第26話 黒魔兵器の秘密(後編)

 崩落した館は何かが引火したのか、煙を上げ始めていた。兵卒が井戸水を汲み、掛けている。

 引火に注意しながらの瓦礫の除去作業は、誰の目に見ても困難だった。


 作業が一日では終わらない状況は明らかだった。

(これは二百人態勢で瓦礫をどけても、地下のアジトだった場所を捜索するのには、一週間は掛かるな。充分すぎる時間稼ぎだ。さて、俺もさっさとも逃亡するか)


 フィビリオは騒ぎのどさくさに紛れて、高速で走って現場を後にする。

 現場から四十㎞ほど走ったところで、宿場町に着いたので宿を取る。


(今日でヤンスも帰って来る予定だし、このまま逃げ切って、お役目は終了だな、後はヤンスとアイロスたちが、どうにか対処するだろう)


 だが、これで万事が上手く行かないとも、心のどこかでは思った。

(杞憂、であってほしいが。こういう時の勘って、当たるんだよな)


 夕食後に部屋で涼んでいると、武神がやって来た。

 武神の表情は冴えない。


「フィビリオ、ちょっとまずい事態になったわよ」

(やはり、悪い予感が当たったか。何が起きたんだ、いったい?)


「どうした? 誰か捕まったか? なら、いいぞ。サービスで助けに行ってやる。それに、代行は今日までだ。今日は、まだ終わっていない」


 偽らざる心境だった。

 武神が表情を曇らせて説明する。


「館にいた全員は逃げて、新たなアジトに移動したわ。館の崩落も工兵が爆薬計算の桁を一つ間違えたとして処理されたわ。問題はヤンスよ」


「また、帰りたくないって駄々をねているのか。しょうがない坊主だな」

「ヤンスが聖騎士に保護された、って話よ」


(うん? 何か、思っていたのと違うな。武神が間違っているのか?)

「保護? 逮捕の間違いだろう」


「ヤンスは、教団を売ったのよ」

(裏切り者がいるとは思ったが、まさか、教祖様とはねえ)


「売ったとは、話が穏やかじゃないぞ」

 武神は困った顔で頼んできた。


「それで、悪いけど、ヤンスに、教祖を続けるかどうか、意思確認を、してきて欲しいのよ。お願いできる?」


 やってもいいが報酬を増額して欲しい。一旦、渋った振りをする。

「ヤンスの意思確認って、俺の仕事か? 違うだろう。教団の奴らの仕事だ」


「でもねえ。ここで、教団が空中分解すると、この地域で国家のパワー・バランスが崩れるのよ。そうすれば大きな被害を生むわ。悪には悪の存在理由があるのよ」


(ここの教団の場合は軍事バランスに直結するからな。神様も心配か)

