SUNDAY~田崎くんのツッコミ退魔日記~
飛鳥休暇
一章 明るく楽しい日曜日
一
「いや、なんでネギやねん!」
明人が思わずそうツッコミを入れると、少女の胸元が眩く光り出した。
「なに? この力は?」
少女もその変化に驚きを隠せない。
――遡ること三時間ほど前。
大阪、ミナミ。地下鉄御堂筋線の「なんば」駅と「心斎橋」駅を結ぶ通り周辺を指す。全国的にも有名なグリコの看板や、巨大なカニの看板がある大阪で一、二を争う繁華街。阪神タイガースが優勝した時などは道頓堀の橋から陽気な人々が我先にと川へ飛び込むような活気のあるエリアだ。
その道頓堀を少し外れた筋の地下にその劇場は存在する。
【芳本三丁目劇場】
ほぼ毎日、芸能事務所芳本興業に所属する若手芸人が明日のブレイクを夢見て自らの芸を披露する、ある意味戦場のような場所だ。
短めの髪をワックスで固め、真っ赤なTシャツの上から詰襟の学生服を羽織っている。そのシャツの中心には【
明人の目的は三番目に出てくる芸人を見ることだった。
劇場のキャパはそれほど大きくはない。スタンディングで百人、着席形式なら五十人も入れば満員になるような小さなハコだ。
ゆえに、次世代のスターをいち早く見つけまいとするコアなお笑いファンや、若手イケメン芸人の追っかけを生きがいにしているような女子達により、会場内はほぼ満員で熱気がこもっていた。
明人は前から三列目の席を確保し、スポットライトを当てられている芸人達を食い入るように観覧している。
陽気な
「どうもー。【ひょっとこスタイン】と申しますー」
――来た。
明人の拳に力が入る。
「いやー、最近腹立つことがありましてね……」
坊主頭のほうがそう切り出し、スムーズにネタに入っていく。
明人はその一挙手一投足を見逃すまいと真剣な
言い回し、言葉のチョイス、間の取り方、ツッコミのタイミング。
――やっぱり、カツ兄は天才だ。
すべての演目が終了した後、明人が劇場の外で少し待っていると、出番を終えた芸人達がぞろぞろと劇場から姿を現した。追っかけ達による黄色い声援に手を振り、一人の男が明人に近づいてくる。
「おう、明人。今日はどうやった?」
チリチリパーマを揺らしながら、男は明人に笑顔を向ける。
「今日も最っ高やったよ! カツ兄」
「ははっ、そやろがい」
カツ兄と呼ばれた男――
「おう、明人。お前そんな目立つシャツ着てるからステージから丸わかりやったぞ」
勝司の隣にいた背の高い坊主頭が声を掛けてくる。
「しかし、いっつも思うけどダッサイデザインやな、それ」
そう言って明人の着ている赤いシャツを指さす。
「うるさいねん、ボッチ。気に入ってるねんからええやろ」
明人はふくれ面をしながらそう返す。
ボッチ――そのデカい図体から、昔話のでいだらぼっちに似ているということで芸名をボッチとした男。名付け親は先輩芸人らしい。
「天上天下唯我爆笑って。自分よりおもろいもんはこの世にはおらんてそんなたいそうな。釈迦にもわしにも失礼やぞ」
「なんでボッチに失礼やねん」
「なんでってお前。お前よりおもろい人間がすでに目の前におるからやろ」と坊主頭のボッチが自らを指さす。
「なんや、ハゲてるから自分のこと釈迦やと勘違いしてるんかと思ったわ」
「そうそう、わしはハゲとるからな、そのうち悟りも開いて……ってコラ! 誰がハゲや! これはおしゃれ坊主ゆうんじゃ。カジカジでも見て少しはファッションでも勉強せいダサシャツ小僧!」
そんな二人のやりとりを勝司は笑って聞いている。
「明人、おれら今から【木綿】行くけどお前も来るか?」
勝司が笑顔のまま明人に問いかける。
「ボッチのおごりなら行く!」
「アホか! なんでわしがお前みたいなんにおごらなあかんねん。可愛い女の子ならまだしも生意気な坊主に気前ようおごるような聖人やないぞ」
「でもボッチ、お釈迦様やん」
「あ、ほんまや。わしは釈迦を目指して頭を丸めたんやった……ってそれやめろ言うてんねん」
