十
うろ覚えの道を辿り、明人はようやく目的の家を見つけた。
【高橋感情研究所】
大きく書かれた看板を横目に見て、玄関の前で立ち止まる。ノックをしようとする手が扉の直前で急ブレーキをかけた。
――なんて言えばいいんやろ。
明人が思案していると、突然玄関の扉が開いた。
「なんだ、明人くんか。誰かの気配がすると思ったら。……あれ? サンディーは?」
中から照美の祖父――
「……そうか。うちの孫が迷惑を掛けたね」
事情を聞いた独朗が明人に笑顔を向ける。
「……いや。僕もちょっと言い過ぎたかもしれません」
明人は所在なさげに椅子に腰かけている。
「あの子は……、サンディーは情魔のことになると少し熱くなりすぎる所があるからの」
と言う独朗の顔には、笑みが零れていた。
「……なんか、理由があるんですか?」と思わず聞いた明人だが、瞬時に踏み込んだ質問だと思いなおし「あ、いや、なんでもないです」と続けた。
独朗はそんな明人を見て少しだけ噴き出した。
「明人くん。君はいい青年だね。礼儀もわきまえている。……今から言う話は、サンディーには内緒だよ?」
独朗はいたずらっぽく笑い、その後、目線を宙に浮かべた。
――あれは、サンディーが中学に上がる直前の頃だ。あの子の両親――私の娘と婿養子でもある――が交通事故により突然この世から亡くなったんじゃ。あの子は元々ひょうきんな子でな、おかしな動きやギャグを放っては、両親や私を楽しませてくれた。そんな明るかった子が両親の死を受け毎日毎日泣いておった。そしてある日私に言うんじゃ。『二人が亡くなった場所に連れて行って欲しい』とな。不憫に思った私は、サンディーを連れて事故の現場に向かったんじゃ。
独朗はそこまで言うと一息つき、湯飲みに入った茶を啜った。明人は黙って次の言葉を待っている。
――現場は、海岸沿いの曲がりくねった道の途中にあった。二人が勤めていた研究所へ向かう道だ。一部分だけガードレールが不自然に曲がった場所を見つけ、私は路肩に車を止めた。サンディーはゆっくりと現場に近づき、ガードレールの曲がった部分に触れた。私はいたたまれない気持ちでそれを見ていたんじゃがな、その時、突然空から光り輝く石が私とサンディーの間に落ちてきたんじゃ。
私もサンディーも驚きを隠せずにその石を眺めていたんじゃが、ふと気が付くとガードレールの近くにうようよと蠢く黒い影があるのが見えたんじゃ。何かと思って見ていると、突如、激しい嫌悪感が襲ってきた。人間の黒い部分を煮詰めたような、ひどく気持ちの悪い感覚じゃった。私はサンディーの様子が気になり目を向けると、彼女は涙を流しておった。そして言うんじゃ『……パパ。……ママ』とな。ここからは、あの子から聞いた話じゃが、その黒い影からイメージが流れてきたと。しかし、憎しみや、苦しみの感情の中から、ある声が聞こえたらしい。『照美、笑って。私達を明るく送って』とな。それから、彼女は大きな声で叫んだんじゃ『テルミー、テルミー、私は照美!』――何度も何度も、両親が好きだったそのギャグを、何度も何度も叫んだ。
明人は、ほんの少しだけ独朗の声が震えているのに気付いた。
――そのうち、黒い影の中から光が溢れ出し、破裂するように影は霧散した。サンディーはそれを見届けると、地面に突っ伏して大声で泣き叫んだ。
「そこから、私は地面に落ちていた石を持ち帰り、米澤くんと共に研究した結果、共感石の力と、情魔の存在を発見したのじゃ」
独朗は今一度湯飲みを傾けるが、中身はすでに無くなっていたらしく、肩をすくめて湯飲みの底を見つめていた。
「あの子が情魔の退治をすると言い出した時、私は強く反対したんじゃ。可愛い孫娘に、そんな危険なマネさせたくなかったからな。でも彼女は頑として聞かなかった。自分の両親と同じように、思いを残して死んでいった人を救いたいんだ、と」
明人は自身の口内に塩辛い液体が溢れ出てくるのを感じて、奥歯をギュッと噛みしめた。
「で、でも、今まではどうやって成仏させてきたんですか? 正直、彼女のギャグで情魔を倒せるようには思えないんですが……」
明人の問いに、独朗は一つ息を吐く。
「その通り。あの子の力では情魔を完全に倒すことは今までは出来なかった。そこでどうしたか。ある程度弱ったところで……わざと自分に憑依させたんじゃ。恐ろしいことにな」
「……そんな」
「理屈は簡単だ。情魔の負の感情をすべて発散させてやれば情魔は自然と消滅する。だから自身に憑依させ、じっと我慢するんじゃ。あの、死んだ方がましだと思えるほどの黒い感情に侵されたままな」
独朗の言葉に明人は背筋が冷たくなるのを感じた。あの二度と味わいたくない感覚。嫌悪感、絶望感、苦しみ、悲しみ、痛み。あれを何度も自身に憑依させた。
――信じられない。
「あの子に【サンディー】というあだ名をつけたのは私だ。彼女の名前が照美ということもあるが、昔彼女が夢中で見ていたアニメに【プリティーサンディー】というのがあってな。魔法の力で悪魔を退治する女の子の名前だ。彼女もこのあだ名を大層気に入って、それからは自らサンディーと呼ぶようにとしつこく言う様になった。髪型もそのキャラクターに合わせてツインテールにしてな」と言ってから、独朗は思わず噴き出した。
「ふふっ。そのアニメ、僕もなんとなく覚えてます」
明人も笑みを零しながら言葉を返す。
「でも、私はこのサンディーという名前にもう一つの意味を持たせている」
「……もう一つの意味?」
「そう。彼女は想いを残した人達を守っているとも言える。成仏も出来ず、さまよっている感情たちを、近づいてくる暗く、辛い【月曜日】から。だから、【
「明るく、楽しい、日曜日。か」
明人が独朗の言葉を繰り返した時、玄関の扉が開いた。
「あっ」
明人と照美の声が重なった。
「アンタ、なんでおるんよ」
照美がつっけんどんとした言葉を投げかけてくる。
「いや、たまたま……」
「明人くんはサンディーの定期入れを届けてくれたんだよ」
独朗が助け舟を出してくれた。
「……そう。……ありがとう」
それからしばらくの間、沈黙が辺りを包んだ。照美はそっぽを向いている。
「あのな、さ、サンディー」
明人が恐る恐る話し出す。サンディーと呼んだのが効いたのか、照美が明人に顔を向ける。
「今度の土曜日、一緒になんば行かんか? 知り合いが出るお笑いライブがあるねん。……お前に、お笑いのこと少しでも知って欲しいんや」
「なんでうちが」
「行ってきなさい」
反論しようとした照美を抑え、独朗が口を挟んできた。
「でも爺ちゃん!」
「お笑いを知れば、情魔退治も楽になるかも知れんじゃろ。……いつまでも無理をしているお前は見たくないからの」
独朗の言葉に、照美は何も言い返せずに、そのうちゆっくりと頷いた。
「それじゃあ、明人くん。よろしく頼むよ」
笑顔を向けてくる独朗の、その含みのある【よろしく頼む】を噛み締め、明人は静かに頷いた。
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