二
バイトで店に残る勝司に別れを告げ、ボッチとも分かれた明人は、一人ゆっくりとした速度で繁華街を歩く。歩く速度が遅いのは、考え事をしているからだ。それは高校を卒業した後のことに他ならない。
「養成所に通うとして、入学金が十万。学費が年間三十万。おかんは絶対金出さんいうてたしなー。バイトするしかないかぁ」
明人は現在高校三年で、本来なら秋も近づいたこの時期にはすでに進路も決まっていないといけないはずだが、春先の三者面談で進路について母親と大喧嘩をしたせいで面談は中断。
芸人になりたいという明人と、まっとうな道に進んで欲しいという母親の話は平行線を辿り、結果、明人の進路は現在に至っても未だに宙ぶらりん状態だった。
――それでもおれは、芸人になるんや。
明人が心の中で誓った時だった。前方から小走り気味に歩いてきた男と肩がぶつかった。反動により明人は尻もちをつく。
「痛ってー」
明人がぶつかった肩をさすりながら男をみやる。当の男も地べたにひっくり返っていたが、すばやく身体を起こすとキョロキョロと辺りを見渡している。
季節外れの濃い茶色のロングコートを羽織り、同じような色のハットと、目にはサングラス、口にはマスクと明らかに怪しい恰好をしている。
「ちょっと、アンタ」と明人が声を掛けると、ようやくその存在に気が付いたように明人のほうへ顔を向けると「あぁ、悪かった」と言って手を差し伸べてきた。
明人がその手を取り身体を起こすと、男は急ぎ足で立ち去っていった。
「なんやねん、あのおっさん」と悪態をつく明人が、ふと足元に落ちている物に気付く。
それは青白く光る小石だった。碧い鉱石のようなものではなく、それ自体が発光しているような不思議な印象を持つ石だ。明人は思わずそれを拾い上げた。
「なんやこれ」
石をまじまじと観察した瞬間、ひどい嫌悪感が明人を襲った。身震いするような寒気と、えも言われぬ吐き気を催す。
――気持ち悪い。
身体の異常と共に、走馬灯のようなものが明人の脳内を駆け巡った。しかしそれは明らかに自分自身の物ではない。グロ画像や、胸糞悪い映画を無理やり観せられているような不快感。それがはっきりとした形ではなくイメージとして頭の中に映し出される。頭がおかしくなりそうだった。
――もう嫌や、殺してくれ。
あまりの不快感に、明人の脳内には死を望む声が響いていた。
気付くと薄暗い路地裏に入り込んでいた。そこで明人は思わず
胃の中がほとんど空っぽになるまで吐き出すと、明人はようやくそこで一息つくことが出来た。
「うぇー、気持ち悪かった。……しばらくラーメン食えんかもな」
そんなことを一人呟いていると、ふと路地裏の奥に人影があることに気付いた。暗さのせいか、輪郭がぼんやりとしていてはっきりとは見えない。しかし、その影がまるで明人に気付いたかのようにゆっくりと近づいてくる。
――なんや酔っ払いか? 気持ち悪いな。
そんなことを思いながら明人がゆっくりと立ち去ろうとした時だった。突如としてその影の動きが早まり、明人の眼前に迫った。間近で見るそれは、人ではなかった。
影というよりは真っ黒な粒子の集合体といったものだ。それが流れるように形を変え、明人に襲い掛かってきたのだ。
「う、うわぁぁぁぁー!」
明人は思わず声を上げ後ずさるが、すぐさま影に捉えられてしまう。捕まえられたというよりは、付き
その瞬間、明人の全身が先ほどと同じような嫌悪感に襲われる。しかし、先ほどよりははっきりと感じる。それは人間の黒い部分を煮詰めたような。
憎悪、怒り、悲しみ、苦しみ、嫉妬、罪悪感、劣等感。そういった類のものが、ころころと入れ替わり明人の身体を侵食する。
明人の意識は朦朧としている。しかし、頭の中ではっきりと思うことが一つだけあった。
――死にたい。
その一点だ。
ついに明人の意識が消えかかろうとしたまさにその時、背中に強い衝撃が走る。その瞬間、纏わり付いていた影がずるりと
「危ないとこやった!」
朦朧とした意識のまま、明人が声のするほうに顔を向けると、そこには制服姿の女の子がいた。
深い紺色のセーラー服を身にまとい、茶色がかった髪の毛をツインテールにして束ねている。セーラー服から伸びた手が、明人の背中に当たっている。先ほどの衝撃は、彼女が背中を叩いたものだったらしい。
「アンタ、大丈夫か?」と明人の顔を覗き込んでくる。
少し吊り上った目元と小ぶりだがすっと通った鼻筋。――猫顔で結構タイプだな。と明人はぼんやりと考える。
「ち、ちょっと大丈夫じゃないかも……」
明人は自分の胸を押さえながら吐き気を堪えてそう答えた。
「ちょっと待っとき、片づけてから介抱したるから」
そう言ってその少女は影に目線を向けた。影はうようよと動き、いつまた襲い掛かるとも分からない状況だ。
「さぁ、何があったかうちに教えてや」
少女が影に向けてそう言った途端、彼女の胸元がぼんやりと光を帯びた。その瞬間、明人の脳裏にまたしてもイメージが流れ込んできた。今度ははっきりとしたイメージだ。
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