明人は自分の部屋のベッドに寝っ転がり、ぼんやりと天井を見つめていた。勝司の死から数日が経ったものの、未だに明人の心には、暗い影を落としていた。


 着信音に気付き、携帯を取り出す。照美からのメッセージだった。


『デートいくで』とだけ書かれていた。


 明人はふっと笑みを漏らした。




「んで、デートってこれか?」


 明人がバスに揺られながら、照美に問いかける。他に乗客もほとんどいない。最後列の広い座席に座っている。


「そや。なんか文句あるか?」


 照美もバスの動きに合わせて、首を上下に振っている。


「あのー、デートやったらやっぱりあて邪魔やったんちゃいます?」


 照美の隣に座っていた静香がぴょこんと顔を出し、申し訳なさそうに口を挟む。今日は巫女装束ではなく、白を基調としたセーラー服を着ていた。


「ええねん、ええねん。ほいほい釣られてきた明人が悪いんやから」


「だ、誰がほいほい釣られたや!」


「ブラックバスよりも簡単に釣れるわ」


「な、なんやてお前!」


「仲、よろしおすなぁ」


 静香が二人のやりとりを見て上品な笑みを浮かべた。


「んで、これどこに向かってるんや」


 明人がぶっきらぼうに照美に聞く。


「お化けトンネルや」


「……お化けトンネル?」


 明人と静香が首を傾げた。



 降り立ったバス停は山奥の閑散とした場所だった。バス停の奥は切り立った崖になっている。

 こんなところにバス停を作って、利用者などいるのだろうかと明人は思いながら、日に数本しか表示されていない時刻表をぼんやりと眺めた。


「さぁ、いくで!」


 照美が元気よく声を上げ、道路に沿って坂道を歩き始めた。


「お、おい、待てや」


 明人が慌てて後を追う。静香もそれに続いた。


「お化けトンネルってなんやねん」


 追いついた明人が照美に問いかける。


「この先にある鷲阪第二トンネルってとこや。最近そこでの事故が多発してて、地元の人からお化けトンネルって呼ばれてるとの噂や」


「そこに、情魔はんが居はるんですか?」


 静香は情魔のことを情魔はんと呼ぶ。


「可能性はあるかと思ってな」


「可能性ってお前……」


「まぁ、ええやんか。いい天気やし、ハイキング日和やで」


 照美が空を指さす。確かに、秋の始まりを感じさせるような、高い空と綿を散らかしたような雲が明人の目に映った。


「ほんま、ええ景色ですなぁ」


 静香も目を細めて景色を眺めている。


 照美には、勝司の死のことも伝えていた。そこからしばらく音沙汰がなかったところに、今回のデートの誘いがあった。


 明人はふっと笑みを零す。


 ――コイツなりの、慰めなんかな。


 明人は目の前で元気良く歩く照美を見やる。照美が明人の視線に気づいたのか、ふいに振り返った。


「たらたら歩いてたら、置いてくで!」と笑う。


「うるさいなぁ」


 明人は悪態を吐きながら、力強く地面を蹴った。




「ついたで! ここや!」


 バス停から山道を登ること三十分ほど。先頭の照美が声を上げた。


「はぁ、はぁ、結構しんどかったな」


 明人は少し息が上がっている。


「大阪の男の人は、えらい大事に育てられとるんどすなぁ」


 静香が明人に笑顔を向ける。明人は少し考えた後、それが嫌味だと気付き顔を赤く染める。


「さーて、おるかなぁ?」


 照美が嬉しそうにレーダーを取り出し、画面を表示させる。


