第27話 屋台の客(前編)

 次の職場に行く前に、フィビリオは白い上下の服にエプロン姿に着替えさせられた。


フィビリオは自分の恰好を確認して感想を口にする。

「何だ、これ? 料理人みたいな恰好だな」


 武神は明るい顔で説明した。

「料理人みたいじゃなくて、料理人だからね。煮物屋の代役よ」


(変わった悪人が世の中にはいるものだな)

「悪の親玉の煮物屋って、想像が付かないな。それとも煮物屋は仮の姿か?」


「今回は悪人じゃないわよ」

「違うのか、なら、なんの仕事だ」


「私の知り合いに飲み屋を兼ねた煮物屋の主人がいるのよ。その主人が結婚式に急遽、行かなきゃいけなくなったの。それで、明日の朝まで店番を頼むわ」


 別にやってもよかった。だが、やるなら、もっとレベル百に相応ふさわしい仕事をしたかった。


「結婚式なら、あらかじめ店に張り紙して、休業にして店を閉めればいいだろう。客だって、わかってくれるぞ」


 武神は軽い調子で頼んだ。

「そこはそれ、色々と事情があるのよ。私も常連の煮物屋だから、どうにかしてあげたいのよ。お願い」


 大事な内容なので、確認しておく。

「アルバイト代は要らない。だが、スタンプは押してもらえるんだろうな?」


「一個、押すわよ。明日の朝まででいいわ。期間が短いから、一個でも割のいい仕事だと思うけど」


(今まで、拘束時間が七日とか十日で一個だからな。一日で一個なら効率はいい)

 フィビリオは効率のいい話が好きだった。


「スタンプを押してくれるなら、いいよ。やるよ」

 武神が転移門を開いたので潜る。そこは、山の頂上だった。山の頂上は直径百mの窪みになっており、そこに屋台が一台、出ている。


 屋台の傍にはフィビリオと同じ白い服装にエプロンをした老人がいた。

(何だ、ここは? 普通の店じゃないぞ。しかも、この山はかなり標高が高いぞ)


 フィビリオは気温の低さと空気の薄さから、四千m級の山だと思った。

 武神はまるで気にした様子もなく、なごやかな態度で話す。


「ギルベルトさん、店番を連れてきたわよ」

「武神さん、ありがとうね。これで俺も結婚式に行けるよ」


 ギルベルトはフィビリオに説明する。

 ギルベルトは屋台の横にある大きな木箱を指さす。


「煮物の具はこの具材箱に入っている。なくなりそうなら、頃合いを見て鍋に投入して。箱の中には徳利があるから、出汁だしがなくなったら追加して」


 次に箱の横にある一升瓶を持ち上げて、解説する。

「酒はこれ。瓶に入っているよ。注文に応じてコップに注いで。これ、魔法の酒瓶だよ。見た目以上に酒が入っているから零さないように注意ね」


 最後に屋台の大鍋を示す。

「これは魔法の鍋。絶えず八十度になっている。熱いから火傷しないようにね。あと、屋台はわしが帰ってくるまで閉めないでね。その代わり、客がいない時は休んでいていいよ」