言いながらボッチが明人の頭を
「ええから行くぞ、お前ら」
二人を置いて勝司が歩き出す。明人とボッチはヒジで互いを押し合いながら後を追う。
――【麺屋・一反木綿】
勝司がバイトしているラーメン屋だ。常連は略して【木綿】と呼ぶことが多い。ここの店主は大のお笑い好きで、若手芸人をバイトで雇ってはまかないなどで彼らをサポートしている。
そういう理由もあって、この店には常にライブを終えた若手芸人が集まり、そしてそんな芸人目当てでお笑い好きの一般客も来ることから、店内は日々満席状態だった。
「おう、カツ坊! ええとこに来た。これ、五番テーブルさんに持ってってくれ」
店に入るなり髭面でガタイの良い店主が勝司に声を掛ける。
「あいよ。お前ら先に奥行っといて」
勝司は慣れた手つきでお盆を受け取ると、明人とボッチにアゴで指示を出す。
二人は指示通り店の奥へと進む。ラーメンの汁や油が染みついた床はテカテカと光っており、油断すると滑ってしまいそうになる。壁際の空いているテーブルを見つけ二人は腰掛けた。対面で二人が座れるだけの小さなテーブルだ。
明人が周りを見渡すと、カウンター席ではサラリーマン風の男が必死で麺をすすり、その隣には夜のお仕事をしてそうな綺麗に着飾った女性がれんげを上手に使いながら上品に麺を口に運んでいるのが見えた。
「仕事前やのにラーメンなんか食べて大丈夫かいな、あの子」
ボッチも彼女に気付いたのか、独り言のように呟いた。
「慣れた様子やし、大丈夫なんちゃう?」と明人が返す。
「もしかしたらそういうお店で働いてるかもしれんし」と続けて言う。
「そういうお店ってどういうお店やねん」
「
「あるか! そんなもん。ニッチすぎるやろ」
とボッチは返すが、言いながらもその口元には笑みが
勝司とコンビを組んでいる以上、このボッチも笑いには厳しい。そんな男が自分の言葉で笑っている。明人は自身の自尊心がくすぐられるような感覚を覚えた。
「うい、お待たせ」
ほどなく、勝司がラーメンを乗せた盆を持って現れた。ラーメンをそれぞれの前に置くと、勝司は盆をカウンターへ戻し、どこからか小さな椅子を持ってきてそのまま通路側に腰掛けた。
男が三人、小さなテーブルを囲むようにして座る形になった。ボッチは図体がデカいものだから、なおさら窮屈そうにしている。
「食べてええの?」と明人が勝司に聞くと「おう、いいぞ。おかわりもいいぞ」と勝司が返す。
その勝司の言葉に、なにがおもしろいのかボッチが腹を抱えて声を出さずに笑っている。
その姿を見て明人は少し悔しくなる。おそらく、自分が知らない何かのネタなんだろう。
――もっと勉強しなければ。
悔しい気持ちを抑え込み、明人は割り箸を手に取る。背油の浮いた醤油ベースのスープを一口飲んでから、麺を引き上げ一気に啜り上げた。
「ええ食べっぷりや。それを見れただけでお兄ちゃんこのあと一時間頑張って働けるわ」
勝司は笑顔でそう言うと、割り箸を手に取り、同じように麺を啜った。このラーメン三杯の対価としての一時間の労働、ということなのだろう。
「おれが人気芸人になったら、今度はおれがカツ兄に
明人が勝司に向かい宣言するが、それに対しすぐさまボッチが反論する。
「アホか。それ何年かかるねん。それにお前が人気芸人に万が一なったとしてもやな、その頃にはおれらはすでにもっと高みにいってるやろが。ダウンタウン、明石屋さんま、ひょっとこスタインや」
ボッチが割り箸で明人を指しながら唾を飛ばす。
「ボッチはせいぜいカツ兄に捨てられんように気ぃつけや」と鼻で笑う明人の頭を、ボッチが平手で打ち付ける。
「いちびってんとはよ高校卒業して追っかけてこい。ハナタレ坊主」
明人は打たれた頭を押さえながらボッチを睨みつける。そんな二人を勝司はにこやかに見つめていた。
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