十三

「だから! 違うって!」


 明人の怒鳴り声が響く。


「何が違うんや! 台本通りにやってるやろ!」


 照美もムキになって言い返す。

 場所は照美の家だ。独朗はそんな二人をにこやかに眺めている。


「あんな、お笑いで一番大事なんは『間』や! この『間』がちょっとでも違うと、起きる笑いの大きさが全然変わるんや! さんま師匠も言うてるやろ。『お笑いは緊張と緩和や』って。直前のフリに対してボケの振り幅が大きければ大きいほど、人はおもろいと感じるんや。わかるか? その肝となるのが『間』やねん!」


「だから! うちはちゃんと言われた通りやってるやろ!」


「違う! 全然違うって!」


「もうええわ!」


 スネた照美が二階への階段を駆け上がっていく。


「おい! ……なんやねん、クソ!」


 ほんの数日前まで、しおらしい態度で「お笑いを、教えて下さい!」と頭を下げていた少女と同一人物とは、明人にはとても思えなかった。


「はっはっは。中々手こずっているねぇ」


 黙って二人を見ていた独朗が可笑しそうに言った。


「ドックからもなんとか言うて下さいよ」


 明人は呆れ顔で独朗に訴える。いつの間にか、明人は独朗の事をドックと呼ぶようになっていた。


「あの子は頑固じゃからなぁ。それに、わしは親バカじゃから、どんなサンディーも可愛いと思ってしまうんじゃ」


「ちょっと甘やかしすぎとちゃいますか?」


 明人が肩を竦める。


「はっはっは。確かに。そうかもしれんな」とひとしきり笑ったあと、急にまじめな顔になり、独朗は明人を見つめた。


「……明人くん、本当にありがとう」


「え? 急にどないしたんですか?」


 明人は突然の言葉に驚く。


「娘たちが亡くなってから、この家に来るのは米澤くんくらいのものだったから、嬉しくてね。しかも君は、不運にも情魔の存在を知ってしまった。――あの子はずっと孤独じゃった。一人で情魔に立ち向かい、苦しい思いをしてきた。でも、君と出会ってからあの子は変わった。どこか生き生きしているように見える。……恐らく、仲間が出来て嬉しいんだと思うよ」


「とてもそうは見えませんけどね」


 ふんっと明人が鼻を鳴らす。


「いいや。私には分かる。私は、あの子をずっと見てきたからな」と語る独朗の目は、深い慈愛に満ちていた。


 明人は、照美のことはともかく、この独朗という老人に対してはとても好ましい感情を抱いていた。この老人の、とても愛情深くもの柔らかな瞳を見ていると、心が和らいでいく気がした。


 その時、トン、トン、とゆっくりとしたリズムで階段を降りてくる音がした。そして、そのまま静かに一階に降り立った照美の目は、少し潤んでいるようにも見えた。



「練習、するか?」


 明人が照美に問いかける。照美は言葉を発さずに、ゆっくりと首だけ動かした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る