十二

 遅い入場になったせいか、最後列付近の席しか空いていなかったが、運よく二つ並んだ空席を発見し、二人は腰掛けた。


「もう始まってもうてるやんか」


 照美が小声ではあるが、怒りを顕わに明人に耳打ちをする。


「誰のせいや思てんねん」


 明人も呆れたようにそう返した。


 舞台上では、手作りであろうダンボールを加工した小道具を使って、ピン芸人が大声を出してボケていた。


「……アンタが見せたかったお笑いって、これ?」


 照美が冷めた目で明人に視線を送る。


「……もうちょっと待っとけや」


 明人は小さくため息を吐いた。


 ピン芸人が頭を下げて舞台袖へ消えていくと、軽快な出囃子が流れてきた。明人が照美を小突く。


「よう見とけよ」


「どうもー、【ひょっとこスタイン】ですー」


 長身の坊主頭と、チリチリパーマの二人組。


「あっ、さっきの……」


「小さいころにした遊びって色々ありましたよね……」とボッチが切り出し、スムーズにネタに入っていく。

 明人には馴染みの深いネタだったため、舞台ではなく、照美の様子を横目で気にする。


 先ほどまで、ふくれっ面をしていたはずの照美が、身を乗り出し、食い入るように舞台を見ている。そして、手を叩きながら爆笑。


 その時、明人の目に不思議な光景が映った。ボッチのボケに勝司が突っ込む度、劇場内のそこかしこで何かが爆発する映像だ。今まで何度もこの劇場に足を運んでいたから分かる。これは演出などではない。恐らく、共感石を身に付けているせいで見える幻想。


 ――すごい。


 今まで、笑いというものを肌で感じたことはある。大ウケしているネタを見たこともたくさん。しかし、この感情の可視化だけは、明人にも初めての経験だった。


 ――人が笑うというのは、こんなにすごい力があるのか。


 改めて感じた笑いの力に、明人の身体には鳥肌が立ち、震えが止まらなかった。


「……すごい」


 ふと、隣を見ると、照美もその現象に気付いたのか、舞台ではなく客席に目線が移っていた。勝司とボッチがしゃべるたび、そこかしこで爆発が起きた。玄人気取りの客が誰も笑っていない所で笑う。ポンっとその席だけが弾けて消える。かと思えば大きな笑いの波が客席を埋め尽くす。バゴンと音を立てて劇場が破裂する。笑いが弾けるたびに、明人と照美はそこに注目する。


 ――まるで花火大会だ。



 すべての演目が終了し、劇場の外に出た二人は、その場でへたるように座り込んだ。


「……あかん、疲れた」


 照美が言う。


「……お、おれも。ちょっと酔ったかも」


 明人が目頭を指で抑える。


 無理もない。二人はその後も、出てくる芸人達の巻き起こす爆発を追い、爆風を浴び、閃光に目を細め続けたのだ。


「おい、大丈夫か?」


 劇場から出てきた勝司が二人を見つけ、声を掛けてきた。


「なんや二人して。舞台見んとセックスでもしてたんか?」とニヤつくボッチの頭を勝司が叩く。


「痛って。冗談やんけ」とボッチは少し不満げだ。


「明人、また木綿行くか? 彼女の分も奢るで」


 勝司が照美を横目で見ながら明人に聞いてくる。


「い、いや、いまラーメンは……」


「行きます!」


 明人が言い終わるより先に、照美が大きく手を上げ宣言した。


「お前、元気やなぁ……」


 明人は呆れたように呟く。


「おっ、いいね。元気のいい子は、好きやで」


 勝司が顔いっぱいに笑顔を咲かせ、照美に親指を立てた。


 店に着くと、勝司が先にドアを開け、店内の様子を伺うと「ごめん、今日はカウンターしか空いてないわ」と申し訳なさそうに言った。


「ううん。うちカウンターでも大丈夫です」と照美が答えると、勝司はOKポーズをし、三人を店内に促した。


 向かって右からボッチ、勝司、照美、明人の順で着席する。


「サンディーちゃん。どれでも選んでええからな」と勝司が照美にメニューを見せる。道すがら勝司に名前を問われた照美が、ちゃっかり「サンディーです!」と答えたせいで、ボッチと勝司の中では、照美はサンディーという名前で認識されていた。


