十一
約束の土曜日。明人は先日と同じく百貨店の前にいた。時刻は夜の七時半。
目の前で行われている路上ライブの歌をぼーっと聞いていると、不意に腕を小突かれた。
明人がそちらに顔を向けると、照れなのか怒りなのか、顔を背けて立っている照美がいた。
「おう、時間通りやな」
明人が声を掛けるが、照美は「別に……」と言ってふくれっ面をしていた。何に対しての「別に」なのかはわからなかったが、明人は気にせず照美に声を掛ける。
「お前、今から楽しいお笑い観に行くのに、スネてたら楽しないやろ」
そう言って、明人は目的の場所へと歩き出した。明人の少し後ろを歩いていた照美であったが、往来の人の多さにより、そのうち明人の隣へとポジションを変えた。
「もう少しで着くから」と明人が声を掛けたのは、一番人通りの激しい道頓堀に差し掛かる辺りだった。
ふと、照美を見ると、どこかの一点を見つめて立ち止まっていた。
「どうしたんや?」
明人が声を掛けると「クズ野郎……」と照美が呟いた。
「え?」
突然の暴言に、驚いた明人であったが、照美の視線は明人に向いていない。
そして次の瞬間、唐突に照美が駆け出したかと思うと、少し前を歩いていた三人組の真ん中の男にドロップキックをかました。
「うわっ!」
突然のことに悲鳴を上げ倒れこんだ男と、驚きを隠せない残りの二人。そして明人も、あまりのことにその場で立ちすくんでいた。
「痛った……。なにすんねんコラァ!」
蹴りをかまされたホスト風の金髪の男が照美に向かい罵倒を浴びせる。向き直った男の顔を見て、明人は息を飲む。
――あ、アイツは。
「アカネさんはもっと痛かったぞ」
怒りに震える照美が、絞り出すように言った。
「……あ?」
金髪の男が何のことかと顔をしかめる。
「お前みたいなクズを信じてた、アカネさんはもっと痛い思いをした言うてるんや!」
照美の大声に、道行く人も何事かと足を止める。金髪もその言葉を聞き、表情が変わった。
「お前……。アカネの妹かなんかか?」
金髪が照美を訝しげに見やる。
「関係ないわ! お前みたいなクズのせいで!」と照美が男の肩を強く押した。
「痛って! このガキ!」
金髪のその声がまるで合図かのように、両端にいた男達が照美を取り押さえる。照美は抵抗するが、さすがに両手を男に抑えられては、逃れることは不可能だった。
――まずい!
明人は咄嗟に駆け出し、照美の前で盾になるように手を広げた。
「す、すんません! 彼女も勢いでやってもうたことなんで!」
「何が勢いやクソガキが! 調子乗んなよ!」
金髪が明人の腹部に拳を打ち当てた。痛みと苦しみにより明人は前かがみになり、ぐぐぅと声にならない声を漏らす。
「明人!」
照美が心配そうに声を上げる。
「おら、立てやコラ!」
金髪が明人の髪を掴み上体を無理やり起こす。
「舐めとったらあかんぞ、コラ!」
そう言って金髪の男が大きく腕を振り上げた。明人は思わず目を瞑り、全身に力を入れた。
――が、その拳は明人に届くことはなかった。
「はい、そこまでー」
場違いに明るい声が聞こえ、明人が恐る恐る目を開けると、金髪が誰かに振り上げた腕を掴まれていた。
「……ぼ、ボッチ?」
明人の目に映ったのは、坊主頭のデカイ男――ボッチだった。
「悪いな、兄ちゃん。そいつおれの知り合いなんやわ。ここらで許してくれんか?」
「なんやお前!」
ボッチのデカイ図体にも怖気づくことなく、金髪が唾を飛ばし叫ぶ。
「まぁまぁ。そう言わんと。そこの兄ちゃんらも、手離したり。女の子相手に、男二人じゃカッコ悪いで」
「いきなり出てきて、なんやお前」
照美の腕を掴んでいた男の一人がボッチに歩み寄る。そしてその勢いのまま、ボッチの顔面に拳を打ち当てた。が、ボッチは微動だにしていない。逆に殴ったほうの男が、拳を痛めたのか手を抑え、苦悶の表情を浮かべながら後ずさりした。
「そんなことしたら痛いやんか、兄ちゃん」と全く痛くなさそうなボッチが笑みを浮かべる。
「兄ちゃんら、ホストか? どこの店や?」
ボッチが金髪に問いかける。
「ああ? なんでお前にそんなこと言わなあかんねん!」
金髪が威勢のいい声を上げた瞬間、ボッチが金髪の腕を捻りあげた。
「い、痛い! 痛い!」
金髪の腕が天高く上げられる。傍目から見ると、ボッチと社交ダンスを踊っているようにも見えた。
「わかった! 言うから! 【ファラオ】って店や!」