「わかった。どうにかやってみる」

 ギルベルトは説明が終わったのか口笛を吹く。


 小さな雲がやってくる。

「それじゃあ、儂は出掛けてくるから、あとはよろしく」


 フィビリオは今にも旅立たんとするギルベルトを引き留める。

「待ってくれ。煮物と酒の値段を聞いてないぞ」


 ギルベルトは雲に飛び乗る。

「客が払う分だけ受け取っておいてくれればいいよ」


 ギルベルトは雲に乗って飛び去った。

「何だ、あの爺さんは? ただの煮物屋じゃないな」


 武神が澄ました顔で教えてくれた。

「ギルベルトさんは先代の料理の神様よ。料理の神様を退いてからは秘境に屋台を出しているのよ」


 フィビリオは当然の問題を指摘する。

「でも、いいのか? お客はギルベルトさんの味を楽しみに、こんな秘境までやって来るんだろう? それなのに俺がいたらがっかりするぜ」


「大丈夫でしょう。仕入れ、下拵え、出汁の準備、温度管理まで用意していったんだから。フィビリオの役目は盛り付けと、勘定の受け取りよ。料理の腕は関係ないわ」


 武神に指摘されれば、そんな気もしてきた。

「子供じゃないんだ。言われりゃできそうだな」


 武神がさっそくベンチに腰掛けて注文を出す。

「じゃ、そういうことで、私が初めてのお客になるわ。卵二つに、大根、人参と蛸足を、ちょうだい」


「練習も兼ねてやってみるか」

 フィビリオは皿を探して、命じられた具材を菜箸で皿に盛った。


 武神は満面の笑みで箸と皿を受け取り、煮物を食べる。

「うーん、美味しい。やっぱり、ギルベルトの煮物は最高だわ」


 先代の料理の神様が作った煮物の味が気になった。

「そんなに旨いのか? 俺も食っても、いいんだろうか?」


「駄目でしょうね。だけど、いいわ。私が御馳走するわ。客の驕りよ。卵と大根を食べてごらんなさい」


「客の驕りなら食べてもいいだろう」

 卵を鍋から掬って皿に盛る。箸で刺して食べる。


 卵のうまみと出汁が染みた味が、口いっぱいに広がる。

「見事な半熟加減だ。しかも、卵にきちんと味が付いていて、絶妙だ」


 次いで、大根を口にする。

「これも凄いな。大根に、一切いっさいの癖がない。出汁の味とは別の味が完璧にしみ込んでいる。出汁に大根を漬けて、煮ただけでは出ない味だ」


「卵も大根も別の特性スープで煮ているのよ。特別に煮た具材を鍋の中の汎用の出汁の中に入れる。それで味のアクセントを保ちつつ、しっかりと味を引き出しているのよ」


「卵や大根を煮たスープにも秘密があるんだろうな。だが、素人の俺には皆目、見当が付かない」


「さあ、食べたら食べた分だけ補充しておきなさい。いつ、他のお客が来るかわからないわよ」


「煮物は鍋に入れてもすぐに美味くならないからな」

 武神の助言に従って、食べたぶんだけ具材を鍋に補充しておく。


 武神は金貨一枚を取り出すと、屋台のテーブルに置いた。

「なら、お代は置いていくわ」


「料理の神様が作った煮物が金貨一枚。果たして、高いのか安いのか?」

 武神は機嫌よく教えてくれた。


「値段は気にしなくていいのよ。とにかく、何か対価を置いて行く事実が大事なのよ」


「流れはわかった。明日の朝まで頑張ってみるよ。こんな秘境に客が来れば、だけど」


 武神が消えたので、食器を下げる。次のお客を待つと、転移門が山の上に開く。

 転移門から出て来た相手は、金色の髪を肩まで伸ばした、褐色肌の若い女性だった。


 女性は黒いローブを着て、金の靴を履いていた。女性の顔に見覚えがあった。女性はレベル九十に上げるために何度か殺した邪神カルテイーアだった。


(まずい。顔見知りが来た。アッティラさんの時のように、覚えてないといいんだけど)


 カルテイーアがベンチに座る。カルテイーアはフィビリオを見ると驚きの声が上げる。


「私を何度も殺した人間。こんなところで、何をやっているのよ?」

(やべえ、覚えていた。どうする? 謝るか、それともとぼけるか)



 逡巡したが、知らぬ振りをして見る作戦に出た。

「いらっしゃい、何にしましょう? 今日は卵と蛸串がお勧めです」


 カルテイーアは怒っていた。

「ちょっと待ちなさいよ。何をとぼけて屋台の店主の振りをしているのよ」


「嫌ですよ、お客さん。お客さんと遭うのは、今日が初めてですよ」

 カルテイーアが目を細めて、フィビリオの顔を見る。


「私の顔に何か付いていますか?」

「本当に貴方は私を殺した人間とは違うの?」


「もう、何を言っているんですか、お客さん。私は単なるこの屋台のアルバイトですよ」


 カルテイーアは辺りを見回す。

「アルバイトって、ギルベルトはどうしたの? まさか殺したの?」


「物騒なセリフを言わないでくださいよ。ギルベルトさんなら、結婚式に急遽、呼ばれて行きました」


 カルテイーアは訳知り顔で、知っている情報を口にする。

「法の神と正義の神の宴会に行ったのね。あいつら、味に五月蠅(うるさ)いからね。料理の神が倒れたなら、味の監修は、ギルベルトでないと務まらないわね」


(ギルベルトさんは出席者じゃなくて、料理長の代役なんだ。煮物を二つ食べただけだが腕は確かだったから、理解はできる)


「そういう経緯ですよ。で、何にしましょう?」

 カルテイーアは納得半分の顔で注文を出した。


「卵と蛸串、それにロール・キャベツを貰うわ。あと、お酒もちょうだい」

(ふー、何とか誤魔化せたか)

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