「わかった、わかった。やってやるよ。ただし、スタンプは一個、多く押してくれよ」


 武神は渋い顔で了承した。

「しょうがないわね。報酬の積み増しでお願いするわ」


 値上げ交渉に成功したので、少し嬉しく思う。

 辺りが一瞬、暗くなり、気が付いた時には、田舎の酒場の前にいた。


 酒場のドアを開くと、客の中にアイロスがいた。横に行くと、アイロスが席を立つ。


「フィビリオさん、お待ちしておりました。とりあえず、外へ」

 外に出て、田舎の農道を二人で歩く。月が綺麗な晩だった。


 アイロスが思い詰めた顔で切り出した。

「もう、聞いていると思いますが、ヤンス様が教団を売りました」


「聞いたよ。また、思い切った行動に出たもんだな」

 アイロスの表情は暗い。


「拙僧はヤンス様に教団に戻ってくれるように、説得を試みるつもりです」

 フィビリオは正直に感想を告げる。


「説得は無駄だろう。それに、一度、裏切った人間を教団は受け入れるかな? 俺ならそんな奴は危なくて仲間に入れたくないね」


「それでも、ヤンス様には戻ってもらわねばならないのです」

「それは、あんたがたの問題だ。だが、戻るかどうかの意思確認には付き合ってやる。俺の仕事だからな」


 一軒の農家が見えてきた。

「あの家です。あの家にヤンス様はいます。一緒に行ってもらえますか?」


「いいぞ。さっさと行って済ましちまおう」

 農家の家の窓から明かりが漏れていた。


 フィビリオは戦闘に備えて、ダークネス・ソードを出し、手に携えておく。

 農家の扉をノックする。


「どちらさまですか」と家の中から男の声がする。

 問答無用で扉越しにダークネス・ソードを突き立てる。剣は扉を貫通して、どさりと男が倒れる音がする。


 フィビリオが力任せに扉を引っ張るとドアノブが外れた。ドアを蹴り開ける。

 室内に入ると剣を持った男が二人斬り懸かってきたので、軽く斬り伏せる。


「動くな。武器を捨てろ」と、別の男がヤンスを人質にとって出てきた。

 明らかに芝居なので、一気に距離を詰めて男を斬った。


 ヤンスがおどけた顔で、ひゅーと口笛を吹く。

「ご立派。なかなかやるね。さすが、俺の身代わり」


 アイロスが弱った顔で嘆願する。

「ヤンス様、今ならまだ間に合います。どうか教団にお戻りください」


 ヤンスが真面目な顔で拒絶した。

「いいや、もう間に合わない。俺は教団を捨てた」


 アイロスは縋って頼む。

「そんな冷たく言わず、どうか、お願いします」


「嫌だ。もう、俺は戻らない」

 ヤンスの意志は固いように思えた。仕事なので念を押す。


「確認する。教団に戻らない――が、あんたの決定なんだな?」

「そうだ。決定だ。だから戻らない。それに、お前たちを無事に帰しもしない」


 ヤンスが邪悪な笑みを浮かべる。ヤンスの背中から大きな蝙蝠こうもりのような羽が生えた。ヤンスの両手は変色してかぎづめのある手になった。


「何だ、あれは?」

 アイロスが蒼い顔をして、震える声で教えてくれた。


「ヤンス様は人間の胎児に黒い魂を憑依させた成功例。ヤンス様は黒魔兵器なのです」


(なるほどねえ。アイロスは教祖だから、ヤンスに戻ってきて欲しいって理由もあった。だが、実験が成功したサンプルであるから戻ってきて欲しいって理由もあったわけか)


 ヤンスは怒りの形相で告白した。

「お前たちは俺を成功例と呼んだな。だが、違う。俺は兵器にも人にもなれなかった、できそこないだ」


「違う。ヤンス様。貴方はこの国の希望だ。貴方のデータがあれば、もっと安全かつ大量に黒魔兵器が作れる」

 アイロスの言葉に、ヤンスが表情を歪ませる。


「何が祖国だ! 愛国だ! 俺の人生は修行と実験の毎日。俺のような存在が増えるなら、教団は要らない。国家がなくなる? どうせ、命まで取られるわけじゃない。下を向いて生きればいいだけ。俺が父親にしたように、な」


 アイロスは言わねばと思ったのか、弁解した。

「違う。ユリウス様は貴方を愛しておられた。ただ、不器用で、表現の仕方がまずかっただけだ」


 ヤンスが透明な刃を投げる。アイロスに当たりそうなので、剣で防いでおく。

「おっと、刃物沙汰とは、穏やかではないな」


 ヤンスが真面目な顔で凄む。

「フィビリオとだったか、今のがわかるとは、お前は少しはやるようだな」


「少しではなくて、俺は最高にできる男だぞ。お前も、もう引っ込みが付かないだろう。表に出ろよ。相手をしてやる」


 外に出ると、ヤンスは空高くに飛び上がった。

 ヤンスは威勢よく告げる。


「馬鹿だな、フィビリオ。俺には翼がある。離れた距離を攻撃する手段もある。そんな俺と、外でやり合おうなんて、勝負を捨てたも、同然だぞ」


「そうか。なら行くぞ。剣技・虚空斬」

 ヤンスが空から落下して、地面に衝突した。ヤンスは、ふらふらになって立ち上げる。


「何を? お前は、いったい何をしたんだ?」

「何って? ダークネス・ソードで手加減して斬ったんだよ。では、さようなら、ヤンス君」


 フィビリオが剣を振り上げると、アイロスがヤンスを庇うように前に出た。

「待ってください。フィビリオ殿、ヤンス様を斬らないでください」


 フィビリオはあえて冷たく発言した。

「斬らないでって、研究に協力しないなら。死体だけでも持ち帰るのが、教団のためでしょう」


 アイロスは懇願する。

「黒魔兵器は確かに研究材料です。でも、ヤンス様は兵器である前に一人の人間です」


 冷酷な言葉をアイロスに告げた。

「いいのか、アイロス? あんたは人間の胎児を使った黒魔兵器の研究推進派だろう」


「そうです。でも、ヤンス様相手に非情には、なれない」

(勝手な言い分にも聞こえる。だが、俺は善悪を判断する立場にいない)


 フィビリオは空を見上げる。

「月がすっかり高く昇っちまったな。これは、日付が変わったか」


 フィビリオはダークネス・ソードを消す。

「俺の教団代行は昨日までだ。今日からはタダの人だ。だから、教団の利益を追い求める必要はない。なら、好きに生きろよ、ヤンス」


 ヤンスは頭を下げると、大きな翼を開いた。ヤンスは、まだ暗い空に飛んで行った。


 飛び去るヤンスを見て、アイロスがしょんぼりした顔で告げる。

「ヤンス様は手に入らなかったものは見えているかもしれない。だが、手に入っているものが見えていない」


「ヤンスの父親って、どんなんだった? カリスマ的教祖だったのか?」

 アイロスが首を振る。


「ユリウス様はカリスマではなかった。普通の人間だった。普通の人間なりに善処していた。だが、普通の父親では、過酷な運命を背負ったヤンス様を導けなかった」


「教団はどうする? 何なら、アフター・フォローの一環として。ヤンスが抜けた状況を説明しようか」


 アイロスは、がっくりと肩を落とす。

「教団は教団に残された者で後を決めます。とりあえずは合議制でしょうか」


(合議制か。上手く行かないだろうな。だが、今の俺はもう他人だ。口を出すことでもない)


 アイロスはとぼとぼと暗い道に向かって歩き始めた。

 木陰から武神が姿を現した。


 スタンプ・カードを出現させて渡す。

 武神はきちんとスタンプを二個、押してくれた。


「国防と倫理。父と子。難しい問題だな。ただ単に敵と戦いレベル上げしてきた俺には、答えの出せない問題だ」


 武神が悟りきった顔で短く告げる。

「これもまた、人間の業よねえ」

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