金髪が耐え切れず叫ぶように言った。
「ファラオいうたら……ユージくんの店やな」
ボッチはそう呟くと、金髪の腕を離し、自身の携帯でどこかに電話を掛けだした。
「あ、もしもし、お久しぶりですー。はい、なんとかやってますよ」
その場にいる全員が、ボッチの言葉に耳を傾けていた。
「あぁ、また、ぜひ。……ほんでね、実は今、ユージくんとこの店の子とちょっと揉めましてね……」
ボッチがちらりと三人組に目線を送る。三人の肩がびくりと跳ねた。
「えぇ。はい。わかりました。……ほら」
ボッチが金髪に向けて携帯を差し出す。電話に出ろとアゴで指示する。金髪は恐る恐る携帯を受け取り、耳に当てた。
「ひぃ!」
携帯を耳に当てるなり、金髪がひどく怯えた悲鳴を上げた。他の二人は何事かと様子を伺う。
「はい! はい! すんません!」
電話越しに頭を下げ、何度も何度も謝っている。
「ゆ、許して下さい! すんません!」
金髪はすでに半泣きの状態だ。ひとしきり謝罪の言葉を述べた後、ゆっくりと携帯をボッチに返した。
「はい。ええ。ありがとうございます。……また機会があれば。はい。じゃあ」
そう言ってボッチが電話を切った。
「すいませんでしたぁ!」
金髪が頭を地面に擦り付けるように土下座をした。
「お、おい! お前らも謝れ!」
他の二人にも座るように促す。しかし状況が掴めない二人は困惑した表情を見せる。
「どないしたんや、一体……」
二人の態度に焦れた金髪が立ち上がり、二人に耳打ちをする。すぐさま二人の顔色が変わった。
「すいませんでしたぁ!」
見事な謝罪のハーモニーを奏で、三人はボッチに土下座をした。
――水戸黄門みたいやな。
明人はその状況を見て、ぼんやりとそんなことを思った。
「もう、ええから。顔上げ。――これに懲りたら、カタギの人に手ぇ出したらあかんで?」
ボッチはそう言って笑顔を見せるが、その目が笑っていないことに明人は気付いた。
「おい! なにしてるんや?」
辺りを囲っていた野次馬の中から声が聞こえた。明人の聞きなじみのある声だった。
「あ、カツ兄」と明人が声を上げる。
「カツ兄やあるかい。おい、ボッチ。お前また揉め事起こしたんちゃうやろな」
勝司がボッチに詰め寄る。
「ちゃうちゃう。明人のアホが絡まれとったから助けたっただけや」
ボッチが肩を竦める。
「そうやで、カツ兄。ボッチが助けてくれたんや」
「そうか。ほんならええけど……」
「てか、二人とも、この後出番やろ? なにしてんの?」と明人が二人の顔を交互に見ながら問いかける。
「ボッチがな、タバコ買いに行くいうて出てったと思ったらえらい遅いから様子見にきたんや。ほんならこの状況やろ」
勝司が土下座状態のままの三人を呆れた表情で見やる。
「おい。もうええで。行き」
ボッチが三人に声を掛ける。
「は、はい! ありがとうございます!」
三人はすぐさま立ち上がり、その場から立ち去ろうとした。
「ちょっと待ち! アンタだけは許さんからな!」
逃げようとする金髪の後ろ姿を指さし、照美が大声で叫んだ。金髪が立ち止まり恐る恐る振り返る。
「まぁまぁ、お嬢ちゃん。今日のところは許したり」
ボッチが照美に声を掛ける。そして、照美に近づき、耳打ちをする。
「アイツら。後でもっと痛い目にあうはずやから」
そう言って照美に目配せをした。その後、金髪のほうを向き、犬を追い払う様にシッシッと手を振った。
「っていうか……。明人、この子誰や? 彼女か?」
勝司がニヤつきながら明人に問いかける。
「か、か、彼女とかちゃうわ! 今日たまたま一緒にライブ見に行く約束をしたただの友達や!」
明人が慌てて否定する。
「そ、そうや! うちにだって、選ぶ権利はあるわ!」
照美もそれに続く。
「選ぶ権利ってなんやお前!」
「選ぶ権利は選ぶ権利や! もしうちが今、握手券持ってたとしてもアンタの前には絶対並ばんわ!」
「並べや! むしろもう十枚CD買えや!」
「なんや、仲良えなぁ」
二人の言い合いを勝司とボッチは微笑ましく見ている。
「あ、そんなこと言うてる場合じゃなかった。おい、マジで時間やばいぞ!」
勝司がボッチの腕をヒジで小突き急かす。
「おお、ほんまやな。お前らも、イチャついてんとはよ行くぞ!」
「イチャついてないわ!」
二人の声が重なった。
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