「……うわ! ほんまにおった」


 そう言ってレーダーを明人と静香の目の前に突き出した。

 確かに、トンネルの奥のほうに青い点が表示されていた。


「マジかよ……」


「あらあら」


 本当にハイキング気分になっていた明人は肩を落とした。


「ま、しゃーないな。さくっと退治しよか」


 照美が暗いトンネルを臆することなく進んで行った。明人と静香もそれに続く。



 三人がトンネルに入った直後、様子をうかがう様に黒塗りの高級車がトンネルの前でゆっくりと止まった。


「お手並み、拝見といこうじゃない」


 車内の女が笑みを浮かべた。




 トンネルの内部は、日の光が届かないせいか、じめっとした空気と冷気が充満していた。


「確かに、お化けトンネルって呼ばれるだけのことはあるな」


 明人が腕をさすりながら辺りをきょろきょろと見渡す。それに比べて照美と静香は、慣れた様子でどんどん先へ進んで行く。


 トンネルの丁度中間あたりに差し掛かったところで、見つけた。


「おったで」


 照美が指をさす先に、黒い影が蠢いている。明人と静香も確認する。


「えらい、小さい情魔はんですなぁ」


 静香が呟く。確かに、明人が今まで見た中でも一番小さい情魔であった。


「小さくても情魔は情魔や。明人、ちゃちゃっとツッコんでや」


 明人はため息を吐きながら照美の隣に行く。


「あての出番は無さそうですなぁ」


 静香が二人の後ろに下がる。



「さぁ、何があったか、うちらに教えてや!」


 照美が叫び、胸元の共感石が光を放つ。が、いつものはっきりとしたイメージではなく、ぼんやりとした恐怖感や絶望感が全身を駆け巡った。


「……なんやこれ?」


 明人と照美が顔をしかめる。


「はぁ、これは恐らく、【おぼろ】どすなぁ」


 静香がゆっくりとした口調でそう呟く。


「おぼろ?」


「呪い――情魔はんとは通常、憎しみなどを負ったまま亡くなった人が原因となることがほとんどなんどすが、朧いうんは人々の恐怖などが寄り集まったものなんどす」


「恐怖が寄り集まったもの?」


「そうどす。恐らく、このトンネルの悪い噂が広まったことで、ここを通る人が恐怖を覚えながらトンネルを通りはって、その恐怖心の欠片が少しずつ集まってしまったんちゃいますやろか」


「そんなこともあるのか」


 明人が関心するように呟いた。


「でも。だからこそ朧の退治は難儀なんぎなんどす。原因となるものがなく、寄り添う心がないさかいなぁ。あては結構苦手どす」


 静香は手を口に当て、ふふふと笑った。明人は心の中で――てかこの子、気ぃ抜いたらえらい京都弁キツくなるんやなぁ。と関係のないことを考えていた。


「なるほど。まぁ、ええわ。情魔には違いないからな。明人、いくで」


 照美が明人を小突き、情魔に向き直る。




『コンビニで買い物するのって難しいですよね』

 照美がそう言ってネタに入る。


「いや、そんなことないやろ」


『いやいや、難しいですよ。ほな、ちょっとお手本見せてもらえますか? うちがコンビニの店員やりますんで、あなたお客さんとして来てください』


「まかしとき」


 そして二人は一拍置いた。


「あー、喉乾いたしちょっとコンビニでも寄ろかな」


 ――ウィーン


 明人が声と動作で自動ドアを表現する。


『あ、お客さん。うち引き戸ですよ』


「……あ、た……」


 そこで突然、明人の言葉が詰まる。



 ――あれ?


