六
「……なるほど。それで情魔を成仏させたと」
簡単に状況を聞いた後、老人は自身の顎に手を当て、しばし考える素振りを見せた。
「そうやねん。なぁ、爺ちゃん、おかしいやろ? 今までこんなことなかったのに」
照美が身を乗り出し、老人に訴える。
「明人くん、と言ったね。今まで情魔を見たことも感じたこともないんだよね?」
手を顎に置いたまま、老人が明人に問いかける。
「あ、あぁ。あんな気持ち悪いもん初めて見ましたよ」
「いきなり能力に目覚めるということも可能性としては無くはない。が、それも石を使わずに発現するとは思えない。……最近、身の回りにおかしなことは起きなかったかい?」
「おかしなことと言われましても……。あっ!」
明人はラーメン屋を出てからのことを思い出した。
「そういえば、道でこれを拾ってから気分が悪くなったんやった」
明人はポケットから小石を取りだした。それを見るなり、老人と照美の目の色が変わった。
「これはまさか!
「うそやろ? これを道で拾ったやて?」
二人の迫力に、明人は少したじろぐ。
「え、えんぱ? なに?」
「【エンパストーン】日本語で言うと【
老人はしばし宙を仰いだ。
「明人くん。感情というのは、どこから来ると思う?」
「どこからって……脳みそとかからじゃないんですか?」
「うむ。現代の医学ではそう考えられておるがの。私は新たな仮説を立てておる。それが、感情粒子=エモーショナルパーティクルというものじゃ」
「また知らん言葉出てきたよ」と明人はため息を吐く。
「この説では、感情というものは脳だけではなく、全身の細胞の中に細かい感情の粒が存在しており、それが外的要因、内的要因によって集まることで、人は感情を顕わにするといったものなんじゃな。……怖れを抱いたとき、なぜ人は鳥肌が立つ?
と老人が明人を見つめるが、理系科目がすこぶる苦手な明人は、すでに頭から煙が出そうになっている。
「そして、君が見た【情魔】というのは、人の感情の集合体と考えておる。いわゆる【負の感情】と呼ばれるものじゃな。あまりにも強い負の感情を抱いたまま肉体的な死が訪れると、感情粒子が肉体から離れ、一つの集合体となりある目的を持つようになる。……宿主となる新たな肉体を欲するようになるんじゃ。そして、宿主として選ばれた人間は、その感情に耐えきれず自ら命を落としたり、衝動のまま他人に危害を加えようとすることがほとんどなんじゃ」
「だから」と照美が口を挟む。
「だから私はその情魔を成仏させるために、この石の力を使って日々戦っているっていうわけ」
照美が胸元に手を入れ、ネックレスを引っ張り出した。細いチェーンの先に、黒光りする石がはめ込まれていた。
「君が持っていたのと同じ共感石じゃ。情魔とはつまり負の感情の集合体。だからそれよりも強い感情をぶつけることでその結合を解いてやるんじゃ。照美……いや、サンディーの武器は楽しいという感情。――私はその力を【ボケラニウム】と呼んでいるがの。その力により情魔を退治しているのじゃ」
「は、はあ……」
明人には、二人が話している内容が一から十まで理解できなかったため、気の抜けた返事をするほかなかった。
「てる……サンディー。論より証拠じゃ、装置に」
執拗に自身の本名を呼ぶ老人を睨みつけながら、ネックレスを机に置かれた機械にセットした。
「さて、見ておれ。オホン。……布団がふっとんだ!」
老人が機械に向け使い古したぼろ雑巾のようなギャグを放つと、共感石がほのかに光り、機械についたメーターのようなものが高音と共にわずかに上昇した。メーターの目盛りは青色のエリアを指していた。
「これは共感石の力を測る装置で、感情の強さとリンクしておる。そして、情魔を倒すためには、おおよそこの辺りの力が必要だと考えておる」と老人はメーター上部の赤い部分を指し示した。
「そこやねん、じいちゃん。今までうちの最高傑作のギャグでも黄色が限界やったやろ? でも、今日は一瞬で情魔が消滅したんよ。なんでやと思う?」
「うーむ。明人くんの持つ石と何か関係があるのかも知れんのう」と明人の持つ石を指さす。
二人の視線が自身に向き、明人はびくりと肩を揺らした。
「もしくは、サンディー自身の力が強まった可能性もある。……どれ、てる、サンディーや、ちょっと測ってみようか」
「てるサンディーってなんやねん。ノルマンディーみたいに言わんといて」と照美が悪態を吐きながら装置の前に立つ。共感石が照美の怒りに反応したのか少し発光した。
照美が一つ、咳払いをして気持ちを整える。
「いやー、最近暑い日が続きますなー。今でこんなに暑かったら、冬はもっと暑くなるんやろなー」
「いや、なんでやねん!」
気が付くと、明人はツッコミを入れていた。頭で考えるよりも早く、脊髄反射的なツッコミであった。その瞬間、共感石が眩く発光し、それに伴うように装置のメーターが壊れんばかりに振りきれた。強度を表すであろう激しい高音が辺りに響き渡る。
「こ、これは……」
老人が装置に駆け寄った。
