第5話

A市の花火大会に阿呆の睦夫とニ人でやってきた。人びとはサバンナの動物の群れが如く会場いっぱいに押し寄せている。睦夫が河川敷にシートを午前中から張っておいてくれたので、私たちは容易に座ることが出来た。花火が始まるまでは出店で射的をしたり、焼きそばを食べたり、お好み焼きを食べたりして時間をつぶした。私は可愛らしいピンク色の浴衣姿、睦夫はちょっと爺臭い柄の甚兵衛を着込んでいる。

 私たちが出店を満喫しているうちに最初の花火が打ちあがったので、あわてて自分たちが確保したスペースへ戻った。

 「ねえ睦夫、キスしない?」

 父親との口論でムシャクシャしていた私は睦夫を誘惑した。 

 「それって本心」

 「本心だよ」

 「じゃあするよ」

 睦夫は私が手に持っていたわたあめにキスしてきた。

 「ちょっと、そこは違うでしょう」

 「違わないよ。オカヅちゃん、どうせ父さんと喧嘩でもしたんでしょう。そんな投げやりな状態でキスするほど飢えていないよ」

 睦夫は私の心の中を見透かしていた。私が涙を一滴流し、睦夫の肩に寄り掛かった。睦夫は手を回して私の肩に置いてきた。花火が盛り上がる中、私たちの心は冷えていった。

 私は父さんに自分勝手な欲望を押し付けているだけなのかもしれないと最近思うようになってきた。芸人の世界はよくわからないけど、もう一度戻るのが大変なことだけは理解できる。父さんは三十六歳で今の芸能界では若手芸人の括りに入ってもおかしくない年齢だけど、再起をかけるには年を取りすぎているかもしれない。そう考えると、潔く夢を諦めて、今の生活を続ける方が私たち家族は幸せなのかもしれない。

 「花火、綺麗だね」

 「うん、でも去年も同じの観たしちょっと退屈かな」

 私がそう言った矢先、去年とは異なる花火がバンバン打ちあがって私たちの目を楽しませてくれた。

 この花火一つ一つに職人さんの情熱が詰まっている。たった数秒のために人生をかけてるんだ。私はそれはとても素敵な生き方だと思った。願わくば私も情熱を持った生き方がしたい。父さんには情熱を忘れないでほしい。私の心はこのままの質素な生活と博打にかけた生活の間で揺れ動いていた。

 「ねえオカヅちゃん」

 「何? 睦夫」

 「僕は阿呆だから普段から即断即決で悩んだりしないんだけど、悩みがあるって素敵な事だと思うんだ」

 「どうして?」

 「だって悩むたび、人は成長するじゃない。僕もこの間キミのお父さんにあって初めて将来を悩んだんだ。そしたら人間として一皮むけたような気がしたんだよ」

 「睦夫のくせに」

 睦夫は私に可愛らしい笑顔を見せてきた。この笑顔に私はやられてしまったんだった。

 「睦夫、ありがとう」

 「どういたしまして」

 「花火、綺麗だね」 

 「オカヅちゃんの方がきれいだよ」 

 「何それ、下手過ぎ。減点10」

 「それは何の減点なの」

  私たちは互いに声をあげて笑った。その瞬間だけは花火の音は聞こえなかった。睦夫のおかげで私は少しだけ心がすっきりした。

花火大会の終わり際、半割れ物の花火と割れ物が大量に入り乱れて夜空を鮮やかに彩った。睦夫が言うには私が心奪われた花火は錦冠菊という種類らしい。悩み事は尽きないけれど、今は素敵な夏の思い出が出来たことに感謝しようと思った。ありがとう、睦夫。


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