじゃない! 私はお前を人を傷つけるような子に育てた覚えはないぞ!」


 独朗の目は真剣だ。照美もめったに見ない祖父のその表情に、身体を強張らせている。


「う、うちは悪くない!」


 そう言って照美が家を飛び出した。


「お、おい!」


 明人の制止する声も、もはや照美の耳には届かない。独朗は大きなため息を吐いた。


「鳴神さん、申し訳ない」


 独朗が頭を下げ、麗奈に謝罪する。


「お気になさらないで。私はあの程度のことで気分を害するような人間ではありませんわ」


 麗奈は涼しげな顔でそう返す。


 ――一概に、悪い人間とは思えないんだよなぁ、この人。と明人は思う。


「それよりも」と麗奈が続ける。


「田崎明人のツッコミが出なくなった原因は何かあるのかしら?」


「そうじゃった。明人くん、ツッコミの言葉だけが出なくなったということだね?」


 独朗が明人に目を向ける。


「……はい」


「そうか……。他の言葉は話せて、ツッコミだけが出ないとなると【イップス】の可能性があるのう」


「イップス?」


「そう。ある種のストレスや心理的要因により、自分の思い通りの動きや意識が出来なくなる症状のことじゃ。これに罹るとプロの野球選手がキャッチボールすら出来なくなったり、プロゴルファーが1メートルのパットを外してしまうようなことになる。しかも、やっかいなことに明確な治療法はまだ確立されておらず、自分自身でその原因と向き合い克服するほかないんじゃな」


「原因……」


「こんなことを言うのはなんなんじゃが、恐らく明人くんのイップスの原因は」


「カツ兄の、死……」


 明人の呟きに、独朗のため息が続く。


「そないになるほど、大切な人が亡くなりはったんやなぁ」と静香が涙声になる。


「治る見込みはあるのかしら?」と麗奈が独朗に問う。


「こればっかりは、本人の問題じゃからのう。しかし、検査を重ねれば症状を軽減することは出来るかもしれん。……そうじゃ! 鳴神さん、静香さん。私の教え子が研究施設で働いておるのじゃが、共感石の力の検証も含めて、今度みんなで行ってみんか? そこでなら、明人くんの精密検査も出来るじゃろう」


「高橋博士。検証なら私の一族の研究施設でも出来ましてよ」


 麗奈が自慢げに胸を張る。


「鳴神さん。お気持ちはありがたいが、勝手知ったる教え子とのほうがわしはやり易いし、それに、その……」


 独朗が明人をちらりと見る。独朗の言わんとしていることを理解し、明人も大きく頷く。


「照美様の心情をご心配されていらっしゃるのですね?」


 執事の橘がメガネをクイっと上げて言った。


「そういうことね。……仕方がありませんわね。田崎明人の力の謎が解明出来れば、悪魔祓いの効率が飛躍的に上がる可能性もある。この件は高橋博士にお任せしますわ」と麗奈が同意する。


「あては、みんなでお出かけ出来るならなんでもかまいまへん」と静香は遠足気分なのか笑顔で答える。


「決まりじゃな。米澤くんには連絡しておくから、詳細が決まればまたこちらから連絡しよう」


 独朗も興奮気味に手を叩いた。研究者にとって、これだけの研究対象を目の前にしてテンションを上げるなというほうが無理かもしれない。


 そんな三人を横目に、明人の心は浮かないままだった。勝司の死を克服するなどということが、果たして自分に出来るのだろうかという不安が、心の中に充満していた。





 帰り道の途中、明人はコンビニの駐車場で座っていじけている照美を発見した。ほんの少し笑みを零し、明人はゆっくりと近づいた。


「お嬢ちゃん、お名前言えまちゅか?」


「迷子と違うわ!」


 即座にそう言い返した照美は、拗ねるように明人から顔をそらす。それを見て明人はなおさら可笑しくなる。


「迷子と違うんやったら、お家帰ったらどうでっか?」


 明人が照美の横に腰を下ろす。


「大きなお世話や! ボディビルダーに電車で席譲るくらい大きなお世話や」


「相変わらず、ズレたボケやなぁ」と明人は笑う。


「笑ってんと、ツッコんでや」


照美が明人に向き直る。その潤んだ瞳の中がどういった感情なのか、明人には読み取れなかった。


「なんや、イップス言うんやて。ツッコミだけが、出来ひんようになってもたみたい」


明人が誤魔化すかのようにわざとらしく伸びをしながら言う。


「そんなん、うち、嫌や」と頬を膨らます照美を見て――やっぱりこいつ、可愛いな。と明人は思い、そんなことを考えている自分が可笑しくなってきて、ついには噴き出してしまった。


「何がおもろいんや!」


 照美が明人を睨みつける。


「いやいや、ごめんごめん」


 明人は笑いすぎて目に溜まった涙を拭いながら謝罪する。


「なんやねん。ほんま。……アイツ、もう帰った?」


 アイツ――麗奈のことだろう。


「帰ったで。でも、今度またみんなで集まることになったわ」


「はぁ?」


「ドックの提案。おれのこのイップスの検査と、それぞれの力の検証をするんやと。米澤さんの研究施設で」


「それで、アイツも来るんか?」


「結構乗り気やったで」


 明人がそう言うと、照美はハンっと鼻を大きく鳴らした。


「あの子は、別に怒ってる様子は無かったで」


「当たり前や。元はと言えばアイツが悪いんやから」


 照美がまた大きく頬を膨らます。


「頑固やなぁ。……ドックには、ちゃんと謝るんやで」


 そう言って明人は照美に顔を向ける。その表情は優しいお兄ちゃんのようだった。


「……わかってる」と照美が小さく呟く。


「一緒に行ったろか?」


「……大丈夫。一人で行ける」


「そうか」


 明人がよっこいしょと立ち上がった。続けて、照美もゆっくりと腰を上げる。


「なぁ、明人」


「ん?」


「……やっぱり、なんでもない」


「気になるやんけ」


「なんでもないって。……また、連絡するな」


「おう」


 そう言って照美が自宅の方向へ歩き出す。しばらく、その後ろ姿を眺めてから、明人もゆっくり踵を返した。

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