「……そうか! ツッコミか! ツッコミじゃよサンディー!」
「ツッコミ?」
照美と明人が同じタイミングで首を傾げる。
「そう! 明人くんのツッコミが、楽しいという感情を何倍にも増幅させたのじゃ! なぜ今まで気づかなかったんだ。思い返せば先ほどサンディーが装置の前に立った時、わずかに石が反応した。あれは怒りによって反応したのではなく、サンディーのツッコミに反応したんじゃ。素晴らしい! この新たな発見により情魔の討伐が楽になるかもしれんぞ、サンディー! そうじゃ、このツッコミの力を【ツッコミウム】と名付けよう!」
興奮冷めやらぬ様子で、老人は部屋の中を行ったり来たりしている。その様子を見ながら、明人はゆっくりと腰を上げた。
「それでは、僕はこれで……」と抜け出そうとした明人の手を照美が掴んだ。
「ちょっと待ち。……逃がさへんで」
「ひっ!」と思わず明人は声を上げる。
「アンタ、中々ツッコミが上手いみたいやな」と照美が値踏みするように明人を見つめる。
「あ、当たり前やろ! おれは将来日本一のお笑い芸人になる男やねんから」
「そうか。……それは良かった」
照美は可笑しそうに口角を上げた。しかし明人の目にはそれが悪魔の表情に見え、背筋が寒くなりぶるりと震えた。
「アンタ、うちの情魔退治を手伝ってよ」
照美は笑みを浮かべたまま、そう言った。しかし明人を掴むその手には、信じられないような力が込められていた。
「い、いや……、おれは……」
「バイト代は出すぞ」
二人の様子を見ていた老人が口を挟んできた。
「情魔一体につき、五万でどうじゃ?」と片手を突き出し、手の平を明人に見せつけるように広げている。
「ご、五万?」
明人は瞬時に考えた。――一体につき五万ということは、八体も倒せば養成所の入学金と学費のすべてを賄える。――しかし。
「で、でも、ほんまにもらえる保証はないでしょ? 正直ここ、儲かってるようにも見えんし……。あっ! もしかしてどこかから研究費とかが出てるとか? 国とか」
「いや、どこからも研究費など出てはおらんよ」
「じ、じゃあどうやってアンタ達生活してるんだよ」
「え? 娘の
遺産で。
え? 親の 」
照美と老人の声が重なった。
「クズかよ!」
明人は今日一番の声でツッコんだ。――呼応するように装置がキーンと鳴き声を上げた。
「こんばんわー」
装置の音が収まる頃、玄関の扉が開いた。
「あ、米澤さん!」照美が声を上げる。
「なにか、取り込み中でした?」
米澤と呼ばれたスーツ姿の男が明人に目線を向けながら言う。年齢は明人の親と同じくらいに見えるが、高身長で掘りの深い端正な顔立ちと清潔感のある装いで、女性から好かれそうな人物だなと明人は思った。
「ううん。大丈夫。――今日はまた、爺ちゃんの勧誘?」
「うん。そうだよ。――高橋教授、うちの研究所に入る件、お考え頂けましたか?」
米澤は老人に笑顔を向ける。
「何度来られても、私は行かんぞ」と老人は腕を組み、ふくれっ面でそう返す。
「教授ほどの頭脳が、こんな場所で……いや、失礼。うちの研究所なら最新の設備も整っていますし、研究開発費も本社から潤沢に用意してもらえます。研究が進めば、情魔の討伐も捗りますし、なにより照美ちゃんの身の安全にもなると思いますが」
「心配はご無用。照美には新たな味方が出来たからの」と言って老人は明人を指さした。
「……彼が?」
「そう、明人くんじゃ。今日たまたま共感石に触れたらしく、その力に目覚めたのじゃ」
老人が自慢げに話す様子を明人は冷めた目で見ていた。
――半ば強制的に、だけどな。
「共感石にたまたまですって?」米澤が驚いた表情で明人を見つめ、その手にある石を見つけた。
「こ、これ! 君、これをどこで見つけたんだ?」米澤が明人に駆け寄り、ものすごい形相で問いかけてきた。
「どこでって……えーっと、あの、なんばの一反木綿ってラーメン屋わかりますか? そこから駅に向かうまでの道のどっかです」
「なんばか……。なるほど」
米澤は一瞬、思案する素振りを見せたが、すぐさま顔を上げ「可能性は低いがまだ周辺に落ちているかもしれないな。ちょっと見に行ってきます。とりあえず、教授。私は諦めませんので!」と早口でまくし立て、米澤は逃げるように玄関から飛び出していった。
「なんや、あの人……」
あっけにとられる明人に照美が話しかける。
「米澤さんは大手製薬会社の研究員で、うちの両親と大学からの付き合いがあった人。で、うちの爺ちゃんは昔その大学で心理学を教えてたんよ」
「彼と結婚していたら、真美も今頃は……」
「ちょっと爺ちゃん! その話はせんといてって言うてるやろ!」照美が一際大きな声で老人を叱責した。
「あぁ、すまんすまん。ま、とりあえず明人くん。これからもよろしく頼むよ。私は
(ドックとかサンディーとか。こいつら映画の観すぎちゃうか?)と頭の中で考えつつも、明人は差し出された手をしぶしぶ握り返した。
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