「ほんまにいいんですか?」


 照美が目を輝かせてメニューを眺める。


「いいぞ。おかわりもいいぞ」


 その勝司の言葉に、またしてもボッチが噴き出す。


 ――だから、おれそのネタ知らんねんって。


 明人は少し口を尖らせる。


「お二人の漫才、めちゃくそ面白かったです!」


 注文を終えた照美が興奮気味に二人に言う。


「おお、サンディーちゃんにそう言われると、嬉しくて毛ぇ伸びてきそうやわ」

 ボッチが自身の坊主頭を撫でながらニヤける。


「ほんまですよ! だって、ドッカンドッカンて! 爆発が見えましたもん!」


「見えたって……、自分、おもろい子やな」と勝司が苦笑する。


 ――いや、本当に見えたんだよ。と明人は心の中で呟く。


「あ、そういえば」


 明人が思い出したかのように声を出す。


「ボッチって何者なん? さっきのヤツら、えらいビビってたけど……」


 明人の問いに、勝司とボッチが一瞬目線を交わし、笑みを零す。


「コイツな、昔ちょっとヤンチャしてたんや」


 勝司がボッチを親指で指しながら言う。


「ほんま、ちょっとだけやで。フタについてるヨーグルトくらいちょっとや」


「なんやその例え」


 ボッチの言葉に、明人が笑いながら返す。


「おれと出会った頃なんか、ド金髪でモヒカンみたいな髪型しててな。どこの世紀末やと思ったくらいや」と言った後、勝司はヒャッハー! と続けた。


「おい! あれはあれで気に入ってたんやからあんま言うなや」


 ボッチは口を尖らせて勝司を小突く。そんな二人を照美も笑って見ていた。




 食事を終えた四人は、店の入り口の前で輪になって立っていた。


「今日は、ありがとうございました」


 照美が二人にお辞儀をする。


「サンディーちゃんのためなら、わしいつでも駆け付けるから、また困ったことがあったら言うんやで」


 ボッチがデレた顔で言う。


「はい! ありがとうございます!」


 照美も笑顔でそう返す。


 ――おれにはそんな顔見せへんかったくせに。と明人は少し複雑な気持ちになる。


「おい、明人」


 スネた顔をしていた明人に勝司が声を掛ける。顔を近づけ小声で続ける。


「お前、恋愛もええけど、お笑い星人になる約束、忘れてないやろな」


「忘れるわけないやろ」


 ――お笑い星人になる。


 それは、勝司と明人の約束であり、掟でもあった。かつて、勝司に言われた言葉だ。



 ――いいか、明人。誰かがボケたことしたときは、お前が一番に気付け。

 ――そして拾え。

 ――死んでもツッコめ。

 ――それをプロになるまで続けろ。

 ――そしたらいつか、お前はおれに負けへんお笑い星人になれるわ。


「おう。それならええ。おれは先に行って待ってるからな」


 そう言って勝司はギュッと明人の肩を掴んだ。



 明人と照美は、ゆっくりとした速度で道を歩く。二人と別れてからは、糸が切れたように沈黙が続いていた。


「……お笑いって、すごいな」


 唐突に、照美が呟いた。


「すごいよな」


 明人も独り言のようにそう返す。


「……ごめん」


 照美の言葉に、明人は足を止める。


「うち、舐めてたかもしれん。お笑いのこと」


 明人は俯く照美を黙って見つめる。そのうち、照美の手がスカートの太もも辺りをギュッと掴んだ。


「教えてくれへん? うちに。……お笑いを、教えて下さい」


 照美が明人に頭を下げる。


「お、おい。そこまでせんでも……」


 明人は慌てて声を掛ける。 


「あかん?」と少し上目遣いのような形で照美は明人を見つめた。



 ――それは、反則やろ。



 明人は思わず、熱くなる顔を悟られないように目線を反らした。


「ええで。……そのかわり、おれの指導は厳しいで」


 照美の目を見られないまま、明人が言葉を返す。


「ほんまに? ありがとう!」


 弾けるような笑顔を見せた照美の顔を、明人はいよいよ見ることが出来ず、そばにある街灯に集る虫の動きを、ただただ追うことしか出来なかった。

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