 違和感を覚えた照美が明人に顔を寄せる。


「どないしたんや。ちゃんとツッコんで」


「あ、あぁ、うん」

 明人も戸惑いながら頷く。


『仕切りなおして、……お客さん、うち引き戸ですよ』


「……あ、……くっ」


 ――言葉が、出ない。


 明人は自身の喉を手で押さえる。呼吸はしっかりと出来ている。しかし、ツッコミの言葉だけが出なくなっている。


「ちょ、ちょっと明人?」


 照美が心配そうに明人の顔を覗き込む。


「あっ! あれ!」


 静香の声が聞こえ顔を向けると、天井付近を指さしていた。二人が振り向くと、天井に走るヒビから、うぞうぞと影が湧き出していた。


「マジかよ……」


 一匹一匹は小さなものだが、数が余りにも多かった。暗いトンネル内が、その影たちによりより一層の暗闇に包まれた。


 ――しくしく。


 気が付くと静香が涙を流していた。身体から溢れ出る白い霧を無数の情魔に伸ばす。


「あてがしばらく抑えときますんで。お二人ははよ続きを!」


 静香が泣きながら訴える。


「明人!」


 照美が明人の腕を掴む。が、明人は心ここにあらずといった様子で微動だにしない。


「なぁ! 明人!」


 照美が明人の腕を揺する。しかし明人は首を横に振った。


「わからんねん。……ツッコミ方が、わからんようになったんや」


 明人の声が震えている。


 その時、静香の霧から逃れた一匹の情魔が、三人に向け飛び込んできた。突然のことに三人は身動きが取れず固まった。



「この、クソったれぇ!」


 突如、トンネル内に怒号が響いた。それに呼応するかのように、一閃の稲妻が走り情魔の身体を引き裂いた。


「……え?」


 三人は驚き、声の発信地へと顔を向ける。そこには、黒塗りの高級車の前で金髪の少女と気品あるスーツ姿の老紳士が立っていた。


 少女は胸元まで伸ばした美しい金髪をふわりとかき上げる。その瞳は青みがかったグレーの色をしており、その長い手足は、一見すると外国のモデルのようだった。


 朱色のブレザーの制服を着ており、胸元にデカデカと主張するその校章は、明らかに育ちのいい学校の物であることを証明していた。小型のハンマーほどの大きさの十字架を右手に握っている。老紳士は年の割には高身長で、白髪をオールバックに整え、縁の無い丸メガネを掛け少女の半歩後ろで姿勢よく立っていた。


「……ブサイク」


 老紳士がぼそりと呟く。


「誰がブサイクじゃあ!」


 金髪の少女が鬼の形相で叫ぶと、手に持った十字架が光を放ち、稲妻が迸った。稲妻はトンネルの壁を伝い、天井付近で蠢く影たちを次々と粉砕していく。


「……デブ」


 老紳士がまた呟く。


「誰がデブじゃあ!」


 少女の叫びと共に、再度稲妻が走り、残った情魔をすべてかき消した。


「……すごい」と照美が感嘆の声を漏らす。


 それからしばらく、辺りは静寂に包まれた。


 カツ、カツとヒールを鳴らし、少女が三人に近づいてくる。そして立ち止まり明人を指さした。


「あなたが、田崎明人ね。どんなものかと期待したら、ガッカリでしたわ」


 少女が大きくため息を吐く。三人は呆気に取られている。


「き、きみは?」


 かろうじて明人が声を出した。


わたくし鳴神なるかみ・ニコル・麗奈れいなよ。由緒正しき鳴神カンパニーの四代目。後ろにいるのは執事のたちばな


 麗奈がアゴで老紳士を指した。橘と呼ばれた男は美しいお辞儀を三人に披露した。


「ツッコミによる力の増幅。なかなか興味深いと思っていたのに、情けない」


 麗奈はハッと鼻を鳴らした。


「いきなり出てきて、なんやアンタは!」


 照美が麗奈に突っかかる。


「高橋照美。……それともサンディーちゃんとお呼びしたほうがいいのかしら?」


 麗奈が挑戦的な態度で照美に笑みを浮かべる。


「な、なんでうちの名前を……」


「あらあら、サンディーはん。本名は照美はんって言いはるんどすか」


 静香が場違いにゆったりとした声を出す。


「鳴神家の諜報力を舐めないで頂戴。それよりも」


 麗奈が明人に目線を戻す。


「田崎明人。今一度チャンスをあげるわ。私にツッコみなさい」と腰に手を当て胸を張った。中身が詰まっているのか、胸部のシャツのボタンが弾けんばかりに引っ張られている。


「い、いや、いきなりツッコめって言われましても……」


 明人は困り顔でそう返す。


「もしそれで、私の力が増幅されるようなことがあれば、アナタを私のしもべにしてあげてもよろしくてよ」


 麗奈はふんぞり返るようにして自分より背の高い明人を見下ろす。


「ちょっとアンタ! 明人はうちのしもべやねんから、手ぇ出さんといてよ!」と照美が口を出す。


 普段であれば「いや、誰がしもべやねん!」とツッコミを入れるところだが、明人の口からは何も出てこない。ただただ戸惑いの表情を見せるだけだ。


「何よアナタ。庶民のくせに私に口答えする気?」


 麗奈が照美にずいっと近づき、その大きな胸を押し当て睨みつける。


「なんや、アンタ偉そうに! 乳も態度もデカイやつやな!」


 照美が麗奈の胸を平手で叩く。ぺちんといい音が鳴った。


「なっ! 脇役のくせに生意気ねアナタ! その貧相な胸と同じく、慎ましい態度を取りなさいよ!」と麗奈が照美の肩を押す。


「痛ったいな! この!」


 照美と麗奈の取っ組み合いが始まろうとした時だった。突如、二人の目の前が真っ白に染まった。


「もう、アンタらほたえるのはやめぇ!」


 気が付くと静香が大粒の涙を流していた。その身体からはもうもうと白い煙が立ち上っていた。


「……ほ、ほた?」


 静香の言葉が理解出来ず、全員が霧の中できょとんとしていた。

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